2009.05.31

09・05・31 或る日突然ベン・ホーガン

ゴルフとは極めてメンタルなゲームである。私はゴルフ歴38年である。別に今初めて気がついたわけではない。そんな話は何度も聞いた。しかし、何度も聞き流して忘れた。

ゴルフとは、大多数のアマチュアにとっては、週末の時間をやりすごす遊びのひとつにすぎない。しかし、プロは生活も名誉もそれが全てだ。

今日も大洗ゴルフクラブで行われた試合で、プロ17年目にして初優勝を遂げたプロが涙を流す映像があった。偶然の勝利だったら泣く理由がない。泣いたということは、その背景に長年の精神的・肉体的苦闘の日々があり、宿願成就の瞬間だったからだろう。

アマが仲間のコンペで優勝して泣くことはないだろう。アマはゴルフという行為をそこまで深く重く受けとめない。それがアマということでもある。

だから、なのだろうが、アマは、ゴルフについてプロが語る言葉をしっかりと受けとめていないような気がする。

今年は絶不調が続いていた。8回やって一度も90を切れていない。約4週間前、91を出しているが、翌日は98。どうにも90は当分切れそうにない客観情勢であった。スコアが悪いだけでなく、ショットの感じも全くつかめていない。例年シーズン始めは調子が出ないのだが、今年こそ!?このままズルズルとダメスコアが続くのではないか?そんな不安を抱えていた。

ところが昨日の30日、今年9回目のゴルフは、一の宮カントリークラブの西コース、いちおう6300ヤードで、IN-40とOUT-41の81が出た。たぶんこの2-3年のベスト・スコアである。

ダメダメの不安状況と81までの間に何があったか?

少なくとも肉体的には思い当たる変化は何もない。鍛えたというよりは、むしろ筋肉はだらけていた。唯一具体的な変化は、古いベン・ホーガンのレッスン書を拾い読みしたことだ。

"Five Lessons The Modern Fundamentals of Golf"は初版が1957年で、私が持っているのは1976年のreprint版。わずか127ページの薄いチープなペーパーバックは$1.95。ちょっと待てよ。これがあの水谷準訳の立派なハードカバーの「モダン・ゴルフ」の原書かい?こっちも持っているので本棚から引っ張りだして確認すると、サイズもふたまわりほど大きい当時定価1500円のこの本は、内容はまちがいなく同じだった。1958年初版で私の持っているのは1975年3月31日の第2版第8刷だった。

先週、紙が茶色く酸化しかけたベン・ホーガンの原書を30年振りに開いてみた。全くの気まぐれである。自分でもなぜなのかはわからないが、数多のレッスン書やゴルフ雑誌のページを捲る時とは心構えが違っていた。

その違いを説明するのはなかなか難しいのだが、この本は、単に売れるレッスン書を作ったのとは何かちがう。ベン・ホーガンという人物をゴルフの神がこの世に遣わした預言者だと見立てて、彼の口から語られた言葉を書きとめておこうと企画された書物、つまりゴルフの聖書のようなオーラがあるのだ。

どの世界にも預言者的人物がいたとしてもおかしくはないが、宗教以外となると、まさか彼や彼女が「神」の遣いだとは考えない。まして、プロ・ゴルファーである。早い話が大規模な賭けゴルフで生活をしている人々だ。その人の口から発せられた言葉を、発せられたまま最大限の敬意を払い受けとめて、心の中で咀嚼し反芻し、やがてそれを自身の心の中に宿し、自我との区別がつかなくなるまでに受けいれることがあるだろうか?

結論を急ぐと、ベン・ホーガンは、汝右手で打つなかれ、と言っていたのだ。本質は左右の手の力のバランスであるが、それを達成するために、右手のグリップは右の指で握ることを強調していた。インパクトの瞬間はプロといえども意識できない。それを右手でコントロールしようなどと考えてはいけない。不可能である。指で握ることによりクラブヘッドは身体全体の動きに呼応して自由に走るようになる。そうしておいてあとは正しい身体の動きを達成すればよい、というのだ。

このところ私は右手を使うことを考えることが多くなっていたのだが、それを絶対にダメだと言われたわけだ。

昨日、私が心掛けたのはこの一点だけ。右手は指でグリップし掌で握らないように注意する。ワッグルしてヘッドが自由に走る状態にあることを確認してからバックスイングに入る。ドライバーからショートアイアンまで、みんな同じ。たったこれだけで、あれほどワイルドだったショットが正気を取り戻し、一気に最近のベストスコアが出たのである。

ベン・ホーガンは誰でも70台を出せるとも言っている。ここはひとつベン・ホーガン教に帰依してみようと思っている。

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2009.05.06

09・05・06 「グラン・トリノ」は1972年Ford Gran Torinoだった

クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を観た。実にン?年ぶりの映画館である。アカデミー賞を取りそこなったこの作品が心の隅にひっかかっていた。ゴールデン・ウィークの自由時間に、ふとその気になった。

いまだに私にとって彼はローハイドのローディであって、監督として意識するのは初めてかも知れない、と思ったが「マディソン郡の橋」も彼の作品だったことを思い出した。あれもいい映画だったが、今回の作品にはもっと感動した、というより驚いた。

西部劇でカッコつけてたニーチャンが、といっても年齢的にはボクの叔父さんぐらいなのだが、久しぶりに会ったらどっぷりと純文学映画をやっていた。大きなテーマを映画らしい映画に表現する意欲と技量を見せつけられて、まるで昔の日本映画に再会した思いだった。みんな知っていたんだろうが、映画をあまり観ない私には大いなる発見となった。比較する必要はないが、つい愚痴のように言いたくなる。同じ晩年でも黒澤作品とは大違いだ、と。

題名の「グラン・トリノ」は1972年Ford Gran Torinoというアメ車のことだった。クリント・イーストウッドが演じる主人公のウォルト・コワルスキーは朝鮮戦争で13人は殺したという退役軍人である。帰還して、フォードの工場で働いていた。

その後アメリカの自動車産業は日本車に敗退して今にも潰れそうだ。ウォルトの馬鹿息子だってトヨタのセールスマンをやっている有り様だ。冗談じゃないと彼は思っている。

老いたウォルトは、アメリカ中西部のさびれ行く町で、毎日することもなくポーチに座ってPabst Blue Ribbonのビールを飲んでいる。

このミルウォーキーの香り高いビールは私の好みだったが、ブルー・リボンの名のとおり、ブルーカラー、すなわち工場労働者のビールだった。

隣人たちがいつのまにか東洋系ばかりになってしまった町から、彼が愛し誇りに思って来た「アメリカ」が融けて流れて消えて行くばかり。白人の若者も不甲斐ないやつばかりだ。

ウォルトは、いつも軒先に星条旗を掲げ、毎日、狭い前庭の芝刈りを怠らない。三十数年前、自分が工場の組み立てラインで部品を取り付けた「グラン・トリノ」を今も新車と見紛うばかりに手入れしている。その車はアメリカの栄光の象徴であると同時に、彼の人生の誇りそのものである。それを守ろうとひとりぼっちのささやかな抵抗を続けている。

しかし彼は老いて行くばかり。肺を病んでおり時々咳き込んで吐血する。アメリカが老いて病んでいるのだ。

ちなみに、クリント・イーストウッドは82年に制作した"Honkytonk Man"(たまたま「すご録」に入っていたので昨日観たが、これもいい作品だ)の中でも血を吐いているが、吐血に関するオブセションがあるのだろうか。

隣人の東洋人たちは嘆かわしいほどアメリカの価値を無視し壊して行く。それどころか彼らの価値観を辟易するほど押しつけて来る。

ある日、その隣家の東洋娘が白昼路上で黒人ギャングに取り囲まれているところを、通り掛かったウォルトが助ける。それが切っ掛けで、隣家との付き合いが親密に変化して行く。ウォルトは、それまで人種偏見の対象でしかなかった彼らが、自身の息子たちよりもよほど道徳的な人間であることに気付くようになる。

しかし隣家の親戚にはギャング集団がおり、東洋娘の内気な弟を脅して手引きをさせてウォルトの「グラン・トリノ」を盗もうとする。

いつのまにか東洋人隣家と親戚同様の付き合いをするようになっていたウォルトは、ギャング集団と一家の腐れ縁をなんとか断ち切ってやろうという意欲を燃やすようになる。そして、敵のアジトに踏み込みきついお仕置きを見舞う。

ところがそれが逆効果となり、一家はギャングたちからの過激な反撃に遇っただけでなく、東洋娘が暴行を受けるという事件に発展する。

責任を感じたウォルトはギャングを殲滅する計画を練る。ここにいたって内気な弟も命懸けの復讐を誓う。いよいよ彼がギャングたちを銃撃で退治する結末を期待するところだが、意外にも、ウォルトは丸腰でギャングたちの前に進み出て、彼等の無数の銃撃を全身に受けて死んでしまう。しかし、ギャングたちは警察の手で逮捕され東洋人一家の前から姿を消すことになり、計算通りに、ウォルトの目論見は実現する。

死後、ウォルトの遺言が発見され、「グラン・トリノ」は、実の息子たちではなく、東洋人隣家の内気な弟に与えられることになる。

ウォルトとの付き合いの中でようやくアメリカ社会を生きるに相応しい逞しさを身につけた若い東洋人が「グラン・トリノ」、すなわち「アメリカ合衆国」でありウォルトの魂でもある象徴を運転してミシガン湖畔を走るシーンで映画は終わるのである。

アメリカの現代を生き終えようとしている誰もが抱くであろう落日の思いがある。また、アメリカの未来に関する暗喩もある。これではいかん、という思いと、これでいいのかも知れないという思いとがアンビバレントに響き合い協和とも不協和とも言えないモダンな和声を紡ぎだしている。

サブプライムローンで金持ちは大儲けをしつつ大損をし、貧乏人は夢を見つつ夢破れ、アメリカの国力の象徴たる自動車産業をとうとう乗り捨てて、アメリカという国は黒人大統領のもと新しい国家に生まれ変わろうとしている。我々がこの現代を何十年か先に思い出すのに、この映画はきっと一つの道標になっているに違いない。

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2009.04.12

09・04・12 NAXOS MUSIC LIBRARYに寄り倒される

たまたまたどりついたこのNAXOS(ナクソス)のサイトで、お試しの無料試聴をしたのが運命の扉を開くことになった。

きっかけは、私のお気に入りで一緒にカラオケもしたことがあるジャズ・ヴォーカリストPinky WintersのCD"Rain Sometimes"で伴奏をしているRichard Rodney Bennettだ。聴くたびにこのピアノがとてもいいと感じていた。何者だろうと、たまたま今日、google検索した。

リチャード・ロドニー・ベネット (Richard Rodney Bennett) - 作曲家 ...A musician of great versatility, the English composer Richard Rodney Bennett studied in London with Lennox Berkeley ... In addition to his very varied work as a composer, he is also known as a pianist, not least in jazz performances. ...
で、NAXOSのこのページに連れた来られた。やはり、ただものではないことがすぐわかった。作曲家である。さもありなん。15分間の無料試聴で彼のJazzの弾き語りを聴くことができた。そんな音源に出会えるとは、想像だにしていなかった。これは凄いことだ!

NAXOSのCDはけっこう買って来た。あまり馴染みのない楽曲をとりあえず音だけでも聴きたいという時に、ここの膨大な品揃えは頼もしく、マイナーな作品でもけっこう見つかるのだ。私にとっては音が出る楽曲百科事典のような存在である。もっぱら名曲の名演を求める楽しみ方には適さないかも知れないが。

NAXOS MUSIC LIBRARYとは、その音源を月々1890円で「聴き放題」だというのだ。ダウンロードはできない。ストリーミング方式である。試聴サービスを体験したあと、自問自答してみた。

問1 年間CDを幾ら買ってるかな?
答1 最低でも10枚以上は買ってるだろうね。

問2 で、そのCDに満足しているかな?
答2 当たり外れ、色々あって、すぐに聴かなくなるモノも多い。熱が冷める場合もあるし。

問3 そもそも、CDの整理ができているかね?
答3 まったくダメ。目的のCDはなかなか見つからない。買ったことを忘れているモノもある。置き場所にも困っている。

問4 買ったCDをiTunesに放り込んでるかな?
答4 iPodが壊れたのがきっかけで、もう殆どやっていない。そもそもいつクラッシュするかわからない自宅のPCにデータベースを構築するのは不安だ。

問5 新しくCDを買う切っ掛けは?
答5 コンサートで知った楽曲を買い求めるパターンが多い。アンコールで演奏された曲が魅力的なのだが、名前がわからなくて、無性に知りたく、また、欲しくなることがよくある。

問6 月々1890円という料金体系をどう評価する?
答6 まず、CD購入を減らすことで簡単に1890円/月は捻出できるだろう。だから決して損にはならない。これは確実だ。

問7 新たに得られる価値は何だろうか?
答7 なんと言っても、あの膨大なNAXOXの音楽DBから好きな作品を検索して聴くことができること自体が夢のような贅沢だと思う。まさに音の出る楽曲百科事典だ。同じことをCD購入でやったら金銭的に大変なことになる。その贅沢の値段としては間違いなく安い。好奇心のおもむくままに音楽の「大人買い」ができる。


と考えて、サッサと会員登録をして使い始めた。

今日、一日だけでもたぶん20枚以上のアルバムからいろいろな作品を聞きかじっただろうか。

昔、譜面だけもらって歌伴をさせられたベンジャミン・ブリテンのSailor Boyも初めてプロの演奏を聴くことができた。やっぱりこの曲は難しい! 清水有紀さんのコンサートで聴いたドヴォルザークのロマンティックな小品 Op. 75の I. Allegro moderatoにも再会することができた。実にせつない美しさを湛えた曲だ。今、練習中のアントニオ・ラウロの4つのワルツのお手本演奏もある。

もうこれからは音楽CDをあまり買わなくなるかも知れない。iPodの時以上に、この漠然とした予感が強まったと感じる。今日は、音楽消費者としての行動パターンが、あるtipping pointを越えた瞬間だったと思う。

私はNAXOS MUSIC LIBRARYに完全に寄り倒されたのだった。

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2009.02.08

09・02・08 Walking with GPS logger

真冬である。この時期は原則としてゴルフに行かない。枯れたフェアウェイで寒風に吹かれてもゴルフ・マインドが燃えないからだ。

090124walking 12.2km

すると運動不足になり筋力が衰える。飲み食いは相変わらずなので体重が増える。よってゴルフシーズン開幕の3月頃には絶不調状態からスタートするはめになる。

そもそもわが下肢深部静脈弁不全症にとっても歩きが少ないのはよろしくない。そこでこのオフ・シーズンはGPSロガーを携帯してあちこち歩いている。

昨年末にららぽーとで友人に会う時も10km歩いたが、それにとどまらない。みなとみらいホールの日フィルのコンサートを聴きに行くのも歩いてやろうと考えた。わが港北ニュータウンからMM21まで感覚的にはとても遠い。歩いてみたら本当に遠かった。開演時間に間に合いそうにないのでやむなく片倉町から横浜市営地下鉄に頼る結果になった。でも12kmを2時間で歩いた。

090201Walking12km

先週は日吉駅までの12kmを2時間で歩いた。そして昨日は、南青山でのランチの約束に、武蔵小山駅から6.8kmを1時間半でブラブラと歩いた。

横浜や日吉に行く場合、事前に地図でルートの計画をたてるが、そもそも多少の土地鑑があるので歩き始めたら勘でなんとかなる。もっとも日吉ルートをGPSログで確認すると少し北にずれている。私が日吉の方向をそのように誤解していたことによる。

090207WalkingChezPierre 6.8km

知らない土地を歩く場合は入念な計画が必要になる。昨日の武蔵小山から南青山ルートの場合、若い頃、東京シティボーイだった私としては山手線の中はなんとかなるが、外側には暗い。

こういう時にもGoogle Earthが威力を発揮する。定規機能をオンにして、始点から終点まで道を一本ずつすべての行程を丹念にたどって行く。ズームインとアウトを繰り返し、最短ルートからなるべく外れないように道を選んでゆく。最後に合計距離を確認し所要時間を推定する。

南青山ウォーキングではGPSロガーが示す移動距離が事前にGoogle Earthで調べた距離とピッタリ一致したのにはちょっと感動を覚えた。GPSロガーの軌跡は数メートルから10メートルぐらい位置がずれることがあると感じるが、累計距離は誤差が相殺されて案外正確になるようだ。

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09・02・08 Google Earthで見た相模18番ホール

sagami


Google Earth 5.0がリリースされて海底地形が立体で見られるぞ、と話題になっている。

地上の立体表示が以前から可能だったのかどうかは知らないが、この機会にあちこち「旅」をしてみた。なかでも良く知っているゴルフコースを眺めるのは興味がつきない。

一つ前の記事に書いた太平洋クラブ相模コースの18番ホールの画像に、あの時の私のショットの軌跡を書き込んでキャプチャーしてみた。ちなみに、この白い線と赤い点はGoogle Earthの定規機能で描いたもの。軌跡に沿った距離を測定することができる。

高さは若干強調した表示にしてあるが、確かにこのとおり、ダラダラとした打ち上げになっている。マウスを置いた地点の標高がわかるので調べてみると、ティーグラウンドは385メートル、グリーンは414メートルになる。なんと30メートル近い高低差があるのだ。これは驚きである。コースで見た時に実感しづらい部分である。Google Earthの表示をどこまで厳密に受けとめてよいか疑っておく必要はあるだろうが。

定規機能でティーからグリーンまでの距離を測定すると、せいぜい354ヤードである。1打と2打の二つの線分の単純合計ではなく、短い線分をつないで斜面を這って行ったと仮定してもそんなものである。スコアカードが表示する394ヤードは、高低差33ヤードの効果を加味して出て来た数字に見える。

ならばと思って太平洋クラブ御殿場コースの10番を測定してみるとスコアカード通りの372ヤード(レギュラーティー)になる。11番ホール506ヤードも一致する。高低差のある1番ホールを2打でつないで測定しても416ヤードという表示からずれない。その他のホールも驚くほど表示と測定が一致する。

ゴルフ場の距離表示には実測値方式と実感加味方式とでも言うべきものが混在しているような印象を受けた。

で、相模18番に戻るが、Google Earthでみるとティーショットを受けとめるフェアウェイが右傾斜している。しかしこの傾斜はどうも記憶にないのである。造成のマジックで錯覚させられているのかも知れない。この次プレーする機会に確認したいと思う。

こんな具合に、Google Earthはゴルファーにとってはコース分析のための貴重なリソースである。冬場、コースに出なくてもけっこう楽しめる。素直に驚いている次第。

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2009.01.01

09・01・01 大晦日ゴルフまさかのドラマ

わが2008年のゴルフは、43回目のラウンドの最後のハーフで久々の30台を記録して気分よく幕を閉じた。

12月29日 厚木国際西コース 43(in) 49(out)=92 快晴 微風
12月30日 太平洋相模コース 42(out)48(in) =90 快晴 微風
12月31日 太平洋相模コース 47(out)39(in) =86 快晴 微風

ほとんどカートに乗らない歩きのラウンドでの三日間だったが、不思議と筋肉痛も疲労感もない。28日に10km歩いたのが効いたようでもあるし、そもそも「ゴルフ体力」が向上したような感じもある。下肢深部静脈弁不全症(もっと短い名前をつけて欲しいが)治療用ストッキングもプレー中はお休みしてみたが、足にむくみなどの異常はない。

5番ティーから4番グリーンを見下ろす太平洋クラブ相模コースはバック・ティーでも6200ヤードほどの短いコースだが、決してやさしくはない。きついアップ・ダウンはグリーンを狙う距離感をおおいに狂わせる。傾斜のある小さいグリーンはただ乗せりゃいいってもんじゃない。

大晦日の最終ホールを迎えて、握った相手に1打のリード。私のスコアはボギーかパーで30台になる。勝負的にも記録的にも緊張を強いられる状況だった。

Eagle Manこの日、前半は相手が38と絶好調。なにしろ7番の三段の棚田型フェアウェイに打ち下ろすミドルホールでは2打目約90ヤードを直接カップインするイーグルだ。グリーンは日陰の部分はまだ固く凍っていた。ところが彼の球はうまい具合にやわらかい部分に着地してから凍結部分を転がって行ったのだった。ありえないことが起きた。4番でもバーディを出しており、もう誰も彼の勢いを止めることができないと思われた。私はそのホールまでに既に二つのOBで早くも8打差。今日は負けたと観念して相方のイーグル記念撮影をするサービスをしたほどである。

ところがゴルフはわからないものだ。昼食後、二人の調子は完全に逆転した。ついに15番ホールでまさかの同スコアとなり、大接戦のまま18番のティーグラウンドに立ったのだった。

一般に最終ホールの設計は、積極果敢に攻めたヒーローの勝ちというタイプと、逆に厳しい試練に耐えたサバイバーの勝ちというタイプとに別れる。

相模コースの18番。フェアウェイはだらだらと登っており、ティーショットの距離が削がれる。一日の最後がこれかよと無力感におそわれる。左OBで左ドッグレッグの角には大きな木が立っている。まして、この日のBグリーンは左の奥。右から攻めないといけない。

18番はホールハンディ4。明らかにむずかしいのである。私はボギーでいいと考えた。パーオンを狙わない。となると1打目の距離は出なくても、とにかく右サイドに持って行くことを考えた。ティーを低めにして軽いスライスを意図した。結果はハーフトップの軽いスライスで右のラフ。

相手はいわゆるチーピン気味で左サイドOBに向かって飛んで行ったが、なんとかラフで止まってセーフ。グリーンは狙えない位置だった。

二打地点から200ヤード先、左奥の高みにある砲台グリーンはバンカーにガードされた城砦のように見える。これはサバイバーを選ぶホールなのだ。

先に打った相手はかなり芯を食ったロングアイアンのナイスショットを放った。砲台グリーンの手前40ヤードぐらいの上り斜面に止まった。私は3番アイアンでハーフトップ。右ラフ残り60ヤードほどのところに行ったが、さいわい平坦な地形だ。予想通り、三打目の寄せの勝負となった。

グリーンの面は全く見えない。ピンは受けグリーンのやや左やや奥。ピンの右から攻めて左に流れて寄せるイメージを持った。左に行き過ぎるとバンカーに転げ落ちる危険すらありそうだ。三打地点に戻り改めて方向を決め、サンドウェッジのフェースをやや開いてピンの右を狙って構えた。

ところが、なぜか私のショットは引っかけてピン方向にまっすぐ飛び出した。しかも距離がちょっと足りない。アッと声を出す。行って見ると球はグリーン左手前エッジ、ピンまで上り約9ヤード地点にあった。着地して転がって左に流れつつ下ってグリーン手前にぼれ落ちたものと想像した。とりあえずボギーを取ることは可能だと思った。

次に相手が傾斜の真下からきれいなアプローチを打った。まっすぐ飛んだ球はピン手前に落ちると斜面を転がり登って行った。速いグリーンだ。ピンを通り過ぎても登って行く。これは長い下りのパットが残るぞと見ていた。ところが今日の彼はイーグルをなし遂げた奇跡の人だった。なんと斜面を登り切った球はそこで静止せずに、今度は斜面を自ら意思を持つかのように下り始めたのだった。トロトロ、トロトロ、転がって来る。しかもカップを目指して!打った当人も私もゲラゲラ笑ってしまうほどの球のパフォーマンス。やめてくれ!と私が叫ぶと、球はカップの真上、1メートル弱のところでようやく停止した。9ヤード vs 1ヤード。これは負けたと思った。彼も勝ったような表情である。

私は入れないとダメだと思った。上りのスライスライン。問題は曲がり幅だ。

最近の私のポリシーとして、曲がりは多めに見込むようにしている。外しても残りをいわゆるプロサイドに残す作戦である。これは一理あって、プロサイドに残ったということは斜面が思ったほどでなかったということであり、従って残りのパットはより平坦な面にあることになる。逆にアマチュアサイドに残るということは、残りのパットは思ったよりも急な斜面にあるわけで、後始末で更に緊張を強いられることになる。

カップの左50センチメートルほどを狙った私のファーストパットは、打った瞬間、強すぎたと判った。しまった。しかも球はちっともスライスせずにまっすぐ斜面を登って行く。あーっと頭を抱えたくなるようなパットをしてしまった。

私の球はカップの大きく左を通り過ぎてスライスしつつ2メートル近く登ったところで静止した。と、思ったら、この球も自分で山を降りて来たのである。トロトロ、また全員の笑いを誘いつつカップに近づいて来た。約25センチメートルのところで停止した。

相手は90センチの下りのパット。触るだけと自らに言い聞かせた。そして触った。球はカップの右縁をかすめて下って行った。返しの上りも外して3パットのダブルボギー。私は1パットのボギー。

斯くして2008年の最終ラウンドはまさかのドラマとなったのだった。

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2008.12.28

08・12・28 10kmのウォーキングと病気談義

今日は鴨居の「ららぽーと」でWさんと久しぶりのランチの約束。横浜市営地下鉄グリーンラインに乗ればわけない所だが、天気もいいことだし、この際、最近の運動不足の解消を兼ねて歩くことにした。20081228 Walking (10km)

このところまとまった距離をシッカリと歩く機会がなかったためどうも足に力強さがない。しかし、5kmあたりでようやく足が目覚めて来て、運動できる身体が戻って来た。自宅から「ららぽーと」まで約7km、1時間15分。

「ららぽーと」でピザ、チーズフォンデュ、スパゲティ、ビール、ワイン、コーヒーを飲み食いしてカロリーは差し引き入超となったにちがいない。

Wさんと二時間ほどお話をした。だいたい病気の話になる。

今日は下肢深部静脈弁不全症の治療用ストッキングをつけずに歩いた。じつは、最近は、ゴルフのように、まとまった距離を歩く機会がある時はストッキングをつけない。二日連続でつけないことも珍しくない。

医師の話では静脈弁の「不全」には二種類ある。一つは、弁という部品が壊れた場合。もう一つは、弁のあたりの静脈血管が異常に広がってしまった結果として弁では血流を塞ぎきれなくなる場合。私のはどうやら後者であり、血管が正常サイズに戻ってくれば、弁の機能も正常に戻ることが期待できるという。将来どうなるのかと不安に思ったこの病気であるが、約1年半にわたる治療用ストッキング着用の効果があって、少しずつ正常に戻りつつあるようだ。

帰りは最寄りの地下鉄の駅まで歩く計画だった。距離的には約3kmと思われる二つの駅のうち、30mほど標高が高い都筑ふれあいの丘駅まで坂を登るのは避けて、丘の裾沿いに平地を行ける川和駅を選択した。既に7km歩いた足をいたわったというより、明日からの三日連続ゴルフのために体力筋力を温存したのであった。

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2008.11.16

08・11・16 サザンカは紅葉するか?

DSCF3578上総一の宮のゴルフ場でサザンカ(それともツバキ?)の一部が紅葉しているように見えた。そんな馬鹿な!プレー中だったので、まさに取り急ぎ写真に収めて、あとでジックリ点検しようと思った。

改めて写真を観察すると、右半分は葉の縁が鋸の歯のようになっているのでサザンカ(ということにしておく)に違いない。おまけに下の方の一枚の葉は先端が二つに裂けて金魚葉になっている。これはちょっと珍しいかも知れない。

左半分に写っている葉には鋸歯がない。葉の反り方もサザンカが表側が凸面になるのに対して、こちらは表側が凹面になっいる。明らかに別種だ。たぶんサンゴジュだろうと推定。調べてみるとサンゴジュは一部の枝だけが紅葉することがあるようだ。

サザンカとサンゴジュが互いに絡み合って、遠目にはまるで一つの木のように育ってしまったのだろうか。人騒がせな木たちであった。

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2008.09.28

08・09・28 スコルピオーネ軽井沢でアレアティコに再会

スコルピオーネ9月20日の土曜日、ゴルフに出かけた軽井沢の夜、イタリア料理のスコルピオーネに繰り出した。タクシーの運転手が言うには「子供は入れないらしいよ」と。我々は年寄りばかり5人だが、要するにちょっと気難しい店らしいですぜ、ということか。

そうなのかも知れないが、我々は食事を存分に楽しませてもらった。

なによりも、メニューの筆頭に上がっていたこともあり何気なく注文したバーニャ・カウダは、興味津々の逸品だった。この正体についてあれこれ考え推理していたので、デジカメに撮るのを忘れてしまったが、通り一遍のレシピではないことは明らかだった。

野菜はすべて湯通ししてあり、パリパリの新鮮生野菜は出さない。それもちょっと珍しいとは思う。だが、なによりも、バーニャ・カウダのソース自体が独特なのだ。

一見してわかるのは、オリーブオイルがソースに浮いていないということ。というより、果たしてオイルが入っているのだろうか?と訝しく思われるほどだ。

口に含むと、ひときわクリーミィで滑らかな食感があり、非常に丁寧に裏漉ししてあることがわかる。

バーニャ・カウダは、ともすると、オリーブオイルの緑色とすりつぶしたニンニクのペーストが相まって、カニミソを思わせる仕上がりになるモノが多い。しかし、ここのは色が肌色のように明るいし、質感もカニミソを更に漉したような感じだ。見た目も味わいもニンニクの気配がほぼ完璧に消えている。ひょっとしてニンニクを使っていないのではないか?!いや、ニンニクの他にも何か入れているのではないか?という感じがしないでもない。

アンチョビ臭はかなり弱め。十分に塩抜きして使っている感じ。感覚的にはアンチョビ・ペーストをほんの微量たらしただけのように感じる。

メニューにバーニャカウダと書いてなかったら、それとは気付かないで食べたかも知れない。

なんか変だなと思って、同席した仲間に、そもそもバーニャカウダはニンニクを牛乳で煮込んで…して…したモノなんだが…と話していると、老オーナーシェフ氏が往年の日活映画の宍戸錠のように「チッチッ」と軽く首を振りつつ絡んでくる。違うと言いたいらしい。

そもそもバーニャカウダは30年以上も前にイタリアから戻ってきた時にメニューにいれたものとのこと。店の客は老齢で歯の具合がよろしくない人も多いので、野菜はやわらかく茹でることにした。ソースも日本人の味覚に合わせる工夫を凝らしたというが、作り方は教えられないという。「キノコが入ってますかね」「生クリームかな」等と探りを入れてもニタッとするだけで答えない。

話を変えて「スコルピオーネ」という店の名前の由来を尋ねたら、これはイタリアの車の名前から取ったという。

DSCF3371食後、デザートワインについて、メニューに載っていないが、アレアティコがあるかどうか、だめもとで若いソムリエに尋ねてみた。10年ほど前に、銀座のトリフジで、濃い果実味の甘さと酸味の絶妙なバランスをそなえたこのワインを味わって以来、色々な店で尋ねてみるのだが、多くのソムリエは首を傾げるばかり。イタリアではごくごくあり触れたアレアティコ種のブドウによるデザートワインだと聞くのにおかしいではないかと思って来た。

スコルピオーネのソムリエ氏もまずは首を傾げたが、ちょっと調べて来ますと奥に下がった。しかし彼は、なんと、一本のビンを持って戻って来たのである!ワインリストに特集として掲載していた日本人が関係しているイタリアのワイナリーの商品の中にあった、というのだ。アレアティコに再会できるとは!私も初めてのことに大いに驚いた。そして、飲んで感激、これぞ長年イメージして来たワインだった。

そのワイナリーだが、確かにワインリストに一枚の特別リストが挿入されていたことは記憶していた。改めてネットで調べてみたが、たぶんこのブリケッラ農園に違いない。ALEATICOのボトルが写っている。ブリケッラのホームページもあるが、こちらの商品リストには載っていない。

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2008.09.24

08・09・23 DVDで「笛吹童子」を確かめる

1954年(昭和29年)4月~5月に公開された東映の「笛吹童子」(145分)をとうとうDVDで観ることができた。朝から夕方まで、「紅孔雀Ⅰ」(166分)「紅孔雀Ⅱ」(106分)と合わせて延々417分間、スクリーンの前に座っていた。

DSCF3405当時、映画館でこれを観たのかどうか?たぶんテレビでだったと思うのだ。今日の常識では考えにくいが、テレビの受像機台数がまだ少なかったあの頃、映画のヒット作品をテレビで放映したって映画館が損害を被ることはなかったはずだ。したがって新作映画の放映料もたかが知れていたはずだ…と推論できる。やはり、私は自宅のテレビで観たのではないかと…これも推論だが。放映されたのはもっと後の話だったぞ、と言われればそうかも知れないとも思う。

余談だが、昭和29年頃のこと、日本テレビの生放送ドラマ「西遊記」という番組宛に母が私の名前でファンレターを出したら、なんと、葉書で返事が来て「スタジオに見学に来ませんか」と書いてある。長谷川さんという人からだった。もちろん親子で麹町まで出かけたものだった。それほどテレビというメディアがマイナーな時代だったのだ。

DSCF3408「笛吹童子」は、福田蘭童・作曲の主題歌はもちろんよく覚えている。中村錦之助、東千代之介、高千穂ひづる、大友柳太朗、月形龍之介の姿や声も記憶にある。原作者が北村寿夫だったことも、そうそうと思い出せた。

しかしストーリィが思い出せない。これが三部作だったということもDVDを買って初めて気付いたほどだ。「どくろの旗」「妖術の闘争」「満月城の凱歌」とある。そもそも「笛吹童子」「紅孔雀」「七つの誓い」が「新諸国物語」というシリーズを構成していたこともわかっていなかった。それどころか1956年12月~1957年1月公開の「七つの誓い」は題名すら記憶にない。

作品として鑑賞するというよりは、わが幼い子供心を揺さぶった「笛吹童子」は一体何だったのか知りたい、という気持ちで観ていたが、そういうことだったのか…と制作者である当時の大人たちの意図を感じるところがあった。

少しの時間差で戦後生まれとなった私にはわからないことだが、昭和29年、人々はまだ戦争の記憶が生々しかっただろう。当時住んでいた大森から池上にかけての辺りでは空襲で破壊された工場や学校の瓦礫がまだ残っていた。外地から引き揚げて来た人も多かった。我が家も上海からの引揚者である。ラジオでは常に「尋ね人」の放送があった。離ればなれになった家族を探す人が珍しくなかったのだ。過去を引きずりつつも新しい時代を自由に生きるアプレゲールも現れていた。

「笛吹童子」では時代を応仁の乱の直後に設定している。丹羽一族の「満月城」は野蛮な野武士・赤柿玄蕃に乗っ取られるが、城主の正統性の証である「白鳥の玉」は渡していない。城主の遺児となった萩丸(東千代之介)と菊丸(中村錦之助)は留学先の明の国から戻り城の奪還を誓うが、萩丸は満月城に戻り武術で、菊丸は京に残り笛と面という芸術の力で敵に立ち向かう。大江山に住み妖術を使う霧の小次郎(大友柳太朗)は既成秩序のしがらみから外れて自由奔放に酒浸りの日々を送るが、生き別れた妹の胡蝶尼(高千穂ひづる)を探し求めている。このような設定の中で、萩丸と菊丸の兄弟が再会し、霧の小次郎と胡蝶尼の兄妹も再会するのである。

戦後間もない日本の多くの家族が経験したプライベートなドラマがこの映画に投影されていると見ることができる。もちろん「満月城」は敗戦し占領された日本であり、それを若者の文武両面の活躍によって奪回するのだ。霧の小次郎はアプレゲールだろう。この作品はこうした暗喩に満ちており、それを通じて、戦争で傷ついた日本人を励まそうという心が伝わって来る。単なる娯楽映画ではない。

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2008.09.18

08・09・18 ヘビの脱け殻

で、十里木で青いマムシグサを見た翌週、近くの御殿場で今度はヘビの脱け殻に出会った。現物を見るのは初めてだ。人類はヘビに対して根源的な恐怖心を植え付けられていると思うのだが、脱け殻は妙に間抜けな姿を晒しているようでまったく怖くない。DSCF3335

生身のヘビを目の前にすると、すくんでしまって何も言えずに黙り込んでしまうのだろうが、脱け殻になっちゃったら、あんなこわい蛇についてだって、あーだこーだ好き勝手な論評をするだろう。

ヘビってのは、草むらに身を潜めつつ、自分の脱け殻が人間によってどんな扱いを受けるのか、観察しているのかも知れないな。

それにしても、この透明でプラスティック風の精密な構造体は、Speedo社のLaserRacerではないが、ハイテクのスポーツウェアを思わせる。いかにもみごとに脱ぎ捨てられていて、ついさっきまで、この殻が生命体の皮膚そのものだったとはとても信じられない。

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08・09・18 マムシグサのまだ青い実

この写真は9月6日に十里木カントリークラブで撮ったもの。次のホールのティーショットを待つ時間があったので、ティーグラウンド周辺を探索したところ、思いがけずも見つかったのがこのマムシグサのまだ青い実である。未熟な実は初めて目にした。実際、草むらを遠くからぼんやり見ていたのではまず見つからなかったはずだ。DSCF3221

熟すとけばけばしいほどに真っ赤な実が遠目にも目立つのだが、その前は、ひっそりとあたりの色に紛れて目立たないようにしているとは、当たり前なのかも知れないが、驚かされた。ここにこの植物のサバイバル戦略があるのではないかと考えさせられる。

マムシグサは、私の直感的な観察によると、ひとつの場所に群生している印象がある。すなわち根茎を蔓延らせて増えることを主たる戦略とする植物ではないかなと感じる。やがて赤くなる実を鳥類に散布してもらった結果だとしたら?それはこの実に猛毒があって?鳥がこの植物の根元に倒れて死骸となり養分を供給するからだろうか。万にひとつでもそういう収穫があれば、根茎ファミリーにとって大きなメリットがあるに違いない。ダメモトの赤い実なのか?

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2008.09.04

08・09・04 トルティージャ・チップス

私はメキシカンというかテキサスというか、特徴的なクミンの臭い(あえて香りと言わない)のする料理がわりと好きだ。チリビーンズなんかはムッと汗臭い感じで最初は抵抗があったが、いつのまにか懐かしい味になっていた。納豆ほどではないにしても、いわゆるacquired tasteにちがいない。

カリフォルニアでメキシカンの店に行くと頼まなくても出て来る突き出しみたいな位置づけにあるのがトルティージャ・チップスだった。ポテトのかわりにトウモロコシの粉で作った歪んだ三角形のチップス。ポテトチップスに比べると肉厚で堅いので、トマト・チリ味のサルサ(ソース)をすくっても形が壊れない。薄っぺらいポテチでは難しい芸当だ。味はやや淡白というか旨味に欠けるというか、スナック菓子になる以前から存在した素朴な食べ物という感じがする。

だが、食前にビールを飲みつつこれを食べ始めるとやめられなくなる。チップスが切れると追加を頼む。ビールジョッキが空になるともう一杯。よく考えるとチップスがタダだと安心させつつビールで売上を稼ぐというビジネスモデルだったようだが、やめられなくなる本当の原因はサルサだと思う。

かつて日本では輸入物のトルティージャの代表銘柄と言えるドリートスは売っているのだがサルサがなかなか見つからないという、トルティージャ好きにとっては悩ましい時代があった。仕方ないので当時サルサは自作していたものだ。ハラペーニョが手に入らないので、ほかの種類のトウガラシで代用したりしたが、クミン、クローブなどのスパイスを適当に入れるだけでそれらしくなった。

たしか20年ほど前だと記憶しているが、明治製菓だったか?袋詰めのトルティージャ・チップスを発売したのだが、どういうわけか、サルサがついていない。刺身を売り出して醤油を教えないようなもので、これではトルティージャの本来の魅力は伝わらないよなと見ていたら、いつのまにか棚から姿を消していた(と思う)。

あの当時に比べると今はサルサを売っている店はそこら中にある。しかも辛さも色々取り揃えている。

そして今日知ったのだが、サルサ入りのコーンチップなんていうモノまで出ているのだ。ようやく刺身とワサビが一緒になった!たいへんにめでたいことである。

このコーンチップ、9月22日新発売らしいので当然まだ食べていないのだが、ちょっと気になるのはチップの厚さだ。はたしてサルサをシッカリとすくうことができるかどうか。さらに、食べ過ぎになりやすいスナックだけに塩加減は控えめであってほしい。もう一つきになること。トウモロコシがバイオ・エタノール用に栽培されるという時代のコーンチップは、果たして将来的に値上がりしないだろうか?

トルティージャ・チップスとビール。これが普通の組み合わせだろう。真夏だとビールはコロナのような軽いのがいい。濃い日本のビールを炭酸水で割ってしまう手もある、真のビール党の人は呆れるかも知れないが。

ワインだと、ポルトガルの微発泡性の度数の低いワインであるヴィーニョ・ヴェルデ(Vinho Verde)なんかがいいかも知れない。これはたぶんガブガブ飲むためのワインだと思うのでビール代わりに使える。

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2008.08.17

08・08・17 ららぽーと横浜

DSCF314515日のゴルフの帰りにららぽーと横浜に寄った。私にとっては夏休みだったが、平日、金曜の夕方の時間帯に、大変な人出である。ガソリン高騰で遠出を嫌い近場で済ませているのだろうか。もともと近くにショッピングが楽しめる大型の施設が少なかったことは確かだろう。眠れるニーズを見事に掘り起こしたように見える。

この場所は以前は工場だった。面白いことにGoogleマップの航空写真はまだ工場時代のまま。しかしストリートヴューは「ららぽーと」に変わっている。

DSCF31483階建ての、とにかくでかいモールだ。両端にデパートのような大型店を配して、それを結ぶプロムナードに沿って無数のブランドショップが並んでいる。こういうフロア構成は30年前にニューヨーク郊外のパラマス・パークで見たのと設計思想は同じだ。当時、わざわざ日本からパラマス・パークを見学に来る流通関係者は多く、駐在員として案内したこともあったような記憶がある。

あれが今、横浜にこうして見事にコピーされて現出して、しかも賑わっている。

3階のシネコンを覗いてみた。ホールの中に入るとたちまちポップコーンの香りが流れて来た。ああ、これもアメリカの臭いなんだな。ちょっと小津映画なんかを上映するのには向かない場所かなと感じた。

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08・08・17 リシャフト効果を考える

一昨日15日のラウンドでシャフト交換の効果は明白になった。

ShaftDifferenceあれほどスライス気味だった球筋が明らかにストレートに近づいた。時にドロー気味にもなる。なりすぎて左OBも出たが。飛距離も伸びた。シャフトのキックが効く感じがあり、球がグンと伸びて行く。

改めて考えてみると、以前のシャフトは手元調子だったのかなと推測している。図のブルーのケースである。

10年前はヘッドを走らせるスウィングを心掛けていた。トップでは、腕の長さにシャフトの長さをプラスしたような、左肩を支点とする長い半径の回転運動を意識する。持ち上げたヘッドが自分の重みでゆったりと自然落下を始めるそのタイミングを捉えてダウンスウィングに切り替える。ダウンスウィングでは、ヘッドの遠心力に負けないように、グリップをできるだけ身体の近くにハンドダウン気味に引きつける。感覚的には、オヘソの前で腕とグリップが一瞬静止し、そこを支点としてシャフトだけが回転運動を続ける感じになる。トップから始まった回転運動のエネルギーは、半径が急に短くなった分ヘッドスピードの増加に転換する。むきになって振るわけではないのに、静止するグリップの前をヘッドがビュンと高速で追い越して行く感じがある。インパクトに向けて回転運動の半径が急に短くなるスウィングには手元調子がフィットしているのではないかと思う。

今はボディーターン重視のスウィングをしているつもりなので、グリップをオヘソの前で止める意識はない。インパクト前後でも回転の支点はグリップよりも肘あたりにあると意識している。だからだと思うのだが、ティーアップの際の球の位置が左足の前でないとシックリ来ない。それより右寄りでは違和感がある。回転運動の支点はトップで左肩だが、インパクトでも左肘までしか降りて来ないから、回転半径は二の腕の長さだけ短くなるだけである。同じ時間の中で腕一本分の長さ半径を縮める急加速型の10年前のスウィングとは大違いである。

ボディーターン・スウィングは回転半径を縮めることによる加速効果をあまり使わないかわりに、左肩の回転の恩恵をより多く受けることができるように思う。まさにボディーターンと言われる通りである。

ということで、私のスウィングは以前にくらべて加速がゆるやかになっているに違いない。以前のシャフトでこういうスウィングをすると、シャフトが適度に撓った状態から元に戻る切っ掛けを与えられないままヘッドが開いた状態でインパクトを迎えるのだろう。だからスライスする。その点、図の黄色い線が示す中調子のシャフトはこのスウィングでも撓って復元するサイクルをちゃんと起こしてくれるようだ。

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