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2004.01.03

04・01・03 「信条倫理」 だったとは!

大昔、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」で「心情倫理」と「責任倫理」という概念に触れましたが、なんだか誤解していたみたいです。

先日ブックオフで100円で買った一冊は森嶋通夫「政治家の条件」という岩波新書#199。
そのはしがきに

政治を論じるとき、私は、マックス・ウェーバーの名講演「職業としての政治」軸にして分析すべきだと思いますが、不幸にしてこの講演のキー・ワーズの訳語が適切でなかったために、ウェーバーの考えは日本では徹底しておりません。本書の第三章では、私が適当と思う訳を与えておきましたので、…
とあったので、どういうことだろうと購入したというわけです。

一般的な理解では、
「心情倫理」は、物事を行なうにあたって意図が正しいかどうかが大事だという考え方です。結果がまずくても「良かれと思ってやったんだから仕方ないじゃないか」と許す。

「責任倫理」の方は、如何に善意に基づく行為であっても、結果がまずければダメだ、責任を取れ、という考え方です。

森嶋先生は「心情倫理」という訳が問題だといいます。もともとのドイツ語はGesinnungsethikで、ethikは倫理ですが、Gesinnungは「心情」もあるが「確信、信念」という強い思いをも意味するというのですね。

ウェーバーがこの講演でGesinnungspolitikerという時は明らかに「信念の政治家」を意味しているので、Gesinnungsethikも「いかなる状況にあっても信念をつらぬくことを善しとする倫理」が妥当な解釈だというのですね。だから、あえて旧訳の音を尊重するなら「信条倫理」だと言います。

たとえば、政党が、国民に理解されにくい政策を掲げ、国家100年の計との信念から選挙で愚直に潔癖にその理解を訴えたとしても、普通は負けます。これが「信条倫理」の政治家です。

これに対して「責任倫理」の政治家は、国民が受け入れやすい政策を表に立てて、まず、政権を取ることが先決という作戦に出ます。政権をとらなければ信念の実現はできないのですから。

よく言われる、国民受けは良いが実は国家財政を傷める"soft heart"の政策と、不人気だけど実は口に苦い痛みをともなう良薬である"hard head"の政策との対比に通じるところがあります。

信条や信念がなければ政治家になる意味がない。しかし、その「信条倫理」で突撃して自滅するようではだめで、実現のために「責任倫理」も取り入れて行動する「バランス感覚」が政治家には重要だということです。

昔のウェットでセンチメンタルな「心情倫理」というニュアンスからはこういう議論は出てきませんよね。「心情」を「信条」に置き換えて「信条倫理」の政治家と言っただけで全くイメージが変わってしまいます。
Gewurztraminer and Late picked Riesling二つのワイン
04・01・02 渋谷区松濤
Copycenter 2004 Akira Kamakura

ライチの香りのGewurztraminer種のアルザスワインと、ニュージーランドはPegasus Bayの遅摘みリースリング。なぜかこれは度数が8.5%しかないのが不思議。山葵と刺し身にはこういう甘めの白があうと考えて新年会に持参し、ほとんどを自分で飲んでしまいました。

考えてみると、日本では、野党が「信条倫理」いや「心情倫理」でしか動いていないことを国民はちゃんと見ていて、一度も野党に単独政権を与えませんでした。昨年の総選挙ではじめて、民主党が「信条」と「責任」のバランスをとれる野党かもしれないと認知されたばかりでしょう。

近年の自民党政治は、「信条」は霞ヶ関からの借り物で、あとは、密室での派閥間の妥協と談合の中で派閥と政権維持の「責任倫理」だけで動いているように見えたものです。これに対して、小泉首相がいろいろあっても高い支持率をキープしているのは、彼が自民党には珍しい「信条倫理」を唱える政治家だからではないでしょうかね。

また、総理大臣にしたい人というアンケートで石原都知事がトップになれない一つの理由は、日頃の言動から彼が「信条倫理」偏重で「責任倫理」をやや軽視するきらいがあることを国民が危惧してのことでしょう。

経営者にも「信条倫理」と「責任倫理」のバランスは求められるだろうと感じます。

たった100円の本でいい勉強をさせてもらいました。本の値段と内容の価値はまったく関係ありませんでした。

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コメント

1991年に出版された森嶋先生のこの本を読んで学生時代の誤解を反省した私はよほど遅れていたに違いないと思ってgoogleを検索してみて驚きました。

世の中はいまだに「心情倫理」的解釈のままです。

「幸いにも現在流布されている新訳(脇圭平訳、1980年)では非常に改善されているから、ウェーバーの主張はやがて日本人の間に浸透するであろう」と書かれてから13年。

森嶋先生の「やがて」は相当長くなるかも知れませんね。

投稿: bee | 2004.01.04 23:37

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