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2004.01.04

04・01・04 blogはノビルか?

この世の中に「雑草」という草はなくて、ちゃんと名前があるのだ、というのは、色々な意味で言われることです。

植物に名前があるのは当たり前だけど、その社会的価値が多くの人に認められているかどうか、それが「雑草」と「野菜」「果物」などとの違いでしょう。人間だと一人一人に名前があるのは分かっているけど、やはり、「有名人」と「一般人」を区別するでしょう。
ノビルノビル
Allium macrostemon
03・12・27 横浜市青葉区
Copycenter 2003 Akira Kamakura


たとえばこの写真は「ノビル」です。我が家の近所のいたるところにモジャモジャと雑草のように生えています。食べるとオイシイのですが、まず採っている人を見たことがありません。

ノビルや土筆どころか、このごろは少年少女諸君も、道端のおいしそうな木の実ですら食べたりしないようです。うちの隣の小学二年生のユイちゃんにしても、境界に植えたグミの実を食べてくれません。オジサンにしたって、先日、ゴルフ場で「おんこの実」をもいで食べていたら「それ食べられるんですか?」とキャディーに言われてしまいました。

しかし、そういう人々も、「雑草」が「野菜」然としてスーパーの棚に陳列されると手を伸ばすわけですよね。「食べて大丈夫だろうか?」というためらいが自動的に消滅するのです。

blogはノビルか?と書いたのは、blogは「伸びるか?」ではなくて「野蒜」に似ているんじゃないかな、という意味だったのです。

道端に生えていようとスーパーの棚に並んでいようと、植物としてのノビルはノビルです。でも、棚に並ぶということはマーチャンダイザーの選別を経たことを意味しています。(念のために補足しておきますと、ノビルをスーパーで見たことはありませんよ)

私たちの社会には新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどのマスメディアがあって、どの情報が大事でニュース価値があるかを決めて報道しています。いわば原っぱからノビルを採ってきて、それを棚に陳列するかどうかを判断しているようなものでしょう。

そういうイメージで言いますと、blogは、今のところあちこちにおいしそうなノビルの株がモジャモジャと育っている状態だなと感じます。

タラノメやウドなどの山菜にもたとえられます。それぞれの株にわずかばかりの固定客がいて、春になると確実に採りにくるんですよね。その人たちは山菜の目利きであったり、友人から「これは食べるとオイシイよ」と教えられたりした人でしょう。

blogがbloggerの間で注目されて、やがてマスコミという巨大なhubに取り上げられて「野菜」や「果物」に変質するという展開は当然あるでしょう。それはそれで決して悪いことではないと私は思います。

ただ、それだと「果物」や「野菜」の新商品開発でしかないところが物足りない。

ネットワーク社会というからには、ノビルをノビルとして食することにならないと面白くないですね。でも、そこがもっとも難しい点だろうと予想します。

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» blogの進む道 [あそびをせんとやうまれけむ]
なんとなく共振できる記事があったのでクリップ。 ネットワーク社会というからには、ノビルをノビルとして食することにならないと面白くないですね。 [続きを読む]

受信: 2004.01.04 14:26

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