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2004.05.03

04・05・03 戦前の陸軍射撃場の航空写真

たびたび引用している1947年の航空写真ですが、初めて見た時から気になっている妙に四角く細長い地形があります。どう見ても自然地形ではなく、土木工事の跡としか思えません。

Kokugakuin.JPG地元の人間なら、この場所は今は國學院大学のグラウンドだと判るでしょう。しかしそれは最近の話であって、調べるまでもなく、終戦直後にこんな場所にキャンパスを構えていた筈はありません。一体何だったのか?時代背景から軍用施設という線がまず頭に浮かびます。

四角い地形を良くみると東西と北側が高い土手になっています。土地の真ん中にも土手らしき構造が南北に走っています。

なんだか未舗装の滑走路のようにも見えるが、高い土手が邪魔で飛行機の離着陸には無理がありそう。軍用設備だと仮定して、土手が必要な設備だとすると弾薬庫かな?でも建屋が見えないのが不自然…。

考えても分からないので山内図書館に行きました。郷土史の棚から適当に選んだ一冊が私の疑問の標的をピッタリと射抜いてくれました。「山内のあゆみ─石川篇─」(横溝潔著 音羽書房1996年)の221ページに「射撃場から國學院大グラウンドへ」という項があるのです。(リンクしたのは「ホームページ自費出版図書館」のサイトにある紹介です)以下に一部を引用します。

この地を含め元石川の多くが、陸軍第一師団の溝ノ口演習場に指定されたのは昭和十六年のことであった。

ある日突然、元石川の関係地主は軍からの命令で印鑑持参で山内小学校に集められた。憲兵の警戒の中、御紋章付の"モナカ""タバコ"を「有り難く頂け」と差し出され、その場で現在の國學院大グラウンドを中心とした広大な農地が軍に買収された。
・・・・(途中省略)・・・・

工事の大雑把な内容は次のごとくであった。まず第一は東と西の両側の土堤の築造、高さは七〜八メートルに及び、延長およそ八00メートル余り。…両側の土堤の間に一本また土堤を作った。これは高さ五メートル程度。左右の射撃場所の分岐の役目。そして、真北の最前列に左右六つずつの的が十二個設置された。その的の下には監的壕が掘られていたが、バックネットの辺りが丁度その入口になっていた。

そして銃座は、的より五十メートル、一00メートル、二00メートル、三00メートル、四00メートルの地点に壕が掘られていた。この射撃場の下には暗渠が二本通されている。そして一番南の端、現在のテニスコート辺約七千平方メートルが集合地であり東名ガード下に番小屋、監的壕の入口近くに倉庫と、建物は二棟であった。

なるほど、これで地形の謎が解けましたが、おまけであと二つの謎もほぼ解けました。

(1)ギシギシの場所
じつは、私がこれまでギシギシやスイバを観察していた場所は上の記述のテニスコートの南端の南斜面です。同書によると、このあたりはもともよく肥えた土地だったそうで、確かにギシギシの育ちが良いのです。ただ残念なことに先日行ったら他の雑草もろともキレイに刈り取られていましたが。

(2)桜並木はなぜここに?
あの立体写真におさめた桜並木が旧大山街道から外れていたことはその後判っていましたが、ならば何だったのかがわからなかった。しかし、どうやらあれは陸軍射撃場の下を流れる暗渠沿いの道だったのではないかと思われます。

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