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2004.05.19

04・05・19 私たちのゴルフの掟

完全ノータッチ、完全ホールアウト。これに尽きます。もちろんルールブックには完全服従。マッチプレーではなくてストロークプレーの場合であることは言うまでもありません。

知らない人はゴルフというゲームにそもそも審判が存在しないということを知らないようですが、ゴルフは、ルールはあるのに審判はいません。だから審判の役割は自分がやるしかないのです。自分で自分を公平に客観的に確信をもって裁くことができるか、これはゴルフ精神の試金石と言ってよいでしょう。

ノータッチは、どんなに手入れの悪いコースであっても、フェアウェイだろうがラフだろうが、たまたま球が停止したライの状態を一切改善せずに次のショットをするということです。ライを改善したのでは?と同伴者に疑われるような行為すら恥じるのがゴルファーです。ローカルルールで6インチ・プレース可となっていてもノータッチでやります。

要は、私の考える、というより先人から学んだというべきゴルフの楽しみとは、ライが悪くても良くても、いかなる幸運も不運も等しく現実として受け入れるところから始まります。現実とシッカリと向き合う。そして、その状況下でいかなるマネジメント手段が残されているかを考え、その判断力と実行力を楽しむ。これがゴルフです。いいスコアを喜ばないということは無いにしても、それより、適切な状況判断ができた時には、スコアに現れない内面的な喜びがあるものです。

完全ホールアウトは、いわゆるオーケーをしないということです。なぜならストロークプレーにおいて、自分だろうが他人だろうが、ストロークを省略することを認める権利は誰にも与えられていないというのが理屈上の根拠です。

しかしもっと深くゴルフ精神に踏み込んで言うならば、たった10cmのパットだって失敗はあり得るという人間の現実に正面から向き合うべきだということでしょう。

同伴競技者が残した微妙な距離をオーケーと言うべきかどうか悩むことは、けっこう疲れます。完全ホールアウトにすれば、この馬鹿馬鹿しい、しかも無意味な悩みから全員が解放されます。

ある人がゴルファーかどうか、その判定基準はいいスコアをだす技量の有無ではなくて、こうした精神性を着古したシャツのように身につけているかどうか、そこに懸かっていると私は考えます。

マイケール・マーフィ著「王国のゴルフ」"Golf in the Kingdom"もそういうことを言っているのだろうと思います。これはフィクションなのかノンフィクションなのかわからないもどかしさがありますが、深い精神的影響力を持っています。

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