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2004.06.23

04・06・23 校歌の名曲、牛込第一中学校

幼稚園の校歌(じゃなくて園歌でしょうが、なんかヘンか?)は今でもだいたい覚えています。「お手々をつないでまいります。楽しい楽しい…。ここです、みこころ幼稚園。」今にして思うと、なんだかコマーシャルソングみたいな歌詞です。大田区山王にあったこの幼稚園はもうありません。

小学校は九段のカトリック系の学校に2年間。その校歌は歌詞こそ日本語でしたがフランスの歌で、フレージングといい和声といい、当時としてはとてもオシャレに聞こえました。歌詞は「来れ我に黎明、開け雲の翼…暁星、暁星、我等が希望」だったと思う。
【2007年1月31日 追記】その後、ふと思いついて暁星のホームページに行って見て驚いた。子供の頃からフランスの歌だと思い込んでいたこの校歌は、なんと山田耕筰の作曲だったのだ。おまけに歌詞は北原白秋という豪華なコンビだった。暁星の校歌はここで聞ける

3年生から転校した新宿区立市ヶ谷小学校の校歌も覚えています。「名も二つなき市ヶ谷の…」この歌詞は子供心にも決して感銘を与えるものではなかったな。音楽的にもつまらなかった。ただ校庭に持ち出した足踏みオルガンのフガフガいう伴奏の音との相性だけは良かった。

高校の校歌ももちろん覚えています。この校歌は確か学生が作ったもので、混声四部合唱を想定したものでしょう。穏やかな三拍子が途中で力強い二拍子に変わる変則的な音楽で、素人作曲家がちょっと奇を衒ったかなと感じさせる作品です。ま、そうは言っても、何十年ぶりかの同窓会に出席して思い出にひたって歌うと、思わず胸が詰まるものです。ただその良さは部外者には伝わらない。

問題は中学校の校歌です。

私は在学当時からこの新宿区立牛込第一中学校の校歌が大好きでした。「高きにありて、青空のぞむ、牛込よ我が学舎、我が学舎、明るき知恵をここに汲み、教養高き人とはならん、光よ、夢よ、憧れよ」という歌詞も好きだったたけど、とにかく山田耕筰作曲の音楽に胸が躍りました。

伴奏は足踏みオルガンではなく、ブラスバンドじゃないと様になりません。それどころかトランペットの華々しいファンファーレで始まるこの曲は、独立したブラスバンドのマーチとして十分に聴ける音楽だったのです。

私が牛込一中に入学したのは昭和35年頃ですが、母校のホームページで調べると
昭29.10. 3 第6期校舎増築工事落成校歌を制定する。
とあります。西暦で1954年に歌は誕生した。

音楽辞典によると山田耕筰は18661886-1965でしたから、この時、なんと8969歳?!ちょっと信じがたい計算になりますが、最晩年だからこそ若い世代のために心を込めて書いてくれたのかも知れません。
【追記04・06・27】例の音楽辞典には確かに1866・6・9-1965・12・29と印刷されています。しかし今朝の日経にたまたま山田耕筰の記事があり、そこには1886年生まれとありました。音楽之友社は明らかな誤植ですね。

さて、卒業後も私は母校の校歌が名曲であると心の底で信じて疑いませんでした。校歌というものが持つべき気高さ、眠れる向上心を揺り起こし鼓舞するエネルギー、そして皆の音楽としてのほどよい音楽性の豊かさを備えている。

時は巡り、1980年代のどこかでしょう。黛敏郎の「題名のない音楽会」という番組で校歌特集をやった時に偶然チャンネルを合わせていました。

私はひょっとしたらと思い、ちょっと息を潜める感じで番組の進行を見守りました。すると、驚いたことに!わが牛込第一中学校の校歌が数少ない名曲の一つとして紹介され高らかに演奏されたのでした。もう叫びたいほどの感動で涙が止まらなかったなぁ。

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コメント

山田耕筰は生前500曲以上の校歌、社歌などを作ったという話を見たことがあります。「題名のない音楽会」で扱われたということは、その中でもとくに気合をいれた作品だったのでしょうね。
校歌、という一定のスタイルの制約の下で500曲も作ったら、同じような曲になってしまうのではないかと思うのですが、すごいことですね。
後はトラックバックでも書かせていただきます。

投稿: 善福寺手帳/yoshioka | 2004.06.25 21:45

古い記事へのコメントで申し訳ありません。
私はつい先日牛込第一中学校を卒業した者です。私もあの校歌がとても好きで、この記事をみて嬉しくて思わずコメントしてしまいました。
最初はなんとも思わなかったあの曲も、回数を重ねるごとに本当に好きになりました。卒業式でも歌っていると改めていい曲だなぁと思い思わず涙が出てきました。そういう思いを抱いている人が他にもいるんだなぁ、と思い、なんだか言葉に出来ない気持ちです。
「題名のない音楽会」のことは知りませんでした。そんなによそにも認められているとは・・・。一中の誇りとして大事にしていきたい一曲だなぁと思います。
いい記事に出会えてよかったです。

ちなみに私は市谷小の卒業生でもあります(^_^);A

投稿: M.S. | 2006.03.21 23:32

M.S.さん、コメントをありがとうございました。

たしか数ヶ月前にも別の同窓生の方から共感メールをいただきました。

多くの卒業生の心の中に残り続ける、まさに名曲との思いを新たにしました。

投稿: bee | 2006.03.22 00:05

はじめまして。実は私も市ヶ谷小学校、牛込一中卒なのです。牛込一中の校歌は私も良く覚えていて大好きなんです。今でも歌えますよ!

投稿: なほ | 2009.05.29 18:13

なほさん
コメントをありがとうございました(遅くなりましたが)。素直に夢や憧れ歌って違和感がなかった時代が懐かしいですね。まだシラケドリは飛んでなかったのです。

投稿: bee | 2009.06.05 23:22

 感激です。私(今年65歳になります)も、市ヶ谷小学校に1年生から4年生までおり、再興された愛日小学校に5年生・6年生と在校。そのあと牛込一中に入りました。仰るとおり、あの校歌は最高です。ブラバンにいたこともあり、あの前奏の血が騒ぐような勢いのあるメロディーが今でも鮮明に思い出されます。生でまた聴きたいものです。

投稿: 平尾昌宏 | 2011.02.18 13:43

平尾さま

コメントを嬉しく読ませていただきました。あれは名曲だとの思いをまた強くいたしました。私も生演奏で聴きたい!

私も一時期ブラバンにいましたが、なんとクラシックギターを弾いていました。当然音量で他の楽器に負けてしまうのでマイクを置いてもらっていました。「立派な青年」という曲を弾いたことをおぼえています。今はプロのジャズ・ミュージシャンになっている山田慧君がギターのパート譜を作曲してくれました。

投稿: bee | 2011.02.18 22:50

校歌の検索から、立ち寄らせて頂きました。私は昭和25年生れで、市谷小学校、牛込一中卒業生です。校歌の特徴から、高校も共通かと思われます。校歌はそれぞれよく覚えており、懐かしい感慨に浸ることができますね。

投稿: 田淵 康治 | 2012.05.10 14:16

田淵さま

コメントありがとうございます。8年前に書いた記事がいまだに読まれていることに驚きます。あの校歌の効果は凄い!

投稿: bee | 2012.05.10 18:25

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 母校のすばらしい校歌について書かれていた鎌倉さんのブログを読んで、 私も通った学校の校歌を順に、全部思い出しました。さすがに幼稚園の園歌までは 思い出せな... [続きを読む]

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