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2004.10.11

04・10・11 少年サンデーNo.35=1959年11月22日号

とうとう一冊見つけました、わが想い出の少年サンデー。

01DSCF4434.JPG少年サンデー1959年11月22日号
2004・10・10
横浜市都筑区 Copycenter 2004 Akira Kamakura

表紙をセロテープで補修しているところをみると、これは昔から自宅に保存してあったもののようです。仕入れ値30円ということになります。私は小学六年生。一緒に写っているのは市ヶ谷小学校の同級生の飯田暁子さんの弟さんだ。撮影場所は私の家の自分の勉強机の前ですね。二人の頭の間の奥にチラッと見えている少年サンデーの表紙も私の出演したものです。

10年ほど前のこと、神保町の古書センタービルの二階にある欧風カレーのボンディの順番を待つ間、ヒマつぶしに同じフロアにあった古書店にふらっと入りました。たしか中島書店中野書店。コミック本が多い店の一つの棚に少年雑誌の古いバックナンバーが揃っていて、少年サンデーも創刊の頃の号なんかはビニールに包まれている。まさかなぁと思いつつ一冊ずつ抜き出しては表紙を確認すると、なんと二冊も私がいるではありませんか。

一冊は創刊にかなり近い号で1万円、もう一冊はやや後の号で8千円。さすがにウームとうなる。でも、もう二度と手に入らないかも知れないと思い、2冊をエイヤーッと買ったのでした。当時まだなんとか健在だった両親を驚かせてやろうという思いもありまして。ただあまり反応が無くて拍子抜けでしたけど。撮影はいつも母親が付き添って来たのですが。

97年に母が、2002年に父が他界して、実家の荷物の後始末のドサクサの中で、高価な少年サンデーも行方不明のままとなっています。捨ててはいないはずですが。

さて、この週刊少年サンデーは1959年、昭和34年という創刊の年のものですから45年経過しています。もう紙はボロボロに近い。デジカメにおさめようと動かしているあいだにもかけらがこぼれて来ます。

それまで月刊誌ばかりだった少年誌の中で初めて週刊誌に挑戦したのがこのサンデーとマガジン。調べてみると創刊号は少年マガジンが3月26日号(17日に発売)、少年サンデーが4月5日号となっていて、マガジンの方がちょっと早かったんですね。印象とは逆です。

02DSCF4437.JPGサンデーの表紙のカメラマンは久米茂さん。「久米さん」と苗字は記憶していましたが「茂さん」だったんだ。小学二年生という雑誌のグラビアに何回か出演した時のカメラマンがこの久米さんで、少年サンデー創刊に際して彼が表紙を撮ることになり、私にお声を掛けていただいたというわけなんですね。編集部からはいつも田口さんというスポーツ刈りのカッコイイお兄さんが来ていました。

03DSCF4435.JPG当時の少年誌の表紙はまだ子供が主役だったのです。しかし、この直後から長嶋の登場で俄然プロ野球人気が沸騰し、またテレビの普及も進むにつれて、メディアの人気者が表紙を飾るのが主流になります。私のような何処にでもいそうなフツー性が売りの少年はアッという間に出番が減って行くのです。中島書店中野書店のサンデーやマガジンは創刊から時間順に並んでいるので、この移り変わりをまざまざと確認することができます。ま、それだけに私が表紙に登場しているサンデーは世相史的にも価値があるんですよ〜。

05DSCF4438.JPG04DSCF4486.JPG
誌面作りをみると、連載探偵小説「口笛探偵長」に象徴されるように少年週刊誌はまだまだ漫画一色ではなく読み物文化を色濃く残していたことがわかります。とはいえ、私自身は「スポーツマン金太郎」なんかが大好きでした。少年週刊誌から人気小説は生まれなかった(?)けど、人気漫画はその後無数に誕生することになるわけです。

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コメント

少年サンデー へえ、、です 私の時は60年代に入ってからはですが 野球選手の写真や絵柄の表紙でした 子供写真とかは珍しい

投稿: blue | 2004.10.12 07:46

 いいですねえ

  これがウワサの少年サンデーですか。
 美少年だったから目をつけられたと伺って
 いましたが・・・?

  1959年創刊だと当方が中学校2年生位な
 時ですね。
 松山の駅の売店で買って弟と読んだような記憶
 があります。最初に買ったのは少年マガジンだっ
 たように思いますが、薄っぺらい厚さしかない雑
 誌だったような印象が残っています。

  フト思い出して平凡パンチの創刊をグーグル
 に聴きますと1964年だそうですね。
 こちらは当方が大学一年の年です。

  我々の世代の学生時代はそういう時代だった
 のですね。

  ところで写真では分かりにくいですが、拡大
 してよくよく見ると映写機が写っていてフィルム
 に指を引っかけていますね。
 このころから映画を作っていたとすると随分早熟
 だったんですねえ。

  やがてこのサイトで当時の処女作、なんてのが
 ビデオで登場するのでしょうか?

投稿: ふうてん | 2004.10.12 16:18

ふうてん殿 映写機は残念ながらサンデーの編集部がもってきた小道具です。当時の私は強いて言えば野球少年でした。

なお、私が小学館にスカウトされたのは小学校二年生の春だったと記憶しております。4年もたつと変りますよね。

投稿: bee | 2004.10.13 18:00

懐かしいです。少年画報というのもありましたね。
長島選手と杉浦選手も若い、そして右のページにはラジオの宣伝。

鉱石ラジオは懐かしい、色んな鉱石ラジオを製作したり、夢のハイテクでした。

そのうちに、ゲルマニュウム・ラジオがでてきましたね。鎌倉明神にも、あどけない”厚顔の・・・じゃない、紅顔の美少年”時代が存在したんだ~~~~?

投稿: jo | 2004.10.13 20:55

Joさん、どうも。おまけで鉱石ラジオに負けず劣らず泣ける裏表紙の写真を登録しました。
http://bee.cocolog-nifty.com/sunday/DSCF4491.JPG

投稿: bee | 2004.10.14 00:04

うわ~~~~!!

ホッケーゲームやないの。これは、最近もゲームセンターとか田舎の温泉旅館のゲームコーナに存在する機械や。

40年近く昔から存在したんだ~~~!! 驚くべき発掘やね。

投稿: jo | 2004.10.14 12:56

おっ! とうとう見つけたのですね。
書斎引っ越しの効果かな。

ところで随分と細面な顔に見えます。また、お目々も切れ長。
この写真から現在のBeeさんの顔を想像するのは難しいですね。

投稿: watokins | 2004.10.22 15:23

私の記憶が間違っていなければ、君がサンデーに出たのは暁星の1年2年生の時ではなかったかな。
そうとても可愛かったころ。

投稿: 鎌倉 精一 | 2005.03.23 00:21

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ええい、ついでです。こんな本もお好きですか。   かの昔、創刊当時の「少年マガジン」や「少年サンデー」を読んでいた人なら皆、大好きだった小... [続きを読む]

受信: 2005.03.28 19:34

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