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2004.11.12

04・11・12 牛込センチメンタル・ジャーニー

7日の午後、菅原泉さんのヴァイオリンを聴いたあと、時刻はすでに夕方4時近くで薄暗くなりかけていたのですが、じつはこの神楽坂界隈は私が小学校の2年生から20代の後半までを過ごした街でして、慌ててコインパークを出て想い出スポットを車で訪ねてみました。

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赤城神社 2004・11・07 新宿区赤城元町 Copycenter 2004 Akira Kamakura
まずは赤城神社。神社入口の右手前にある店は、昔は中学の同級生の横山君の家が経営する天ぷら屋だった筈なのだが(いや豚カツ屋だったかな?)、「駒寿司」という寿司屋になってるな。その角を右に曲がったところに小学校の同級生のフジクラ・クリーニングがあるのは昔のままだった。彼とは3年ほど前に再会している。で、奥に見える赤城神社は中学時代のデートスポットで、お祭りの時には交換日記の相手とよく来たものだった。もっと前、小学校の頃は、この境内で映画が上映されたこともあった。確か、梅若なんとかさんという俳優主演の時代劇だったと思うが題名が浮かんできません。赤胴鈴之助だったかな?

50KoyamaDSCF2512.JPG市ヶ谷加賀町2-33
2004・11・07
東京都新宿区
Copycenter 2004 Akira Kamakura

私が住んでいたのは新宿区市ヶ谷加賀町2丁目33でした。その家はとっくに消滅しているのですが、すぐ目と鼻の先にあった家が今も亡霊のように残っていました。まさか、と思いました。この建物を最後に見たのは約30年前のことです。今や一見して廃屋のようですが、窓ガラスの内側には新しいカーテンが吊るされているようにも見えます。

この家の前の路地で、近所に住んでいた駐留軍の米兵とキャッチボールをしたことを覚えています。それだけじゃない。東映フライヤーズの土橋投手がまだアマチュアだった頃にその球を受けていたキャッチャーだったという人もこの路地の何処かに住んでいて、そのもの静かなオジサン(ホントウはオニイサン)ともキャッチボールをしたことを思い出す。そうだ。その人は肩を痛めたかしてプロ入りを断念したと言っていたような気がしてきた。そういう華やかな舞台を諦めた人独特の感じが漂っていた。
50KamaDSCF2511.JPG
この写真中央の塀の左側に我が家の敷地があり路地の奥に勝手口があった。奥にほの暗く見えている万代塀はどうやら昔のままのようです。

この路地の右側が工藤さん。今もお住まいのようだった。たぶん息子さんかな。それとも私が家庭教師をしていた娘さんかな。工藤さんの家からは娘さんのピアノ練習の音がよく聞こえて来たものだった。ソナチネアルバムだったかな。

路地の奥には猿舘さんとか富沢さんとか田中さんとかが住んでいたと思う。田中琢也君は中学で同級になったことがあったが、彼の家からはエレキギターでビートルズの曲がつっかえつっかえ流れてきたものだった。

50NiiyamaAogiriDSCF2506.JPGこの写真右手には大きな青桐の木があった筈が消滅している。残念です。夏休み、この木に実る豆を針金でできたパチンコに詰めてセミを打ち落とすのが当時のガキどもの遊びだったのです。高級なパチンコは木製でゴム銃と言っていた。青桐の実は、今にして思うと、じつに絶妙のタイミングでなったもんです。

この写真の正面ずっと奥のほうにピンク色のもやに包まれて見えている建物は、昔のままなら、たぶん大妻女子大の寮でしょう。

50SanyasuDSCF2503.JPG三安酒店はまだ健在だった。ここのおにぃちゃんがよくまめに御用聞きに来たものだった。当時の酒屋はそういものだったのです。で、近所の奥さんたちが皆でお嫁さんの心配をしてあげたりしたものだった。結果はどうなったか知らないけど。

三安の隣というか左手前にみえている古い家は、たしか小峰さんちじゃないかな。今や舞台衣装の巨匠として活躍している、ということを時々メディアを通じて知る小峰リリーさんとは小学校の同級生だった。

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コメント

中学時代から神社の庭でデートしとったんやね。しかも交換日記とはな~~。

まさか、植物の話ばっか~書いとった訳じゃないやろな~。

それから、大富豪の息子やと聴いていたけど、えらい”ボロ家”に住んでいたやんやね~~。可愛そうになるな~。

故郷探訪記、楽しませていただきましたよ。

投稿: jo | 2004.11.13 16:12

日本だと、どうしてもかつてここには、こんなものがあったはず・・・ということになってしまいますね。久しぶりに訪れて、変らずにあるものに巡りあいたいです。僕も真似して、昔住んでいた場所に写真を撮りに行ってみようかな。

投稿: 栗坊 | 2004.11.14 15:00

joさん、栗坊さんコメントをありがとうございます。
写真で紹介した界隈は(赤城神社は別ですよ)、
大地主がおられましてね、その御方のご判断で
改築があったりなかったり、また、土地を手離したり
維持したりということで、結果的に、我が家関係のあたりは
昔の佇まいが驚くほど今に至るまで残ることに
なりました。私個人的には地主の深瀬さんに
いたく感謝しております。

投稿: bee | 2004.11.14 23:02

今までなかなか聞いたことがなかった鎌倉家の昔の様子がやっと想像できました。おもしろい。もっと聞きたいです。センチメンタルジャーニー・パート2を楽しみにしています。

投稿: daisy | 2004.11.16 18:18

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