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2005.03.12

05・03・12 東フィルとLars Vogtのシューマン、マイウ〜

演奏会での感動を言葉に表現するのはむずかしいものです。でも感動したからにはその感じたsomethingを言葉という形で残したくなる。この浅はかさが傍迷惑なんですね。だって、所詮、いくら説明されても聴いてもいない演奏の感動は再現できないから。従って感想文ならぬ感動文というのはあまり役に立たない。どうせ駄目ならグルメ番組のグルマン(肉まん?)タレントが発する「マイウ〜」程度にしておくのが良心的かも知れません。

昨晩のチョン・ミョンフン指揮の東京フィルハーモニー交響楽団、ラルス・フォークト"Lars Vogt"の演奏するシューマンのピアノ協奏曲、じつにマイウ〜でした。

この曲は基本的にはピアノの内省的なモノローグなんだと感じました。作者がペンを持って日記を綴るがごとくピアノの音を紡いでいる。

しかし、書き進むうちに何かを鮮やかに思い出し始める。そうだ、そういえばこんなことがあったっけ、と。しばしペンを持つ手が止まり、脳裏に色鮮やかに甦るものを自らうっとりと鑑賞する。やがてその記憶のプレイバックの中から自分でも気付いていなかったことを、あれはそういうことだったのか!と発見する。そうだ!と我に返ってまたモノローグのペンを走らせる。

内省(ピアノ)→記憶の色鮮やかな蘇生と発見(オケ)→覚醒と内省(ピアノ)…という基本的な構造があるように感じました。ピアノが導入したモチーフをオケが引き継いで色付けしたり、オーボエが唄ったモチーフをピアノに持ち帰ったりする、そんな関係があるように感じました。

コンチェルトにおけるソロ楽器とオーケストラの関係という意味でも、ソロのエゴがバカでかく突出してオケはその引き立て役に徹するような作品に比べて、このピアノとオーケストラの関係が実にいい感じ。コンチェルトという様式の一つの究極の姿を実現しているようにも思います。

プログラムの楽曲解説で野本由紀夫氏は「(1845年)当時はピアノ・ヴィルトゥオーゾたちがもてはやされていた時代だったが、シューマンはそのような名技主義的な方向性をとらず、…」と書いています。また「(第2楽章について)ピアノとオーケストラが、まるで気楽な対話を交わすかのように進んでいく」とも書いています。

私の印象では、何かを思い出している主体の心の動きがピアノで表現され、思い出した内容がオーケストラの音で表現されている。だから「対話」と言っても、どちらもピアニストの頭の中の出来事のように感じられました。

そういう意味で、昨晩の演奏で、ピアノとオーケストラは、まさに一つの人格として溶け合っていたと言えます。

演奏が終わるとピアニストと指揮者は、誤解の危険も顧みず、男同士シッカリと抱き合っていました。握手だけでは物足りなかったのでしょう。

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