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2005.05.18

05・05・18 稲荷前古墳群16号墳立体写真

ウチの近所は縄文時代の遺跡やら古墳時代の遺跡やらの宝庫です。15日の日曜日、十里木でのゴルフの帰りに予てより気になっていたこの場所に立ち寄りました。

田園都市線市が尾駅からちょっと西に入ったところにある稲荷前古墳群の一つである16号墳で前方後方墳。北に隣接する15号墳の上に登って南方向に16号墳を立体写真におさめました。

DSCF4015DSCF4016
西暦400年以前の古墳という鑑定になっています。今日の風景としては、けっこうな高台にあることにちょっと驚き、というか違和感を覚えます。
DSCF4022違和感といえば、この近所に沢山ある横穴墓が、時代的にはこうした古墳よりも新しいものであることも驚きです。どう見ても横穴の方が原始的に見えるでしょ?でも、話は逆だという。

うむ、よく考えてみると、今日、まるでコインロッカーのようなお墓も都心のお寺にはあるわけで、昔もそうそう大規模な墳墓を造るスペースも余裕も無くなってから、やむなく横穴でお茶を濁したのかも知れないですね。DSCF4020

1600年以上前に、朝鮮半島から、おそらく奈良あたりを経て大磯あたりに再上陸した渡来人が武蔵野を北上し、その途中この市が尾の地で、もともと住み着いていた縄文人と出会い、支配関係ができたにせよおそらく平和的に共存したのかな?

近くのあざみ野には驚神社があります。「驚」は馬を敬うと書きます。また石川という地はもともとは石川牧、つまり馬の牧場だったらしい。鷺沼の方には有馬とか馬絹という地名もある。古墳時代に騎馬民族が入植した土地であったとも解釈できる痕跡があるのです。

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コメント

先日、港北図書館で郷土史の資料を調べていました。

横浜、新横浜このあたりは縄文時代は入江の底です、市ヶ尾、荏田、は僅かに海面上で多摩丘陵が陸地ですね。

だから、貝塚が沢山存在し、縄文遺跡があります。

稲荷前古墳ですが、景行天皇さま即ち崇神王朝の時代で大和朝廷が関西から九州、東国まで版図を広げた時代でしょうね。

ヤマトタケル遠征の時代です。

稲荷山古墳は埼玉で有名ですが、これは御存知、鉄剣が出て金象嵌で文字が100文字程判明しました。雄略天皇の時代で河内王朝の時代と5世紀になります。

いずれにせよ、縄文時代から市ヶ尾、荏田、多摩丘陵には海岸線でしたので、文化の華が開いていたんでしょうね。

投稿: jo | 2005.05.21 08:42

joさんの縄文文化論ありがとうございました。
縄文海進がどこまで来ていたのか、いちど正確なところを確認したいと思っています。

投稿: bee | 2005.05.24 07:32

beeさん

日産スタジアムと第三京浜入り口の中間地点に子供と親が鶴見川を知る、楽しい施設があります。

国土交通省が金だしてる施設と思いますが、そこに三次元で見える(メガネをかける)横浜と多摩丘陵までの地形の図があります。

これ、水深が判りますよ?どのあたりまで海であったかね。参考です。

投稿: jo | 2005.05.24 16:33

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