« 05・05・21 シダの造形の壺 | トップページ | 05・05・31 芝の穂に色づくラフ »

2005.05.24

05・05・24 軽井沢と立原道造

写真は5月21日、プリンスランドゴルフクラブからの浅間山の眺め。紛れもない活火山。植物の生育を許さない剥き出しの山肌は絶え間ない噴火をを物語っています。

DSCF4034眠らない浅間山
2005・05・21 群馬県嬬恋村
Copycenter 2005 Akira Kamakura

浅間山の風景は、私たちの世代の場合、軽井沢サナトリウム詩人・堀辰雄(1904年12月28日〜1953年5月28日 48歳)というよりは夭折の建築家詩人・立原道造(1914年7月30日〜1939年3月29日 24歳)を思い出させるのですね。この没年情報は青空文庫によりますが、二人とも没後50年が経過し著作権が切れています。

大学の教養課程で理科系コースにいた私の製図の先生が生田勉氏で、この人が立原の友人だったことも、当時すでに没後30年近く経っていた詩人への興味をかきたてたような気がします。

なかでもこの詩が今も記憶に残っています。著作権が切れているので遠慮なく全文引用しましょう。

のちのおもひに

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て來たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

当人が夭折を予感していたかのようにも感じられ、そこに哀しみの音楽が聴こえるような気がします。でも、この詩にメロディーを付けるのはやめた方がいいように直観します。

この詩は、「見て來たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を」が唐突で、それ、なんのことなの?と質問したくなる。ソネット形式の四つの節のうちこの節だけが「夢は」ではなく「私は」という提題になっていて異質なんですね。

話は変わりますが、学生時代、友人と松原湖の民宿(学生村)に行きました。ある晩、酒が入って気分が盛り上がって来たところで、現代詩が好きだという彼が西脇順三郎の「旅人かへらず」を朗読してくれと言う。

これはまったく難しい詩で何を言いたいのか若造にわかるべくもない。

彼から詩集を渡された私は朗読をいたしました。ただし適当に言葉の順番を入れ換えたり、行をあちこち跳ばしたり、節の順番を変えたりして。しかし思い入れたっぶりに読みました。「いいなぁ」と彼。私のランダム変換に全く気付かずに喜んでくれました。友人の名誉のために言いますと、私もそう思いました。

詩は論理ではないわけで、論理的に支離滅裂なのに、なんだかいい感じということでいいのだと、その時以来、私は確信しています。

私に詩の朗読を依頼される方は、よ〜く暗唱してからにした方がいいですよ。

|

« 05・05・21 シダの造形の壺 | トップページ | 05・05・31 芝の穂に色づくラフ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4033/4268096

この記事へのトラックバック一覧です: 05・05・24 軽井沢と立原道造:

» 5月15日 アメリカン・グラフィティ篇 [ふうてん老人日記]
 連休が終わって、浮ついていた気持ちも静まった。 なんぞオモロイことないかいなと [続きを読む]

受信: 2005.05.25 15:59

» 5月15日 アメリカン・グラフィティ篇 [ふうてん老人日記]
 連休が終わって、浮ついていた気持ちも静まった。 なんぞオモロイことないかいなと [続きを読む]

受信: 2005.06.12 20:38

« 05・05・21 シダの造形の壺 | トップページ | 05・05・31 芝の穂に色づくラフ »