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2005.05.31

05・05・31 芝の穂に色づくラフ

写真は5月29日の日曜日、茨城県七會村のゴルフ場。ラフでは芝の穂が伸びていて遠目には赤紫色に見えます。緑のフェアウェイとの境界がくっきりと見えて美しい。

DSCF4152DSCF4158

眺めはけっこうなのですが、この時期、グリーンはエアレーションの小さな穴だらけ。プレーヤーとしてはパットが入らない言い訳をここにもとめることになります。

DSCF4122七會のゴルフ場のエアレーションの穴は既に少し埋まりかかっていましたが、写真は5月22日の北軽井沢のあるゴルフ場のグリーンです。すごいでしょ。拾い上げた球を置こうとすると穴の位置にしか納まらないという量子化現象に悩まされました。

芝の穂が出る頃にエアレーションをするものなんですかね?

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2005.05.24

05・05・24 軽井沢と立原道造

写真は5月21日、プリンスランドゴルフクラブからの浅間山の眺め。紛れもない活火山。植物の生育を許さない剥き出しの山肌は絶え間ない噴火をを物語っています。

DSCF4034眠らない浅間山
2005・05・21 群馬県嬬恋村
Copycenter 2005 Akira Kamakura

浅間山の風景は、私たちの世代の場合、軽井沢サナトリウム詩人・堀辰雄(1904年12月28日〜1953年5月28日 48歳)というよりは夭折の建築家詩人・立原道造(1914年7月30日〜1939年3月29日 24歳)を思い出させるのですね。この没年情報は青空文庫によりますが、二人とも没後50年が経過し著作権が切れています。

大学の教養課程で理科系コースにいた私の製図の先生が生田勉氏で、この人が立原の友人だったことも、当時すでに没後30年近く経っていた詩人への興味をかきたてたような気がします。

なかでもこの詩が今も記憶に残っています。著作権が切れているので遠慮なく全文引用しましょう。

のちのおもひに

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て來たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

当人が夭折を予感していたかのようにも感じられ、そこに哀しみの音楽が聴こえるような気がします。でも、この詩にメロディーを付けるのはやめた方がいいように直観します。

この詩は、「見て來たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を」が唐突で、それ、なんのことなの?と質問したくなる。ソネット形式の四つの節のうちこの節だけが「夢は」ではなく「私は」という提題になっていて異質なんですね。

話は変わりますが、学生時代、友人と松原湖の民宿(学生村)に行きました。ある晩、酒が入って気分が盛り上がって来たところで、現代詩が好きだという彼が西脇順三郎の「旅人かへらず」を朗読してくれと言う。

これはまったく難しい詩で何を言いたいのか若造にわかるべくもない。

彼から詩集を渡された私は朗読をいたしました。ただし適当に言葉の順番を入れ換えたり、行をあちこち跳ばしたり、節の順番を変えたりして。しかし思い入れたっぶりに読みました。「いいなぁ」と彼。私のランダム変換に全く気付かずに喜んでくれました。友人の名誉のために言いますと、私もそう思いました。

詩は論理ではないわけで、論理的に支離滅裂なのに、なんだかいい感じということでいいのだと、その時以来、私は確信しています。

私に詩の朗読を依頼される方は、よ〜く暗唱してからにした方がいいですよ。

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05・05・21 シダの造形の壺

北軽井沢の方の別荘地で毎年無数に見られるシダ類の姿です。名前を教えてもらったような気がするのですが、忘れました。
この見事な自然の造形を見るたびに縄文時代の火炎土器を思い出します。その感じを立体写真に記録しました。

DSCF4066DSCF4067
シダの造形 2005・05・21 群馬県嬬恋村 Copycenter 2005 Akira Kamakura

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2005.05.18

05・05・18 稲荷前古墳群16号墳立体写真

ウチの近所は縄文時代の遺跡やら古墳時代の遺跡やらの宝庫です。15日の日曜日、十里木でのゴルフの帰りに予てより気になっていたこの場所に立ち寄りました。

田園都市線市が尾駅からちょっと西に入ったところにある稲荷前古墳群の一つである16号墳で前方後方墳。北に隣接する15号墳の上に登って南方向に16号墳を立体写真におさめました。

DSCF4015DSCF4016
西暦400年以前の古墳という鑑定になっています。今日の風景としては、けっこうな高台にあることにちょっと驚き、というか違和感を覚えます。
DSCF4022違和感といえば、この近所に沢山ある横穴墓が、時代的にはこうした古墳よりも新しいものであることも驚きです。どう見ても横穴の方が原始的に見えるでしょ?でも、話は逆だという。

うむ、よく考えてみると、今日、まるでコインロッカーのようなお墓も都心のお寺にはあるわけで、昔もそうそう大規模な墳墓を造るスペースも余裕も無くなってから、やむなく横穴でお茶を濁したのかも知れないですね。DSCF4020

1600年以上前に、朝鮮半島から、おそらく奈良あたりを経て大磯あたりに再上陸した渡来人が武蔵野を北上し、その途中この市が尾の地で、もともと住み着いていた縄文人と出会い、支配関係ができたにせよおそらく平和的に共存したのかな?

近くのあざみ野には驚神社があります。「驚」は馬を敬うと書きます。また石川という地はもともとは石川牧、つまり馬の牧場だったらしい。鷺沼の方には有馬とか馬絹という地名もある。古墳時代に騎馬民族が入植した土地であったとも解釈できる痕跡があるのです。

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2005.05.16

05・05・16 美智子皇后とエンヤ

5月13日金曜日の夜のNHKニュースを今頃観ました。DVDレコーダを使うようになって時々こうした情報離島生活のようなことがおきます。

アイルランドを訪問中の皇后陛下に会ったエンヤがその感激を語るシーン。

とても嬉しかったのは、皇后さまが私の音楽を聴いていると仰ってくださったことより、私の音楽の奥にあるものを知りたいと仰ったことです。

おおかたの新聞報道は

…エンヤさんは「天皇陛下も皇后さまも私を知っていて、皇后さまは『会いたかった』と言ってくれた。とても名誉なことでうれしい」と話した。 …asahi.com
虚栄心を満たされたことを喜んでいるかのように書いている。

しかし、NHKテレビで当人が語る様子を見る限り、自分の音楽そのものに深い関心を示されたことに驚き感激している。ただ好きです、ではなくて、どうして私はあなたの音楽にひかれるのでしょうかという思いを伝えられたのでしょう。

私もアイルランドやポルトガルの歌を聴くと遺伝子のうずきなのか胸騒ぎがする。なにかあるはずだと思わずにはいられない。

例えばダニーボーイというアイルランド民謡。ダイアナ妃の葬儀で演奏されたのを印象深く覚えています。別にそういう機会じゃなくても、この英語の歌詞に感情移入して歌おうとするとつい胸が詰まってしまう。特に2番の歌詞が。なぜだろう。

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2005.05.08

05・05・08 「わが青春のマリアンヌ」"Marianne de Ma Jeunesse"

最近どこかで放送されたらしいこの映画を収録した自家製DVDを、ありがたいことに、先日とある方からお贈りいただき、連休中にじっくりと鑑賞しました。

私自身、たぶん60年代にNHKテレビで放送されたのを何度か観て妙に印象に残っており、かねてよりその秘密を確かめたいと思っていました。ようやく願いがかないました。

あの頃、この映画のちょっと照れくさい題名は我々の世代の共通のヴォキャブラリーになっていたはずですが、時代は次第にこの作品を忘れ去りつつあります。

私の場合、「印象」と言っても、森の動物たちとの神秘的な交流能力をそなえたヴァンサンという少年が、霧に閉ざされた湖の向こう岸の幽霊屋敷に幽閉されている美しいが精神を病んでいるらしいマリアンヌに恋をする、というところしか憶えていない。

あらためて観たり調べたりしての感想などを以下に。

この物語は、ハイリゲンシュタットの寄宿舎に新入りのヴァンサンを迎えたマンフレッドという18歳で最年長の少年による20年後の回想という形をとっていたことに改めて気づきました。ヴァンサンの一人称ではないのですね。

更に、この作品ができた1954-55年頃、監督のジュリアン・デュヴィヴィエはだいたい60歳。人生を俯瞰できる年齢になっていた。寄宿舎の雑役係らしい老人も幽霊屋敷の男爵も監督の分身だと感じます。

私自身、昔はヴァンサン当人に感情移入していたでしょう。今は距離を置いて見ることになりますが、それなりに観られるのがこの映画の作りの奥行きというものでしょう。

この作品を成立させる上でヴァンサン役のピエール・ヴァネックのちょっと斜視で焦点の定まらない目線、どこか遠くをぼんやりと映しているらしい虚ろな目、これが決定的に重要。この映画の印象の大半は彼の目線だったような気がします。

今回初めて知ったのですが、この作品は我々が親しんだフランス版の他にドイツ版があります。そちらのヴァンサン役は目が顔の中心に寄っている俳優が演じているのです。監督はもちろんマリアンヌ役も含めて他の殆どのキャスティングは同じだったようですが。やはり斜視じゃないと湖に霧は立ち込めないし鹿と交流はできないでしょう。結局後世に残ったのはフランス版でした。

短期滞在で寄宿舎に来た教授の親戚の娘リーズは、ヴァンサンの前に二度も若い裸体を投げ出して大胆に誘惑するのだけど、彼は全く無視するんですね。これがマリアンヌとの一つの対比になってはいるのだけど、モーツァルトを演奏するほど芸術をたしなむこの少女の描き方がなんとも冷淡かつ浅いというか、ヴァンサンと魂の交流があるらしい森の動物にも劣る扱いなのは何故だろうと感じます。監督の心の傷なのかも知れませんね。

ただ、この少女の存在がそもそも私の記憶に残っていなかった。こんな裸のシーンがあったっけ?という感じ。ひょっとすると1960年代のNHKテレビはこれらのシーンをカットして放送していた可能性もあるなと思いました。

そういえはヴァンサンがギターを彈く少年であったことも私は忘れていました。

この映画では、誘惑少女のリーズが来た晩に寄宿舎をあげて音楽会をやるシーンがあって、そこでは「軽やかな魂を歌うモンテヴェルディか若さの象徴モーツァルト」を演奏します。またヴァンサンが旅立つ最後の方のシーンでは雑役係の老人が「今夜は君の想い出にコレリのソナタを演奏するよ」と言うのです。

モンテヴェルディ、モーツァルトからコレリへという三人の作曲家のイメージがヴァンサンの心の成長や変化を暗示しているようにも受け取れるのですが、コレリのイメージが私には具体的でないので、理解できない。これは残念でした。

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2005.05.06

05・05・06 モンゴル高原ゴルフヴァカ大人ツアー

連休が途切れた5月6日金曜日に日本の新聞は呑気に休刊しています。森本毅郎さんも今朝のスタンバイ(TBSラジオ)で「朝刊読みくらべ」の材料がないこともあって、休むんなら連休の中で休めよ、とヘソを曲げていました。腹立ちついでにか、JR西日本の記者会見で、事故に続く数々の不祥事を嵩にかかって居丈高に追及するメディアの記者の態度にもブチ切れていましたね。そりゃ批判精神とは違うのではないか?と。まったく仰るとおりですよ。

私が駅売りのInternational Herald Tribuneを読むようになったのも2003年秋の休刊日が切っ掛け。以来かなり忠実な読者になりました。今朝(5月6日)もカラのラックが目立つスタンドでヘラトリ150円を買いましたよ。朝日新聞の記事の英訳部分は"a newspaper holiday"なので無し。その分薄い。

で、小さな記事ですが、ウォッと注目したのがモンゴル高原ゴルフツアー募集開始というもの。あのヴァカおとなのAndre Tolmeですよ。去年私がblogに書いた彼がこんどはツアーを企画したというのです。私もついうっかり$10寄付してしまったけど、世界的にかなり反響があったということでしょう。

6月から7月にかけて5本のツアーが設定されていて、日数はそれぞれ10日ないし14日。主目的はモンゴル高原の原野で球を打つのですが、 ゲームの初日はモンゴルでただ一つの本物のゴルフコースで9ホールのプレーをしてから荒野に旅立つようです。

原野でのゴルフには馬に跨がるキャディーがついて球を探してくれるそうです。プレーヤーはゴルフカートならぬ四輪駆動車で移動。ホールカップはTolme氏が設定済み。

予定では毎日3-4時間プレーをし、残りの時間は文化ツアーにあてているとのこと。宿泊はテントというかモンゴルのゲルという移動住居を使用。

料金は6月のツアーは2600ドルで、内容がちょっと違う7月は3700ドル。食事と宿泊と現地の交通費込み。オンラインで申し込みができます。

ゴルフと文化ツアーの10日間 $2600コースの出発日は
6月10日、17日、24日。

ゴルフと文化ツアーにナーダム祭見学つき14日間$3,700コースの出発日は
7月1日と8日。

ゴルフ抜きの10日間$2,600ツアーも一つ用意されています。
これは7月22日出発となっています。

誰か参加してみません?

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2005.05.04

05・05・04 三島由紀夫生誕80年記念展

三島の展示をやっているというので神奈川近代文学館というところを初めて訪れました。

Mishima我ながら三島のことを思うのも久しぶりなのですが、このような三島展は1970年11月池袋東武百貨店、1979年1月新宿伊勢丹についで今回がようやく3回目だと解説にあります。70年に私が見た展示がいまだに数少ない一つであったことを知ってむしろ驚きました。時々未発表原稿やら書簡が発見されたと小さなニュースはあったものの「世間」はこの作家をどこか遠巻きに見ていたのでしょう。

この間、石原慎太郎「三島由紀夫の日蝕」(1991年)や徳岡孝夫「五衰の人 三島由紀夫私記」(1996年)も買い、それなりに納得して読んだ記憶があります。橋本治の「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」は去年だったか?図書館で借りて拾い読みしただけですが、三島邸のアポロ像や洋風の階段が意外にちゃちだったという話だけが妙に印象に残っています。

「三島氏の死はあきらかにこの日本の社会に退屈をもたらした」と石原は「日蝕」の冒頭に書いています。当然意味合いは異なるにせよ、私もこの35年間ずっとそういう気持ちでした。

三島なら何と言っただろうか?同時代の作家とか批評家としてというより、明らかに並外れた知性と感性をそなえた精神が、政治だろうが世相だろうが芸術だろうが、あらゆる状況にどのように反応するのかという点に興味があった。それが聞けなくなった。そして三島に匹敵する批評家も出てこない。だから退屈しますよ。

学校のクラスにずば抜けてよく出来る生徒がいて、何かにつけて注目を集めていたという想い出は誰にもあるでしょう。三島という人は、いわば当時の日本全体が学校の一つのクラスであるかのような気分にさせた、クラス一番の学業の秀才であり芸術の天才であった、という印象があるのです。

あの凄絶な最後も今にして思うと、言葉足らずで申し訳ないが、演劇部の部活のようなものだったようにも感じられます。

三島は「太陽と鉄」で「ことばの腐食作用」ということを論じています。

本来人間は、わけもわからず現実というものに直面することで初めて世界を体験し、その後になって、経験を表現する言葉を思い知るものです。ところが早熟の三島の場合、幼少の頃から先に言葉で世界を理解してしまった。だから体験は言葉の追認でしかなく、無垢ではなくなる。これを言葉の腐食作用と呼んでいたのだと思うのです。

少なくとも当人はそう思ったし、確か、開高健が三島の作品が実体験の裏打ちの無い「ホンコンフラワー」で出来ていると批判したことがあったと記憶しています。

そこで三島は「太陽と鉄」の力を借りて肉体の言語を開発し、自決という人生一回きりの後戻りの出来ない体験をやって見せて、経験を重視する連中を茫然と置き去りにしたようにも見えるのですね。

理屈上はその結果、残されたホンコンフラワーに生命が宿った部分もあるでしょう。実際、今や誰もが、三島のすべての作品を、あの自決に収斂する運命の物語として読んでいるに違いありません。オセロゲームの最後の一枚を究極の急所に置くことで、それまでの全部の駒をひっくり返して去って行ったような感じがするのですよね。

ま、当人がある時期からそういう作戦を描いていたのでしょうから、我々の退屈を紛らわす知的アイドルとして生き長らえる可能性はそもそも無かったのでしょうね。

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2005.05.03

05・05・03 アサリの紋様の謎

先日、となりの小学生のYuiちゃんから潮干狩りの収穫のアサリをもらいました。その砂抜きの最中の写真。酒蒸しにして食べたところ、身がふっくらとしたとても美味しいアサリでした。

DSCF3917アサリの貝殻の紋様は人間の指紋のように一つ一つ違うように見えるのですが、これが不思議です。というか、思わず不思議に感じてしまうと言った方が正確かな。

その方が生存に適している、といった理由があるのだろうと想像するのですが、何か進化論的な説明でもあるのでしょうか?連休のヒマにまかせて憶説を書いてみましょう。

アサリの模様は基本的には砂の背景に溶け込む擬態というか保護色だと考えてみましょう。もしも紋様がワンパターンだとしたら?たぶん、その特定のパターンが保護色として効果を上げるような場所でしか生き残れない。

生き残った個体だって、もしも周囲の色彩環境が変化してしまったらもう駄目。

保護色の紋様が多様であれば、どんな環境に置かれても目立つやつと背景に紛れ込むやつとがあって、必ず誰かが生き残るでしょう。

つまりアサリのあの多様な紋様は、それぞれの個体の先祖が、かつて何度もその迷彩効果の恩恵を受けた証でありましょう。ということは、アサリが棲息する可能性のある海底の砂とか砂利の状況の多様性をそのまま反映していると考えられる。

じゃ、ハマグリはなんでアサリと同じ紋様にならないのか?ほとんど同じ境遇で棲息しているではないか?という疑問が湧いてきますよね。バカガイだってアカガイだって同じことだ。なんで他の貝はアサリほどの多様性を持ち得ないのか?

これはなかなか鋭い質問ですが、一つには、海底の深いところ、従って暗いところに棲息する生物に保護色は必要ないと言えるでしょう。よくわかりませんがたぶんハマグリ等の方がアサリより深い海にいるのではあるまいか?

これ以上考えると眠れなくなるのでオシマイ。

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