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2005.07.16

05・07・16 「会社はだれのものか」は「利益はだれのものか」だ

「会社はだれのものか」の著者の岩井克人さんは研究室の鑑賞魚用水槽に「資本主義」のアクアリウムを作って観察しているのかな。水槽の中にはジョージ・ソロスのような鯨もいれば、企業買収が好きなピラニアも泳いでいる。さしずめ私などは坂田明かバカボンのパパの顔をしたミジンコか?

ずーっと研究者人生なのでご当人は水槽の中で泳いだことはない。牛乳ビンの底のようなメガネの奥から水槽の中をジーッと観察しつつ思索を重ねて来た。そんな人間が会社論を語って大丈夫なのか?と自問するわりには大胆な説を唱えるんですよねぇ。

「わけのわからない使命感」に駆られて「ふつうに言われていることは、違うだろう」と言ってしまう岩井さんは、とうとう経済学者としては「アメリカの主流派から外れて、もう、主流派の論文誌には載らない…」と寂しいことを言います。

「経済学者はこれからどうなるのか」と心配になりますが、岩井さんは、こうなったら「正しい」と思うことをくどいと言われようとも何度も言い続けるぞと頼もしい決意を語っています。

確かに前著「会社はこれからどうなるのか」の繰り返しの部分もある。でも、単純な再掲ではなくて、あれで分かってもらえないのならこれでどうだとなっている。読者としても著者の真意を再確認できて助かります。(これはイヤミではありませんヨ)

株主は今日でも、株主総会で経営陣を自由に選任できるという意味で、間接的に会社を「支配」している。特にかつての産業資本主義の時代には、会社というものは、売れる製品を生産する設備の資金を提供した人が経営者を雇っていたのにすぎないから、資本家が会社の支配者として振る舞うのは当然のことだった。

しかし資本調達が容易でモノを作れる会社が無数にある現代では、利益は他社との「違い」からしか生まれない。だから「違い」を継続的に生み出す経営者や社員という「ヒト」こそが経営資源として重要になってくる。

生産設備が競争力の決め手という時代は終わった。従ってその投資を支えた資本家のお金による支配力も低下した。これをポスト産業資本主義と呼ぶわけです。

だから株を買い占めてその会社を支配したつもりになっても、その会社が本来もっていた経営資源を全てそのまま手に入れられるとは限らない。「ヒト」は「モノ」と違って面従腹背もするし脱走もする。支配には馴染まないリソースである。そういう意味で、会社が株主のものであるという思い込みは錯覚であり時代錯誤でもあるよ、というのが岩井さんの指摘だと読みました。

これをなるほどなと思って読んだ経営者は、ハッと気づいて企業買収の計画を見直すかも知れない。「ヒト」を買おうとしていはしないかと。とはいえ、多くの人は「だからどうだって言うのかな?"So, what?"」で、そこに日常的な実践的意味を見いだせないかも知れない。

で、結局、会社は誰のものなのか?というと「会社は社会のもの」と岩井さんは締めくくっています。この答えには、一体全体何処のどいつのモノなんだと、せっかく厳しく問い詰めた緊張が一気に大気中に拡散するような脱力感を覚えます。ま、この意味をもう少し考えてみますが。

さて、ここからが大事です。"So, what?"に私なりにお答えしたい。

私は「会社はだれのものか」を「利益はだれのものか」として読みました。するとにわかに利益処分政策という経営者にとって生々しくも現実的な話になります。

利益とは投入されたあらゆる経営資源が生み出す成果です。だからその関係者がちゃんと分け前を要求して来ます。

会計的にはまず税金が引かれます。社会インフラがあってこそのビジネスですから、国家や自治体の取り分があってよい。

つぎに、株主の取り分である配当と、経営者の取り分である役員賞与を決めます。残りは剰余金に繰り入れる。

利益処分は会計的にはここまでですが、会社によっては社員の賞与を利益と連動させるので、社員の取り分も決めなければなりません。

これで、公(政府)、株主、経営者、社員という関係者が出揃いました。

誰がどのくらい利益の分け前に与るべきかを決めれば、暗に誰がどのくらい会社を支配しているのかも決めたことになると感じます。収益還元法的な見方とも言えるでしょう。だって、支配と分け前が釣り合わなければ必ず不満が噴出するでしょう。

つまり、会社は公、株主、経営者、社員が「共有」するモノだというのが私の見方になります。この「共有」の意味はそれぞれが利益配分に与る権利があるという意味です。この本を読んだら、こういう風に見えて来ました。

この四者間の微妙な利益配分を妥当に決めて納得してもらうことこそが経営者の重要な仕事になります。確かに岩井さんの言うとおり、経営者に「会社の目的のために自己利益の追求を抑える」倫理性が欠落していたのではこの仕事は務まらないでしょう。

言うまでもなく、これまでこの分け前から疎外されて来たのは社員だろうと思います。青色発光ダイオードの中村修二氏の職務発明の報酬を巡る争いが起きるのも当然です。物事の本質はポスト産業資本主義に変質しているのに、株主も経営者もいまだに産業資本主義のセンスのままでいたことの象徴かも知れません。

「ヒト」こそが利益の源泉だという岩井さんの指摘を咀嚼して手近なところで実践するなら、社員に利益連動賞与を支給することが一つだと思います。ちなみに私が経営する会社では創業時からEVA(Economic Value Added)連動の業績賞与の制度を運用していますけどね。

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