« 05・11・13 手帳の季節 | トップページ | 05・11・23 べートーベンと1978年の大雪 »

2005.11.23

05・11・23 ヌーボーという価値

このところ巷はボージョレ・ヌーボーで溢れているので、蜂も歩けばヌーボーに当たり、図らずも何杯か飲ませていただきました。中には異様に濃くて、ガメイというよりカベルネ・フランじゃないか?というのもあったりする。で、なかなかいいですねということになるわけですが、でも、だったらヌーボーで飲むこともないなという感想も湧いて来るから、このワインのヘタウマ的な価値の評価は難しいもんです。

ところで、先週18日に東京フィルのサントリー定期で庄司紗矢香のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聞きました。指揮はチョン・ミョンフン。なかなか聴かせる演奏であったと思いますが、心の中に手を突っ込まれて魂を揺さぶられるというところまでは行かない。聴き手として、うまいもんだねぇと冷静に聴いていられるところがありました。演奏後の万雷の拍手には、彼女はまだ22歳の若さだぞ、という部分があったことも否定できない。

どうも、クラシック音楽の世界は、演奏家のヌーボー性、つまりProdigy(神童)であることを偏愛する傾向があると思わざるを得ません。私とて若い才能の輝きを愛でることにやぶさかではないのですが、それにしても、相対的にもっと人生経験的に成熟した演奏家の商品価値が不当に貶められている感じがしないでもない。もっとも、その原因のひとつは聴衆の側にあるのですがね。

このチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、1878年、作曲者38歳の時の作品ですよ。明らかにヌーボーではない。しかもプログラムの野本由紀夫の解説によると

このころチャイコフスキーは、前年からの人生最大の精神的危機を、ようやく克服しつつあった。じつは彼は前年の7月に結婚したのだが、『偽装結婚』疑惑が付いてまとう。なにしろ、彼は結婚してわずか20日で、逃げるようにしてひとり夏のヴァカンスを過ごす。9月にはモスクワ川で入水自殺さえ試みている。挙句の果てには、仕事依頼のニセ電報を打ってもらって、スイスやイタリアへ逃避行してしまう始末。彼が女性との結婚を苦痛に思っていたことだけは間違いない(しかし離婚はしなかった)。
ということになっています。

野本氏の解説を頭に入れてしまうと、たとえば第一楽章でソロヴァイオリンが奏でるテーマから漏れて来るため息のような息づかいを22歳はどんな想いで弾いていることやらと考えてしまうのですね。

ところが、話はなかなか単純ではなくて、7月の定期で樫本大進の演奏でショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を聴いた時は、心底感動したことも事実。聴衆が送った拍手は格別で、明らかに鳴りが違う。これが本当の拍手だったのだなぁと思ったものでした。

|

« 05・11・13 手帳の季節 | トップページ | 05・11・23 べートーベンと1978年の大雪 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4033/7271373

この記事へのトラックバック一覧です: 05・11・23 ヌーボーという価値:

« 05・11・13 手帳の季節 | トップページ | 05・11・23 べートーベンと1978年の大雪 »