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2006.02.15

06・02・15 巨人軍の川上哲治と藤田元司

亡くなった元巨人軍の藤田元司の告別式で年長の川上哲治が弔辞を読んだというニュースを見た。(敬称略)

この二人を私は子供の頃雑誌のグラビア撮影で訪ねている。

川上哲治を野沢の自宅に訪ねたのは私が小学2年生の時だから昭和30年だったはず。小学館の「小学二年生」のグラビア撮影。当時、私はプロ野球をほとんど知らなかった。今にして思うと残念でならない。プロの剛速球も止まって見えた打撃の神様だということは後から知ったのだった。

ファンは川上の前では興奮するのが当たり前。撮影に一緒に行ったもう一人の少年は野球少年で嬉々としてはしゃいでいたものだった。ところが私は背番号16のユニフォームに腕を通してポーズをとっても冷静だ。サインが欲しいとも言わない。変だと思ったのだろう。川上に、確か、キミは愛想がないな、というようなことを言われた記憶がある。もっとも小学二年生の私の方も、川上に華やかなプロ野球選手の臭いは感じなかったし、彼にも愛想なんか無かったと思う。

川上邸は高い塀に囲われていた。庭には高低差のあるロープが張られており、ロープには野球の球がぶら下がっていた。川上はそれをバットで軽く打って見せた。ロープにまつわりつくように傾斜を駆け上って行った球は、またロープを滑り落ちて戻って来た。本気でこんな練習をしているのか?メーカの製品のテストなんじゃないかとも思ったものだった。

藤田元司の家を訪ねたのは私が小学六年生の昭和34年だったと思う。今度は少年サンデーのグラビア撮影である。川上の時とは違って、私はすでに立派な野球少年になっていた。町内野球チームの4番バッターだったのだから。

朝まだ早い時間に藤田邸に着いた。まだ雨戸が閉まっていたようなイメージがある。やがてそれが開いて、我々取材の少年たちとスタッフは縁側で藤田を待っていた。

そこに美しい奥さんがお盆に紅茶を載せて現れたのだが、私はビックリした。なんと、紅茶に添えられていたのがレモンならぬミカンの輪切りだったのだ。そんなの見たことがない。どういうことかと考えたが、藤田が愛媛の出身だと知っていたので、すぐに納得もしたものだった。その後に藤田が登場したのだが、なんだか眠そうな表情だったことだけが記憶に残っている。

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