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2006.02.26

06・02・26 ウンナンオウバイはまだ冬姿

ほぼ2年前の今頃、あざみ野のウンナンオウバイはこんな感じでウキウキと春の訪れを告げていた。

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ウンナンオウバイ
2006・02・26 横浜市青葉区
Copycenter 2006 Akira Kamakura


今年はどうか?といえば写真のとおり、なんとも寒々とした風景のままである。やはりこの冬は寒かったんだと実感する。

植物は機が熟するのをただじっと待つ。あたりまえだが強引に咲こうとはしない。

こういう時にふと思い浮かべるのは吉丸一昌・作詞 中田章・作曲「早春賦」の詞。

(1)
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
(2)
氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
(3)
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

「谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず」というのは、ひとつの美学。鶯が思慮深い存在に見えて来る。民主党の若手議員にかみしめてもらいたい。

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2006.02.15

06・02・15 巨人軍の川上哲治と藤田元司

亡くなった元巨人軍の藤田元司の告別式で年長の川上哲治が弔辞を読んだというニュースを見た。(敬称略)

この二人を私は子供の頃雑誌のグラビア撮影で訪ねている。

川上哲治を野沢の自宅に訪ねたのは私が小学2年生の時だから昭和30年だったはず。小学館の「小学二年生」のグラビア撮影。当時、私はプロ野球をほとんど知らなかった。今にして思うと残念でならない。プロの剛速球も止まって見えた打撃の神様だということは後から知ったのだった。

ファンは川上の前では興奮するのが当たり前。撮影に一緒に行ったもう一人の少年は野球少年で嬉々としてはしゃいでいたものだった。ところが私は背番号16のユニフォームに腕を通してポーズをとっても冷静だ。サインが欲しいとも言わない。変だと思ったのだろう。川上に、確か、キミは愛想がないな、というようなことを言われた記憶がある。もっとも小学二年生の私の方も、川上に華やかなプロ野球選手の臭いは感じなかったし、彼にも愛想なんか無かったと思う。

川上邸は高い塀に囲われていた。庭には高低差のあるロープが張られており、ロープには野球の球がぶら下がっていた。川上はそれをバットで軽く打って見せた。ロープにまつわりつくように傾斜を駆け上って行った球は、またロープを滑り落ちて戻って来た。本気でこんな練習をしているのか?メーカの製品のテストなんじゃないかとも思ったものだった。

藤田元司の家を訪ねたのは私が小学六年生の昭和34年だったと思う。今度は少年サンデーのグラビア撮影である。川上の時とは違って、私はすでに立派な野球少年になっていた。町内野球チームの4番バッターだったのだから。

朝まだ早い時間に藤田邸に着いた。まだ雨戸が閉まっていたようなイメージがある。やがてそれが開いて、我々取材の少年たちとスタッフは縁側で藤田を待っていた。

そこに美しい奥さんがお盆に紅茶を載せて現れたのだが、私はビックリした。なんと、紅茶に添えられていたのがレモンならぬミカンの輪切りだったのだ。そんなの見たことがない。どういうことかと考えたが、藤田が愛媛の出身だと知っていたので、すぐに納得もしたものだった。その後に藤田が登場したのだが、なんだか眠そうな表情だったことだけが記憶に残っている。

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2006.02.11

06・02・11 目黒のイイギリ

目黒雅叙園の庭園の外れにある見事なイイギリ。素晴らしい! 樹高10m以上はありそう。
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イイギリ 2006・02・10 東京都目黒区 Copycenter 2006 Akira Kamakura

2月にもなってまだこれだけの実が枝に残っている。ふつうならとっくに鳥たちに食われているはずなのに。常緑樹の森の中に潜むように立っているので遠目には目立たないのかも知れない。

ところで、雅叙園の敷地は江戸切絵図に「細川越中守」とあり、こちらのサイトにはこのあたりの江戸名所図会もあります。その当時からの樹木も残っているに違いないが、このイイギリはどうなんでしょう。

イイギリはさておき、このデブサミに行っていたのでした。BMIが30以上の人が集まる会議なのか?と誤解する向きもあるのですが、IBMやMSがプラチナ・スポンサーで翔泳社主催のディベロッパ向けの会議。シリコンバレーのオライリーのコンファレンスを思わせる。あっちも出版社だ。

参加費無料とはいえ、5つの並行セションがそれぞれ満席近い大盛況。若い人々が多いがそれだけでもない。Web2.0時代、エンタープライズ的にいえばSOA時代に向けてプレートテクトニクス的動きが着実に進んでいることを実感することができました。

ハワイ諸島のハワイ島は今でも活火山があるが、ホノルルがあるオアフ島は静かである。プレートの動きにつれてオアフは活火山の地位を後発の島々に譲って来たわけだ。

デブサミで色々なセションを聴講して思ったのは、いまや「オープン」というマグマがハワイ島のキラウエア火山からブクブクと噴火しているということ。旧来のベンダーはオアフ島やもっと北のカウアイ島みたいなものか。緑豊かで平和だけど、マグマの供給を断たれて、この先もう噴火しそうにない。

1980年頃にアメリカでunixの第1回ユーザ会議(だったと思う。ビル・ジョイが運営側にいた。)に参加した時、IBMの話題が出ると会場からブーイングが起きたことが、当時メインフレーム側の人間だった私には新鮮な驚きだった。1984年のアップルのマック導入のCMにつながるセンチメントがすでにあったわけだ。この業界は以来、結局、個人としてのエンジニアがエキサイトしている所が、そしてそのコミュニティができるところが栄えて来たと、簡単に総括してしまおう。

かつて栄華を極めたベンダーは憂鬱かも知れないが、エンジニアという視点からみると話は全く逆。開発環境のEclipseや、ESBのMuleなど、無料で使えるし誰でも開発に寄与できる。やる気のあるエンジニアにとってこんな面白い時代はない。

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2006.02.05

06・02・05 霜柱の虫瞰立体写真

烏山公園の広場は山の北側に位置するので日当たりが悪い。お陰で(まさに!)今年の厳寒の中では昼過ぎになっても霜柱がシッカリと立っていた。

これを虫の眼で見たらどんな風景だろうかと想像して立体写真にしてみた。なにしろ小さな虫のことだから左右の眼はほんの数ミリしか離れていない、という想定で撮った。それでもけっこうな立体感が出ている。

氷柱というより氷の剣が聳え立ち行く手を阻んでいるかのようだ。虫の姿は見掛けなかったが、寒虫見舞いを申し上げたい気分になる。

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霜柱 2006・02・05 横浜市都筑区 Copycenter 2006 Akira Kamakura

この霜柱がある広場の風景。こちらは人間の眼の幅で撮影。フラッシュをたいた。立体視したまま眼の焦点を手前の霜柱から遠景の石垣に移動する感覚が面白い。

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霜柱の広場 2006・02・05 横浜市都筑区 Copycenter 2006 Akira Kamakura

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