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2006.06.03

06・05・27 サシボは軽井沢の山菜の穴か?

毎年恒例の(変換候補の途中に「高齢の」がパッと現れて、思わず変換キーを押す指がフリーズしてしまった…)軽井沢プリンスランド別荘地内の山菜採りを楽しんだ。

意図したのはウド、…だけかな。タラの芽もコシアブラもアクダラも既に終わっている。あとはウルイかな。今年も出遅れは明白だったけど、ウドはそこそこ見つかった。

新趣向として、私がイタドリを提案した。「このあいだ秋田の天寿酒造の通販でイタドリの若い芽のサシボを日本酒とセットで3,000円で買ったんだが…」と言ったが、「ここらへんにもあるけど、誰も採らないぞ。蓚酸が多くて、あんなのダメだろ」と山菜博士は言う。

この別荘地の山菜を探すのは今年で4-5年目のはず。毎年同じ時期に来て同じような風景を網膜に焼き付けているはずなのに、今年になるまでイタドリには気づいていなかった。人間の知覚の恣意性には驚かされる。見たいものを見て、見たくないものは見ない。この世に「客観」なんてものがないことを思い知らされる。

別荘地を歩き始めるとまもなく山菜博士が「これだろ、イタドリ。こんなのこっちでは誰も食べないぞ」と言いつつも「秋田ではこんなの食べるの?大丈夫かな。どの部分を?さきっちょ?」とか言いつつ収穫し始めた。

イタドリの若いシュートというべき「さしぼ」はけっこうあった。現物を見ると山のアスパラガスという説明は一目瞭然だし、「さしぼ」の語感も「挿し棒」かなと感じた。

今年はまずサシボは別荘で湯掻いてマヨネーズで食べた。アスパラだと見なして。ウドは別荘地近くの料理屋でテンプラにしてもらった食べた。粗末と言えば粗末。贅沢と言えば贅沢。

山菜採りというのは、現代の食料品の流通機構や経済のシステムをバイパスして、そこに生えている食材を自分で採って食べるという「食」の原点を確認する作業だと思う。「食」という概念にこびりついた文化的垢を洗い落とすような感じがある。

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