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2006.06.24

06・06・24 ムートンのマール

DSCF7706とある方の軽井沢の別荘にいつもの仲間がワインなどを持ち寄り集まった。

SSさんの持ち込みはこのムートンのマール(Marc d'Aquitaine)。初めて見たがロマネコンティのFine de Bourgogneに相当するものかなと直観。私ともう一人のワイン飲みは飲む前からこれを絶賛した。

貰い物を気楽に持参したに過ぎなかったSSさん、余りの称賛に不安気な表情を浮かべていた。

その晩、テーブルにはワイン飲みだけ3人が残り、SSさんいないけど開けちゃう?といいつつ手は既に抜栓していた。

夜も更けて、気がついたらビンの半分近くになっていた。

翌日、SSさんは、これが極めて貴重で高価な酒であることを確信し、半分になったビンをこれ以上減らされてはならじと、そそくさと持ち帰ってしまったのだった。

褒め過ぎた。

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2006.06.18

06・06・18 Jane Morgan、魅惑の透明レコード盤

長らく探していた魅惑の透明レコード盤が、ひょんなことから姉のところにあることがわかって、久しぶりに現物と対面することができた。

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東芝が静電気を帯びないEverCleanというレコード盤を発売した記念に配付した非売品。約40年前、特に音楽に関心があるわけでもない父が、パーティにでも出たのか、これを家に持ち帰って来たのだった。

EverCleanであることがすなわち赤い透明な材質を意味したのかどうか、それはわからない。しかし、私はまずこの素材の美しさに魅惑された。そして、初めて聴くジェイン・モーガンの歌にもっと魅惑されたのだった。

当時、魅惑ワルツの作曲者"Marchetti"の正体がモーリス・ラヴェルであるとは知るべくもなかった。実際、ジャケットの解説にもそんなことは一切書かれていない。なお、http://www.maurice-ravel.net/によると、この作品をラヴェルの作曲だと断定できるような証拠は見当たらないとしている。真相は不明らしい。

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収録曲はこの12曲。今でも曲名を見ただけでメロディーとモーガンの声が頭の中で鳴るのである。
Fascination(魅惑のワルツ) 2'22"
Tammy(タミー) 2'35"
Anna(アンナ) 2'45"
Around The World(世界一周) 2'36"
Who's Sorry Now?(フーズ・ソリー・ナウ?) 2'57"
The Day The Rains Came(雨の降る日) 2'56"
Till(愛の誓い) 3'08"
An Affair To Remember(過ぎし日の恋) 3'05"
Volare(憧れの青空) 2'37"
Melodie d'Amour(メロディー・ダムール) 2'32"
Bambino(バンビーノ) 3'01"
Arrivederci Roma(ローマよ、さようなら) 2'48"

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2006.06.16

06・06・16 文部科学大臣賞作品が盗作だったらどうする?

ある日本の「画家」がイタリア人画家の作品を模倣してちゃっかり文部科学大臣賞を受賞していたことが明らかになったという報道があった。

事実関係は「一目瞭然」という言葉の定義そのもののようにみえるのだが、文科省はいまだに「盗作疑惑のある…」という表現を使っているのが解せない。

もっと不可解に思ったのは今日の報道で、「小坂文科相がスギ氏に謝罪の手紙」を出したというのだ。「(模倣者への)授賞の取り消しと、多大な迷惑をかけたことへの謝罪の気持ちを伝える手紙」だというのだが…。

受賞したのは本来は画家ではなくて作品だったはずだ。仮に作品が十分に受賞に値するものだったとすると、ニセモノとホンモノがあれほど酷似した作品ならば、文科省は授賞するべき相手を間違っただけではないのか?本当の作者がスギ氏だと判明しただけではないか。

文科省は「模倣者から取り上げた賞を、スギさん、あなたに授与します」と何故言わないのだろうか?

それが言えないのなら、この際、文部科学大臣賞を廃止することにしました、と言うしかない…と私なら思うのだが。

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2006.06.14

06・06・14 さすがの岩城宏之さんも力尽きたか…

「指揮者」岩城宏之氏が病気で亡くなったとのこと。人間である以上、誰にもその人なりの寿命はあり、岩城氏もある意味、十分にその生命を燃やし尽くしたようにも見える。それでも残念でならない。私にとって氏は黛敏郎など日本の作曲家の作品を積極的にプログラムに採り上げてくれる貴重な存在だったから。

今年の東京フィルのニューイヤーコンサートは故・武満徹の娘さんである武満真樹の司会、岩城の指揮だった。私にとってはあれが最後の岩城コンサートとなってしまった。

去年も一昨年も、ベートーベンの交響曲全曲ぶっ通しの演奏会をやったりして意外にお元気だとの印象もあったけど、演奏会で見ると、舞台の袖から指揮台にヨロヨロと辿り着く姿がなんとも頼りなく、やっぱり具合悪いのかなとも思ったものだった。

岩城宏之といえば、現代音楽の初演だろう。私も学生時代に、N響で矢代秋雄のピアノ協奏曲の初演を聴いたような記憶がある。その後まもなく購入したLPは岩城の指揮するN響と中村紘子のピアノだったことは間違いないのだが、ライブで聴いた方は森正指揮だったような気もして、今となってはよくわからない。

吉岡さんのblog経由で知った読売の記事には

2002年に日本芸術院賞を受けた時には、「伝統を破壊しようとして創造に向かわなければ、芸術は先に進まない」と話した。
とある。腑に落ちる言葉だ。

芸術に限らず、第一印象でおおいに違和感があって、抵抗があって、時に嫌悪感もあったものが、何度も接するうちに、やがてシックリと心に馴染んで来るプロセスほど面白いことはない。音楽ならば聴き手の側にも創造的なプロセスが起きたということになる。違和感がなけりゃこの世は退屈だ。

おそらく今や誰も違和感を感じないベルリオーズの音楽など、とても200年近い昔の音楽とは思えず、19世紀後半あたりか?と錯覚することがよくある。おそらく初演当時は違和感が強かったはずだ。ベートーベンも然り。ジャンルも時代も異なるが岡本太郎、美空ひばりも然りである。

だから、創造者の本当の支援者とは誰なのか?と言えば、誰の耳にも心地よいプログラムで聴衆のご機嫌を伺って音楽の大衆化に努める人ではなく、むしろ、耳に馴染まない作品を「聴いて損はないからね」とプログラムにもぐり込ませるわがままな指揮者に違いないのだ。

数年前に東京フィル・岩城指揮で聴いた黛の「涅槃」は実に美しいと感じたものだった。二階の客席に配置された管楽器奏者たちを背中と肘で指揮する岩城の姿が今も記憶に残っている。

存命中に世間的評価を受けるような「芸術家」は二流以下のような気がする。創造行為の宿命だと思う。岩城氏は現代の創造的な作曲家にとって得難い存在だったに違いない。

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2006.06.11

06・06・11 中国標準Excelのフリガナ機能に翻弄される

高校の同窓会の出席者名簿を作成していてExcelの奇妙な振る舞いに悩まされた。

名簿を卒業年の年号・年・クラスでソートするのだが、どういうわけか部分的に順序が狂う。

名簿は葉書などの回答をExcelに手入力した物と、ホームページで受け付けた結果のCSV形式の物とを1枚のシートに結合させてからソートにかけているのだが、例えば、昭和41年が昭和30年より前に来たりするのである。

サンプルを示すと、こんな現象である。

Excelsorta

そんな馬鹿な!と思うのだが、何度やっても同じ結果になる。何度でも同じ結果を出すことこそがプログラムの便利な特長なのだが、こういう時はそれが恨めしい。何とかしろよとゴネれば治るかも…とは思わないが。

考えてみると、以前にもこういう現象に遭遇したことがある。その時は深く追求せずに放置したのだが、今回ばかりはなんとしてでも原因を究明して解決しなければならない。

なぜかというと、同窓会の参加受付はこれからが本番で、500件前後のデータを処理しなければならず、このいい加減なソートのままでは混乱は必至だから。

結論を説明すると、原因は文字列の「ふりがな」機能だった。下の図をご覧いただきたい。書式の指定でフリガナの有無を表示させることができる。Excelシートに手入力したデータには自動的にフリガナが付くが、外部から取り込むCSV形式のデータにはフリガナがない。

Excelsortb

さて、どうしてソート結果が狂うかと言えば、それは、データの並べ替え機能のオプションが標準では「フリガナを使う」となっているからなのだ。フリガナが付いているデータを優先し、付いていない物は後にしている。

ここまで実態が解明されれば、そもそものソート結果は当たり前の現象だと理解できる。問題は、ソートの対象とされているフリガナが、セルの書式設定では標準表示にはなっていないことだ。

むしろフリガナ機能は隠されているように見える。だから、うかつと言われようとも、私などは10年以上もExcelを使って来て、フリガナ機能を明確に意識したことが一度も無かった。

ちなみに、私はソート機能をExcel VBAから使っていたのだが、フリガナを使うか否かのオプション設定の値を示す名称にはちょっとショックを受けた。

SortMethod:=xlPinYin (ピンイン)とあるではないか。これは中国語を標準として設計されているってことじゃないか。これじゃあ日本語の立場で文句を言っても通じないだろうな…と僻んでしまう。なお、フリガナを外してソートする場合は SortMethod:=xlStroke (画数かな)と指定する。

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2006.06.03

06・05・27 サシボは軽井沢の山菜の穴か?

毎年恒例の(変換候補の途中に「高齢の」がパッと現れて、思わず変換キーを押す指がフリーズしてしまった…)軽井沢プリンスランド別荘地内の山菜採りを楽しんだ。

意図したのはウド、…だけかな。タラの芽もコシアブラもアクダラも既に終わっている。あとはウルイかな。今年も出遅れは明白だったけど、ウドはそこそこ見つかった。

新趣向として、私がイタドリを提案した。「このあいだ秋田の天寿酒造の通販でイタドリの若い芽のサシボを日本酒とセットで3,000円で買ったんだが…」と言ったが、「ここらへんにもあるけど、誰も採らないぞ。蓚酸が多くて、あんなのダメだろ」と山菜博士は言う。

この別荘地の山菜を探すのは今年で4-5年目のはず。毎年同じ時期に来て同じような風景を網膜に焼き付けているはずなのに、今年になるまでイタドリには気づいていなかった。人間の知覚の恣意性には驚かされる。見たいものを見て、見たくないものは見ない。この世に「客観」なんてものがないことを思い知らされる。

別荘地を歩き始めるとまもなく山菜博士が「これだろ、イタドリ。こんなのこっちでは誰も食べないぞ」と言いつつも「秋田ではこんなの食べるの?大丈夫かな。どの部分を?さきっちょ?」とか言いつつ収穫し始めた。

イタドリの若いシュートというべき「さしぼ」はけっこうあった。現物を見ると山のアスパラガスという説明は一目瞭然だし、「さしぼ」の語感も「挿し棒」かなと感じた。

今年はまずサシボは別荘で湯掻いてマヨネーズで食べた。アスパラだと見なして。ウドは別荘地近くの料理屋でテンプラにしてもらった食べた。粗末と言えば粗末。贅沢と言えば贅沢。

山菜採りというのは、現代の食料品の流通機構や経済のシステムをバイパスして、そこに生えている食材を自分で採って食べるという「食」の原点を確認する作業だと思う。「食」という概念にこびりついた文化的垢を洗い落とすような感じがある。

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06・05・21 妖精の輪と空振りやワイン

デジカメを携帯してゴルフをするようになってたぶん3年間は経過しているはずだが、それ以前にはよく目撃したと思っていた「妖精の輪」"Fairy Ring"にとんと出会うことがなくなってしまった。しかしことは時間の問題だったようだ。

5月21日の日曜日、埼玉県の太平洋クラブ江南コースの1番ホールのグリーンの右奥で見つけたこれそ妖精の輪だ!グリーンを外した私のボールがどういうつもりか妖精の輪にちゃっかり紛れ込んでいる。

これは一番ホールだったわけで、私はこの調子なら立派なフェアリー・リングをいやというほど目撃できるぞ!と期待に胸、というより腹を膨らませたものだった。

案の定、2番ホールでもリングのかけらを発見した。

が、フェアリー・リングはそれまでだった。

あとは、このあたりが古墳地帯(らしいのだが、流石に躾けの行き届いたキャディーも古墳の話には乗ってこれなかった)であることを彷彿とさせる怪しい地形が気になった。でも、たぶん、池を掘った土を盛り上げたものだろう。

江南は高低差16メートルとのことで、流石にフラットだが、水を巧みに配してプレーヤーに戦略的思考を強いるところが魅力的だ。

話はとぶが、この日の同伴者とは、二日前の晩に、麹町のとあるイタリアン・レストランで食事をともにしていた。その店はイタリア南部の長靴の先端に位置するCALABRIA料理の専門店だった。発音してみよう「空振りや」。その晩、なんかイヤな予感がするよね、と話したものだった。そしてそれは二日後に現実となった。同伴者の素振りのスィングが球に当たってしまったのだった。この堅実なプレヤーにまさかの珍事だった。

ところでカラブリア料理。こまごま詮索するまでもなく洗練とはほど遠い家庭料理であるだろうし、ワインだって、プーリアより先でシチリアの手前という、まさに田舎ワインだ。大急ぎで付け加えるが、私は田舎ワインを蔑視しているわけではない。むしろねじ曲がった現代の洗練コンプレックスとは無縁のローマ時代以来のワイン文化を楽しめるタイムカプセルのような世界が期待できる魅力がある。

カラブリアの足元をみて、私は初めて訪れたこのアルマーニ氏御用達というレストランで大胆にも、「カラブリアの」最高のワインを飲んでみたいと我が儘を言ってみた。メニューにない良いものが出てくればそれでよし。なけりゃ、やはりそんなものかと納得できる。どうころんでもOKなのだ。

案の定、5000円未満のこんなものだった。ブドウはグレコ・ネロ、つまり、ギリシャの黒ブドウ。このブドウはアリアニコと同系統らしい。味も値段も納得の一本だった。もちろんワインリストにはトスカーナもあるが、ここのソムリエ君(日本人)も客に高いものをつかませようという卑しい考えはなさそうだった。精神は上品な店だ。

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