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2006.08.04

06・07・29 村治奏一のギターは端正で品がある

NHK教育TVのトップランナーをHDレコーダに録画設定しておいたら、今年の始め頃だったかに、偶然入っていたのが村治奏一だった。村治佳織の弟であることはもちろん、子供の頃からコンクールに入賞していたことは何となく知っていたが、この番組で観て、演奏を聴いてみたいと思っていた。

そして、7月29日に自宅近くの青葉台フィリアホールで生演奏を聴くことができた。

とにかく感心した。オジサンができのいい育ちのよい若者に目を細めるということもあるのだが、それだけでもない。

第一に音楽が鳴っているということだ。当たり前のようでなかなかないこと。彼が奏でる音楽が生き物として命を得ると、じつに自然な舞を舞い始める。まともな音楽家に共通していることだが、音が当人の語る言葉になっているということなのだ。だからそこには一つの安定した人格の自然な意識の流れを感じることができる。取ってつけたような芝居染みたところとか、他人ごとのような身につかない台詞は聞こえない。

先日、富士山麓、十里木カントリーでゴルフをした。前がつかえてコース上で待つことも幾度か。その時、周囲の林からセミの集団の声が鳴っていることにふと気づく。日暮らしのような鳴き声のセミだった。

ひまに任せて耳を傾けると、集団の中には必ず音頭取りがいて、その声がその他大勢の付和雷同の合唱を引き出していることは明らかだった。

ゆったりとした波が押し寄せては引き返すような合唱を聴いていると、いつも音頭取りの声は同じ方向から聞こえて来るようで、恐らく同じ個体だろうと推測した。

どうやら何らかの表現意思をもったセミがいて、その他大勢の反応を感じながら合唱をリードしているらしいのだ。

それだけではない。別の林からも同じような合唱が聞こえていたが、どうも集団は集団同士で互いの声を聴きあっているらしく、互いの合唱がかぶってバッティングすることがない。まるでイーサーネットの衝突検出のようなCSMA/CDのロジックが何処かで働いているのだ。

コース上でこうしてセミたちの声に聞き入っていたわけだが、その声が鑑賞に堪えるのは、それはセミの命が奏でる真実の音であって芝居ではないからだ。いくら深く聞き入って意味を探ろうとも、その行為が裏切られるわけはない。

村治奏一くんの演奏とセミの声、そういう共通点を感じた。彼の演奏はいくらでも深く聞き入ることができる。

第二に、その音楽に品がある。これはさらに得難い資質だと思う。私たちの世代でクラシック・ギターをやった人はだいたいセゴビア節の影響を受けたものだが、二十歳そこそこの村治奏一の演奏にその臭みは全くない。しかし無味乾燥にもならない。なんだかこのことに痛く感動してしまった。

こうなると気になるのはギター音楽のある種の浅薄さだ。作品は小品が多く、大きな構想の作品が少ない。いわば俳句や和歌のような作品が多いのだな。果して彼はいつまでギタリストでいられるだろうか…。

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