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2006.12.24

06・12・23 GGGパエリャ・パーティ

スペイン旅行の時に同行者の一人がパエリャの素?を買ってきたので(って、真夏の話だが)、友人邸宅での恒例のクリスマス・パーティのメインディッシュはパエリヤとなった。ゼネコン系調理人が長年愛用する入魂のパエリヤ鍋も含めて材料は米からムール貝アサリまでほとんど日本産も多数。白ワインは輸入品ではないか?と思うところだが、なんとこれが勝沼醸造の甲州種の名品「アルガブランカ ピッパ 2003」を贅沢に使用した。スペインの味に優るとも劣らない出来だと感じたけど、パエリヤも日本人向きの味があるのかもしれない。

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おつまみ類もスペインにちなんで作った。一皿はイベリコ豚のハモン。薄くスライスして一枚ずつ透明なシートに挟んで売られているものを買って来たのだけど、それを千切れないようにきれいに剥がすのに一苦労。盛りつけをするのにえらい手間がかかり、手が油でベトベトになってしまった。そこにケッパー・ベリーとオリーブで色を添える、というか、これは高価で美味いハムにばかり手が伸びるのを阻止する迷彩でもある。

もう一つは「スペインの印象」と題するチーズ盛り合わせスタッフト・オリーブ添えの一皿。20ヶ月熟成パルミジャーノを不規則に割って盛ったのは砂漠のようなスペインの乾燥した大地である。ブリーのチーズはアンダルシアの白壁。赤や黄色のピーマンは強烈な陽射し。そしてアンチョビ詰めのオリーブはスペインの大地を覆いつくすオリーブそのものだ。

お酢も基本的にはシェリー・ビネガーを使用。サラダ・ドレッシングのベースにした。ズワイ蟹もこれで食してみたが、ワインに合わせるのには妥当な選択だったと思う。

みんなが持ち寄った肝心のワインだけは不思議なことにリオハは一本のみ。参加者が事前に申し合わせたわけではないのに、珍しく泡とデザートワインが充実した品揃えとなった。目玉は主催者提供のシャトー・パルメ1981年だった。あれ?85年だったかな?上品にバランスがとれた素晴らしいワインだった。

クリスマス・ケーキは何年か前にこのパーティにデビューする時にサンタクロースの衣装をまとって来られたあるお茶目なご婦人のこだわりの制作によるもの。このファミリーからフツーのものは絶対に出てこない。

GGGとはGuitar, Gourmet, and Golfであり、Gが三つでジーサンでもある。今年は何とか三つのGをそれぞれに充実させることができた。

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2006.12.19

06・12・19 鴨のギャラリーを従えてゴルフ

この秋、太平洋クラブ宝塚コース17番ホール(たぶん)でのこと。ティーグラウンドに立つと池から鴨がゾロゾロ上がって来た。どうも我々のパーティのキャディーが日頃から餌付けをしていたらしい。

DSCF9010ふつう鴨は人間が近付くと逃げて一定の距離を保つものだが、ここの鴨たちは妙になれなれしく近寄って来る。ショットをしようと構えても、クラブを振り回しても、バシッと球を叩いても、すぐそばで平然としているのである。なんだか変だ。

カラスがフェアウェイのボールやカートに残した食べ物をくわえて飛んでゆくのは目撃したことがある。しかし、鴨の群がマナーの悪いギャラリーのようにプレーヤーに異常接近するのは見たことも聞いたこともなかった。

もう何年も前になるが、宝塚から40~50kmほどしか離れていないとある町で天然の鴨をご馳走になったことがある。池から飛び立つところを網で捕まえるのだと聞いた。あれに比べるとゴルフ場の鴨は人間が天敵であることも知らず平和に暮らしているというわけだ。

考えてみるとプレーヤーをサポートするべきキャディーが鴨たちにあっちに行けと命令しないのも変だと思う。が、写真で見てのとおり、鴨はどうせ何を言ったって通じそうにない顔をしているではないか。じつは我々もキャディーもゲラゲラ笑ってあきらめるしかなかったのだった。

どうせ人間になついた鴨だ。もっと訓練して池にはまったボールをくわえて来るところまで成長してほしい。

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2006.12.17

06・12・17 民事再生中のコースで寒中ゴルフ

DSCF9666十里木カントコークラブでゴルフ。つい先日、東京地裁に民事再生手続開始を申請したとのニュースを聞いたばかり。とは言っても現地に異変は見られなかった。ここは昔から支払いは現金のみでクレジット・カードを受け取らない。今どき珍しいと思っていたが、あれは経営努力だったのだろう。

今日はたまたま寒さもマイルドで十分にゴルフが楽しめたが、標高1000メートルのゴルフ場は時期的にクローズ寸前の状態だ。年間営業日数はどうしても温暖なところより少なくなる。これも経営のハンディだ。

DSCF9660午後になって雲が晴れて冠雪した富士が間近に見えた。やはりこれは財産だ。コース周辺が日本有数の観光地であることを物語る風景でもある。残念ながらそれが経営に活かされているようには見えない。

コース内で和紙の原料であるミツマタを見つけたが、このコースがもともとは大昭和製紙グループのものだったことを暗示しているかのようだ。

DSCF9657クラブハウスにはイノシシの剥製がある。これまで何度もここに来ているが今日まで気づかなかった。剥製の目も画竜点睛のようなものだなと思う。このイノシシが駆け出す気配はないけど、この目は何かを訴えているな。

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2006.12.16

06・12・16 イイギリ異変?

DSCF9585今年、イイギリの赤い実が早くも鳥たちに食い尽くされている。例年だと2月頃まで残るものが、もう消えているとはどういうことだろう。

これは用賀のイイギリ。場所はここ。まだ落葉する前の11月には緑の葉の間から真っ赤な実が垣間見えていたことをハッキリと記憶している。だから葉が落ちるのを楽しみにしていたのだが、12月11日に撮影したこの写真では葉が残っていながら実が見えない。

ちなみに昨年の姿はこれ。12月15日だったから時期的にも比較が成立する。

DSCF9646これは横浜市都筑区のイイギリで場所はここ。この並びの数本のイイギリは、去年、枝がずいぶん刈り込まれていたと記憶しているので、そもそも今年ちゃんと結実していたかどうか確かではない。

世田谷の数本の木とうちの近所の数本の観察だけで異変というのは軽率かもしれないから、できれば目黒の雅叙園のイイギリがどうなっているか見に行きたいところだ。今年の2月の雅叙園のイイギリはこんなだった。

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06・12・16 スポーツ報道とイジメ「元素」

いつものようにiPodでKQEDのマイケル・クラズニーのpodcastingを聞いていたら、最近ある本を出した著者が登場して"Hikiko Mori"について話し始めた。「森 ヒキ子」?どんな字を書くのかと思ったら「ヒキコモリ」の話だった。どうやら"hikikomori"もかつての"otaku"のように英語の語彙に入りそうな気配を感じた。

イジメ問題の「元素」というべき何かがあるとすると、それは日本人「みんな」の精神にかなり広く蔓延していて、ある時はイジメという形をとり、またある時は醇風美俗として現れるという性格のものではないか、という気がする。

例えば、こういう現象がある。日経新聞や朝日新聞のプロ・スポーツ報道で私がしばしば気になっていることだ。

ゴルフトーナメント初日、無名の選手がトップに立ち、一方、優勝候補とされる有名プロ○○が出遅れたとする。この場合、見出しは「○○、首位に△打差スタート」と来る。記事の本文ももっぱら有名プロのレポートばかり。どこを探しても首位の無名プロにインタビューした話とか、その選手の経歴などの情報がない。

確かにカリスマ性のある有名選手は、たとえ成績が振るわなくてもファンにとっては一挙手一投足が興味の対象ではある。だから読者が読みたい記事を提供するとこうなる、ということかも知れない。

しかし根はもっと深いと睨んでいる。

どうも「我々」日本人は財界やら政界やらスポーツ界などの日本の「~界」を見る時に、特定のボスをトップに戴く主流派とその他という分かりやすい安定的な構造に整理したいのではないか。

裏返して言うと、ボスが存在しない多極的で流動的な構造を常態として受けいれたくない。

だからいったん構造が決まった後は、どんな場合でも「~界」のボス、親分、主、権威、大御所、重鎮、天皇の動向や意向がもっとも重要なのだ。ボス以外の身に何が起きようと関心がない。

ここにイジメ問題の「元素」の一つがあると直観する。

言うまでもないが、プロになって初めて有名選手を押さえて試合でトップに立ったとしたら、当人は、大々的に報じられるべき大ニュースだと思うだろう。なのにそれを報じてくれない状況を「イジメ」と感じるのではないだろうか。

「客観報道」を標榜する新聞も、こうして無意識のうちにイジメ元素の温存に手を貸しているような気がするな。

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06・12・15 バンカー・アート

DSCF9517ズボンの後ろの右のポッケにゃスコアカード、左のポッケにゃデジタルカメラ、というのが私のゴルフ姿。

球がつかまったと思われるフェアウェイのバンカーに行ってみると、カラスの足跡がクッキリと残っている。そもそもバンカーの砂が見事にならされたままなので、誰だか知らないがサッと思い切りのよいストロークで砂を掃いたレーキ(rake)の跡もいい感じだ。冬の午後の陽射しは既に低く、砂の粒まで微妙な陰影を作っている。

プロのカメラマンがゴルフ場を撮影する時、朝とか夕方とか、横からの陽射しによる陰影が濃い時に仕事をすると聞いたことがある。プロ選手もコースのデコボコやグリーンの微妙なアンジュレーション(undulation)を研究したい時はわざわざ陽射しが傾く時間帯にラウンドするとも聞く。

せっかくの構図を土足?で踏み荒らす前にとデジカメに記録したのだが、ショットの結果の記憶が消えている。この写真のことはハッキリ覚えているのに。

砂につかまったのは不運だけど、天然芸術を鑑賞できて、ちょっと得した気分になる(というのは負け惜しみか?)。12月3日、千葉のLa Vistaでのこと。

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2006.12.14

06・12・14 Zinfandel Primitivo?ハァー?

DSCF9631ラベルにはZinfandel Primitivoと書いてあるんだが、目をつぶって飲んだらサンジョベーゼか?という感じ。要するに太陽のエネルギーが注ぎ込まれていない。薄いしZin特有のクセも弱い。表現としては「か弱い」が適切かな。

作り手はLeone de Castrisで(ったって知りませんが)、Google Mapで検索するとここになる。

で、www.leonedecastris.comで見てもこの商品は出てこない。IGTという等級はフランスのVin de Pay相当。地酒としておおらかに楽しむべきワインで、それは飲めばわかる。作る側も作品だとは思っていない。

Zinfandelも個性を磨かないとこんな感じにもなる、というふうに理解してみる。そもそもブドウの種類が本当にprimitivoだけかどうか、わからない。IGTはブドウ品種の単一性を要求しているわけではない(と理解)。

単にPrimitivoといえばよいものを敢えてZinfandel Primitivoと言うところが不可解にしてややいかがわしい。私なりにこのワイナリーの「マーケティング戦略」を憶測するに、世の中にZinfandel飲みはいてもPrimitivo飲みはいない(も同然)だろう。ブドウとしては両者はDNA的に同一である。従ってどうせならPrimitivoをZinと言った方がよく売れるのではないか。

しかし、イタリアワインがアメリカに媚びを売ってどうするの、と日本列島に住む私は感じる。

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2006.12.13

06・12・13 ヌーボーの価値

今年もボージョレはスキップして、どうせ買うならイタリアのノヴェロを数本。Zin系のPrimitivoのNovello。割高であることには変わりがない。実感としては本来の価値の3倍~4倍の価格ですね。

DSCF9621軽いのでついつい量を飲んでしまう。半分ぐらいのつもりが結局一本。家内の貢献も大きかったけど。

それはともかく、ワイン作りをビジネスとして見ると、通常は、ブドウを収穫して発酵させて瓶詰めして寝かせた後、翌年の秋に出荷するわけですから、ワインは棚卸資産として1年以上の時間を過ごすことになるのですね。それだけ資金が眠ることになる。つまり資本の回転が遅い。

その点、ヌーボーをやると、秋に収穫し発酵させ、即瓶詰めして出荷するので資本の回転は大幅に改善する。

経営の視点からするとワイナリーがヌーボーという製品ラインを持つことは財務体質の健全性を改善するのにおおいに有効なのだろうと推測します。

逆説的な言い方をすると、皆がヌーボーを飲んであげれば、将来、そのワイナリーから優れたワインが生まれる余裕ができるのではないかな。

そういう意味で、今年、勝沼の甲州種ワインのワイナリーが甲州のヌーボーのプロモーション・キャンペーンをやったことは戦略として正しいと思う。

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06・12・12 カラオケ with Pinky Winters

DSCF9592シナトラ協会主催?のピンキー・ウィンターズとのカラオケ・パーティ@Again 渋谷・桜丘。常連が20名ほど集まったでしょうか。きさくで楽しいおばさまを囲んでJazzで盛り上がりました。
私が歌ったのは"Some Enchanted Evening", "For The Good Times", "Love is a many splendored thing"、"Once Upon a Time"の四曲。いつもこればかりですが。
DSCF9599アゲインのお客さんはセミプロ級の人ばかり。カラオケは独りよがりだと決めつけている人は、この店を体験するべし。鑑賞にたえる素人歌手がこんなに沢山いることに驚くにちがいない。自分以外の人の歌を聞くのが楽しみで私も通っているのです。

ピンキーは70歳をとうに過ぎても肉体的に元気であり、しかも多くの人々に「余人を持って替え難い」存在として愛されている。ビジネスマンには考えにくい人生だ。しかし色々な経験を経て、それがプラスに活かされて、今の彼女があるに違いない。人生は中長期の事業計画のように計画することはできないのだろうね。計画通りの人生って、それは一体なんのかね。

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2006.12.11

06・12・11 グリップの改造でblogどころではなく…

今年のゴルフはまだ終わったわけではないけど、振り返ってみると、私にとっては間違いなく一つのエポックだった。なんと言ってもグリップの握り方を抜本的に変えたわけだから。

まさに「構造改革」で、要するにウィークグリップからストロングに変えた。いや、いまだに未完成でシックリ来ないから変えている最中。ただ基本的には元に戻す気はさらさらないので、気持ちの上では変えたと言い切ってもよいだろう。

DSCF905130年以上続けて来たグリップを変えるというのはけっこう大変で、今シーズンの初ラウンドだった3月頃から約半年間、違和感との戦いの連続だった。違和感があるとついつい馴染みのある元の握り方に戻りがちだが、それを意志の力で矯正するのだ。年末になったいまもその戦いは続いている。

そこまでして何故変えるのか?いくつか理由がある。

第一に、私のグリップはどうもおかしいらしいということは、10年ほど前に金谷多一郎プロに指摘されてなるほどと思った事実がある。いつか直さないといけないと当時から思っていた。

第二に、それまでのグリップで振っていて、いつもラウンドが終わると右肘の内側の筋が痛むのであった。

第三に、今シーズンの頭、とにかく全く球がまともにクラブに当たらないという現象が多発したこと。左に極端に引っかけたりゴロになったりというミスショットのオンパレード。身体もバラバラな感じでどうにもうならない。

第四に、この先も、身体に負荷をかけずに長くゴルフを楽しみたいものだという気持ちが強くなってきたこと。若い時は器用さでごまかしたりできたものが、歳をとるとできなくなる。

今までののグリップを続けていたのでは、いずれ私のゴルフは破局を迎えるに違いないと確信したわけだ。

私のウィークグリップはアドレスをした時に左手の甲が目標方向を向いていた、と思う。たぶんこれはジャック・ニクラウスのレッスン書"Jack Nicklaus' Lesson Tee"の影響だと思う。そしてボールの位置は常に左足の踵の延長上という宗派だ。

それをどう変えたか。今、私がグリップすると、左手の甲はかなり上を向くが、よくよく観察してみると、握っているクラブの番手によって微妙に変化させている感じがある。まだこれは無意識のうちにやっているのだが、クラブのフェースの向きと左手の甲の向きがだいたい一致しているような気がする。

つまりドライバーの時はかなりウィーク側に戻っている。しかしショートアイアンを握る時はかなり天を向いているということ。

技術論はさておき、自分でも興味深く自らを観察していたのは、違和感とどう付き合うということだ。ちょっとした違和感にぶち当たって、こりゃダメだと決めつけて退散してしまっては改革はいつまでたってもできない。実感的には如何に無理だと感じられたとしても、神の目で見れば、これは新境地に至るまでの一時的な障害物にすぎないのだと、信じる必要がある。ここが難しい点だと思う。

なんというか、人間の学習能力に関するリテラシーとでもいうものか。それに、苦しいけど、しょせん遊びだから失敗してもどうということはない。

で、9月にはこの新グリップで79というスコアを出すことができた。改革に取り組んで以来20ランウド目のことだった。これでやれやれという気分になった。違和感はまだあったが、この方向で大丈夫、という自信が生まれた。

ところがその後、スコアは再び乱れ始めて、このごろはなかなか80台が出ない。それどころか100をオーバーすることもある有り様。じつはグリップ問題が収束しつつある一方で、今度は腰とか背筋とかが気になり始めたのだ。

こういう調子で今年は土日などの休日のほとんどをゴルフ場で過ごした。パソコンの前にいる時間が本当に少なかった。だから9月以降、blogが開店休業状態になってしまったというわけだ。

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06・12・10 Pinky WintersのMy Melancholy Baby

Pinky Wintersのライブの歌を聴くことができた。CDで知った彼女のイメージは裏切られることがなかった。

DSCF9544この人の歌はとても自然だ。大袈裟な表現がない。余計な力みとか熱唱がない。ボサノバのような脱力系に近いものがある。だけど投げやりではない。当然テンポがルバートするにはするのだけど、不思議なことに印象としてはキッチリ端正なのだ。なのに、しっとりとした味わいがあり心にしみ入って来る。

出色はMy Melanchloy Babyだ。CDでは"Rain Sometimes"というアルバムに収録されている。この日も予め出してあった私のリクエストで歌ってもらった。

この歌は題名のとおりメランコリーになっている愛しい人を抱き寄せて、どうした元気だせよ、私が何か気に障ることを言ったかい?といった恋人同士の会話という設定になっている。もっともメランコリーな相手は黙ったままだが。

ところが、これをピンキーがバラード風に歌うと、聴き手の心の中の元気な自分がメランコリーな自分を励ます内面の対話に聞こえるのである。彼女の歌声にモノローグの趣が強く感じられるからだろうと思う。

だからなのか、"Every cloud must have a silver lining"という部分を聴くとまさに雲の輪郭を明るく縁取る光が目に浮かび、雲の背後に希望という太陽が輝いている様子がとてもリアルに伝わって来る。Matt Dennisの歌だと全くこの印象がない。

村尾陸男さんのジャズ詩大全14での解説から想像するに、バディ・リッチ、ディーン・マーティン、ペリー・コモあたりは似たような歌い方をしているのかも知れないが聞いたことがない。今のところ私にはこの曲は彼女の歌でしか考えられない。

DSCF958112月9日土曜の午後、冷たい雨に煙る天王洲アイルのヨットクラブで開かれたとあるパーティで70代後半だとも聞く彼女のスムースな歌声に聞き入ったのだった。

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