« 07・01・03 ロウバイ異変? | トップページ | 07・01・08 初ワインはLynch Bages 1999 »

2007.01.08

07・01・05 小津安二郎「早春」

DSCF9948この年末に小津安二郎の写真を表紙にした雑誌を買った。季刊誌「考える人」で小津の特集号。読んでいるうちに「早春」のことを思い出して、はるか昔に古本屋で買ったシナリオを引っ張りだした。勢いでDVDも買った。「早春」はずっと心に引っ掛かっていたのだ。

DSCF9945まず、シナリオである。

昭和32年8月5日刊行の三笠書房「年鑑代表シナリオ集1956年版」450円。これを私は1975年11月1日に3,000円で買っている。ははん、8ミリ映画の制作に凝っていた頃だなと思い出す。それはともかく、野田高梧との共同執筆の「早春」は「ビルマの竪琴」「真昼の暗黒」「現代の欲望」など10本のシナリオの一つに選ばれてはいる。だが、必ずしも高い評価は得ていなかったようだ。

巻末に和田炬衞という人が「1956年度のシナリオ界の概況」と題する一文の中で、橋本忍、八住利雄、田中澄江、和田夏十を存分に持ち上げてから、忘れているわけじゃないよという感じで小津と野田に触れるのである。面白いので引用しておく。

野田高梧、小津安二郎の「早春」はもう別に重ねていうことはない。これははこれで完成したスタイルである。登場人物の喜代(ママ:世代か?)は若返ってはいるが、それをみる作家の眼はそのため特に若返ったとは思えない。これはいわば青春に対する初老のみたスケッチ集である。セリフのみごとなこと、構成の確かなことをみるべきであろう。ただセリフにも一定のスタイルがあり、その一つ一つのいきいきとしたリズムが反復されてゆくうちにふと隙間風を感じさせる。この作家たちにそれについてさらに何ものかを要求することはできないが、小説や戯曲と異なる映画の非情さを図らずもこのことからのぞきみさせるといってはいいすぎであろうか。
言い過ぎだったね。

何か小津関連の本がもう一冊あったはずだと本棚を探すと1989年刊行キネマ旬報特別編集「小津安二郎集成」が見つかった。

これには小津自身が全自作を語った言葉があって、「早春」についてはこうだ。

久方振りに取り上げたサラリーマンもので、会社員の生活を描いてみたかった。大学から社会に出た喜び、会社につとめた時の希望が、だんだん崩れ、三十年つとめてもたいしたことにはならない。会社員生活を世代の変化からとらえ、そこにサラリーマンの悲哀のようなものが出せればと思ってね。戦後の作品では一番長尺ですよ。しかしぼくとしては、なるべく劇的なものを避け、何でもないシーンを積み重ねて、見終わったあとサラリーマンの生きる悲しみが感じられるようにつくったつもりなんだが。
まったくこの言葉のとおりに作品はできている。

この本には小津のこんな言葉もある。1961年、昭和36年5月頃のmemo

どんなに今日的な題材を捉へやうがそれに社会性があらうが その語り口が説明では 劇にならない
まったく、これぞ私が映画に求める最低限度の基準である。言葉で説明しちゃっちゃあ映画じゃない。まあ、最近のテレビ・ドラマもいっそのことサイレントで制作してみたら、もっとまともな映像作品になるに違いない。

また「早春」のカメラを担当した厚田雄春の言葉も興味深い。彼の推測として書かれているが、小津は「早春」で、ローポジション・アングルとカットとカットの切断手法のマンネリズムを打破しようとしたらしく

昭和三十年の「早春」では、江の島海岸でのフル・ショット移動をこころみた。が、それもこれ一作だけのこころみで以後の作品にはまったく見られなかった。
とある。DVDで確認すると、江の島のシーンは違和感がないものの、二三回でてくる丸ビルの廊下のシーンでカメラが移動して正面のドアに接近するところは、見ていて不安感におそわれるほどだ。

同じ本に収められている岩崎昶の文章によると

そのころ(1958年頃らしい)、小津安二郎は映画批評家、ことにその若い世代からは集中砲火をあびている観があった。形式主義で、小ブルジョア的でテンポがのろくて、時代と遊離した低徊趣味におちいっていて、要するにまったくズレてしまっている、というのである。
とあり、どうもこの時期の小津の動揺が「早春」には反映されていると見ることもできそうだ。

DSCF0414「早春」を初めて観たのは、たぶん1959年、小学校6年生の時。PTAが主催したのだと思うが、通っていた新宿区立市ヶ谷小学校の体育館で映画鑑賞会があったのだ。1956年の作品となっているから、封切りから約3年後だった。あの頃、こうした専門の映画館でない場所での上映は珍しくなかった。

それ以降何度かテレビ放映されたものを見ている筈だ。そして、今回、DVDで144分もの長尺をのんびりと観た。

枝葉末節で記憶の勘違いにずいぶん気づかされたが、この作品が好きだったという印象は変わらなかった。私が子供の頃住んでいた大森や池上がこの作品の一つの舞台である蒲田に近いことも親近感の原因だろう。

高度成長期に向けてサラリーマンがどんどん増えて行く、戦後のひとつの時代がこの作品にはよく映し出されていると思う。会社員生活については悲観的に描かれている。そもそも憧れてサラリーマンになった三浦という男を、職場に復帰する夢を叶えぬままに、結核で死なせてしまう。脱サラしてバーを経営する山村聡は、まだ会社に留まっている元同僚の笠智衆からなかば羨まれる存在である。笠智衆も本当はやめたいのだがと言う。若い池部良は自営業の戦友たちに対して何の技術も持たない会社員を卑下して見せる。

仕事の喜びというものが全く描かれていないのが興味深い。何でだろう。いや、当然かなとも思うが。

考えてみると、「早春」では淡島千景がダンナ池部良の「給料がなかなか上がらない」とぼやいていたのに、その6年後には、植木等のスーダラ節が炸裂する「ニッポン無責任時代」が生まれて、サラリーマンはタイムレコーダをガチャンと押すだけで給料がもらえる気楽な稼業になるのである。その更に先に来るのが、ちょっと間があくが、NHKの「プロジェクトX」かも知れない。

小津は確かに会社員生活を取り上げはしたものの、「三十年つとめてもたいしたことにはならない」世界に本質的に興味がないのだろう。やはり関心は家族関係から見た世界の方にあると思う。

「早春」が異色だとすれば、たぶん、家族以外の関係に特に注目し吟味していることではないだろうか。同世代の通勤仲間、職場の同僚や上司、過去の関係ではあるが戦友。しかし何といっても、池部良がキンギョこと岸惠子と不倫をするように、家族として落ち着く前の夫婦のあやふやで頼りない絆を執拗に描いているのが目立つのである。

キンギョはズベ公とまで呼ばれるが、小津美学の世界に侵入して来た挑戦的な異物である。池部・淡島の倦怠期夫婦は、それと鍔迫り合いを演じた挙げ句に地方転勤という偶然によって危うく救われるのである。

「考える人」に小津の言葉として「品行の悪いのはどうにかなるが、品性の悪いのは救いようがない」とある。キンギョも幸いに悪いのは品行どまりに描かれている。若い岸惠子はとても魅力的である。

ラストシーンは気持ちがこじれたまま夫を独り転勤先に赴任させてしまった淡島が、気持ちを取りなおして後から汽車に乗って下宿に行き、既に改悛の情が明らかな池部と縒りを戻すところだ。「もう一ぺん初めっからやり直しだよ」「さう、あたしも…」「やるよ、今度こそ」「さう、しっかりね」という会話がある。

この部分について「何をどうやり直しするのか気になった」と北川冬彦は批評の中で書いているが、確かにこの部分は池部良のせりふも妙に力みがあって、違和感を覚える。色々と調べてみて私が感じるのは、これは映画作家としての小津が、自分に対する批判に対して、やっぱり路線は変えないぞ、と宣言をしているのではないか。

『早春』は昭和28年の『東京物語』から3年近いブランクの後の作品であり、ある意味、満を持しての発表だったのかも知れない。ラストシーンの最後のセリフは

杉山「あれに乗ると、明日の朝は東京イ着くんだなア…」
昌子「さうねえ。……二、三年なんてすぐよ。すぐ経つわよ」
杉山「ウーム」
なんだか小津映画が日本映画の田舎に追いやられていた悲哀が込められたセリフにも聞こえる。

「考える人」から引用。

いつも、今度はなにをやるか苦しみに苦しんでいました。『麦秋』、『東京物語』、そこでやりたいことはやってしまったんでしょうね、二人で会うたびに「次は何をやりますかね」って、そればっかり。(山内玲子=野田高梧氏長女)

昭和三十三年をピークに映画の観客数が下り坂になります。そんななかで、黒澤明監督や木下惠介監督は次々あたらしい主題で冒険するのに、先生はそうしませんでした。(山内静夫=元松竹プロデューサで、「早春」以降の小津組担当)

「年鑑代表シナリオ集 1956年版」小林勝の作品解説より引用。

「晩春」「麦秋」「東京物語」と続いてきて、野田・小津のコンビは「早春」でちょっと変化を見せた。登場人物が若くなったということではない。若い人たちは今までのシナリオでも登場していた。ただ、今までのシナリオは家の中の話しであった。「早春」は通勤する若いサラリーマンという、家の外の群像を捉えているのである。

移動するカメラによる映像が最初に登場するのはシナリオで

19 そこの廊下
出勤時の混雑も今は静かになってゐる。
という部分。廊下の突き当たりに見えているオフィスの扉に向かってカメラがスーッと接近して行く。いつもの小津とは違うぞ、というささやかなファンファーレ的なシーンと言えるだろう。

次がハイキング・シーン。歩いて移動する人を追うカメラは動きっぱなしである。走るトラックの上から撮った映像もある。シナリオにはカメラの移動を示唆するようなことは何も書いてない。

38 渓谷に沿ふ道
電車仲間のハイキングである。いくつかの組に分かれて三々伍々…(以下省略)
じつはこの江の島ハイキング、シナリオでは何故か相模湖あたりの設定になっている。当時、東京の人がハイキングといったら高尾山とか陣馬高原とか、中央線沿線が定番だったような気がする。ハイキングで江の島とは奇妙である。なにかやむを得ない事情で変更になったものと想像される。例えば、カメラを台車に載せて移動させるには江の島というより鵠沼あたりの海岸沿いの舗装道路が必要だった、とか。相模湖の山道では不可能なことだったろう。

三回目の移動カメラは再び廊下である。シーン57のオフィスで仕事をする杉山(池部)と、シーン58の烏森神社付近の路地のシーンの繋ぎとして挿入されている。そして続くシーン59から64まではいよいよキンギョとの不倫である。ただし、この廊下のシーンはシナリオには見当たらない。

カメラが移動するシーンは以上三箇所のみ。特に廊下のシーンは小津の世界から外の世界へと飛び立つ助走を暗示しているようにも感じられる。

たったこれだけだが、ひとたびカメラが移動すると小津の世界が壊れてしまうことは明らかである。「早春」は小津自身にとっても芸術的不倫だったように感じる。

|

« 07・01・03 ロウバイ異変? | トップページ | 07・01・08 初ワインはLynch Bages 1999 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4033/13378555

この記事へのトラックバック一覧です: 07・01・05 小津安二郎「早春」:

» 年鑑代表シナリオ集〈’05〉 [忍者大好きいななさむ書房]
年鑑代表シナリオ集〈’05〉 [続きを読む]

受信: 2009.06.15 20:40

« 07・01・03 ロウバイ異変? | トップページ | 07・01・08 初ワインはLynch Bages 1999 »