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2008.01.03

08・01・03 ケニー・スミスの持ち主ミヤケ・ヤスマツ氏

2001年春に偶然手に入れたケニー・スミスは調べてもらったら1970年にローマでミヤケ・ヤスマツという人が注文したものだったという話は以前ここに紹介したとおり。

当時、カスタムメイドの高価なゴルフクラブの持ち主は富豪と決まっていた。発注した場所がゴルフ文化と縁がなさそうなイタリアのローマとは奇妙だが、恐らくその地に駐在しておられたのだろうか。なかなか人物像が鮮明にならない。ミヤケ・ヤスマツさんとは何者だったのか?漢字はどう書くのだろうか?ずっと頭の片隅にこの疑問が引っ掛かっていた。

しかし最近改めてgoogleしてみて、まだ試してない漢字があったことに気づいた。すると、googleの巨大な書庫の底から浮上して来たのは戦後まもない頃の衆議院の委員会の議事録だった。昭和二十五年三月十一日(土曜日)午後二時四十四分開議の第007回国会 経済安定委員会 第9号。そこに委員外の出席者の一人として農林事務官 三宅康松の名前があった。昭和三十一年五月二十八日(月曜日)の第024回国会 農林水産委員会 第44号の議事録では農林事務官(農林経済局企業市場課長)となっている。

1970年、つまり、昭和45年にイタリアに駐在していた可能性はどうなのか?

googleは三宅氏が「世界の中層トロール漁法」という論文?の訳者であるとも言う。農林省と言ってもどうやら水産方面らしい。ならば地中海のイタリアに駐在してもおかしくない?(Johnson T.アメリカ西海岸における中層トロールの設計,「世界の中層トロール漁法」(三宅康松訳).海洋水産資源開発センター,東京.1984; 51-60.)

この本をみれば訳者の略歴もわかるかも知れないと思いつつもそのままになっていた。去年はそこまでしか解明が進まなかった。

年があけて改めてgoogleでトローリングすると、また新たな情報が引っ掛かって来た。文官高等試験外交科(外交官及領事館試験)合格者一覧である。三宅康松さんは昭和17年(1942年)東大法卒でこの試験に合格している。同期には昨年亡くなった宮沢喜一元首相(1919~2007)もいる。仮に宮沢さんと同年齢とすると1970年には51歳だ。その時に何らかの事情でイタリアに駐在しておられた可能性は十分考えられる。

終戦直後の経済安定会議で「労務者用配給物資に特別価格設定の請願」とか「新聞用紙統制撤廃反対の陳情書」とか「飮食営業臨時規整法の一部を改正する法律案」とか「公共事業及び経済復興に関する件」を審議していた時代から20年が経過した1970年、日本は高度経済成長期の真っ只中にあり、三宅さんも「やれやれ」と戦後の肩の荷を降ろし、ケネス・スミスという贅沢な道具に心置きなく手を伸ばすことができたのかも知れない。

私がケニー・スミスを使っていてもほとんどのキャディーは気にもとめない。だが、12月に太平洋クラブ相模コースを回った時、人手不足のためにキャディー役を務めてくれた年配の男性スタッフだけは違っていた。こっちが自慢する前にエーッと叫び声をあげて驚いてくれたものだった。

打ちやすくよく飛ぶ今日のゴルフクラブの基準に照らすと、このケニー・スミスには骨董価値以外の価値がない。よぼよぼのジーサンが昔の偉かった時代の古い名刺を見せびらかすようなものかも知れないな。その名刺も誰も知らない紙切れに近付いているわけだ。私としては、40年の歳月を経てde facto無名の道具に戻ったこのクラブを使ってナイスショットを連発して「いいクラブですね。100万円ぐらいで譲ってくれませんか?」というヴァカ者が現れるのを待ちたい。

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