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2008.07.31

08・07・31 バーンスタイン生誕90年

DSCF3036海の日の連休、札幌でゴルフのついでに立ち寄ったコンサートは、そもそもバーンスタインが関わって始まったという真夏の音楽フェスティバルPMFだった。しかも今年は生誕90年ということで、プログラムは彼の作品一色。少し遅れて着いたのでキャンディードは聞けなかったが、交響曲不安の時代やウェストサイドストーリィのシンフォニックダンスなどを聴くことができた。

DSCF3022会場は真駒内の芸術の森の野外ステージ。生憎の雨模様で時々吹き込んで来る雨しぶきを気にしながらの鑑賞となったが、一言で言うと感動した。

DSCF3047締めくくりで指揮者の尾高忠明さんが、本来しんみりと伝えたかったであろうメッセージを、マイクがないもんだから、両てのひらで拡声器を作って叫ぶように話されたことが私の胸にもズキッと的中した。バースタインの作品を色々まとめて演奏してみると、作曲者の大きな人間性に胸を打たれるというようなことだったと思う。

DSCF3040この日聴くことができた作品はとても自然なジャズ臭さをたたえていた。そんな言い方があるのかどうかわからないが、作曲家としてのバーンスタインは現代アメリカの、というかニューヨークの、民族楽派の作曲家だったんだなという印象を深めた。アメリカは一つの民族ではないが、そこに共通の魂があり、それが音楽として鳴っているように感じた。

DSCF3028ステージ上の演奏者はほとんど若者ばかり。オーディションでこのフェスティバルのために編成されたオーケストラのようだった。アジア系、欧米系、顔はさまざまで、オケ自体が民族の坩堝たるニューヨーク状態。

じつは聴く方に回った私たちオジサンは、日本にいながらテレビや映画を通じて、アメリカ文明に深く影響されて育った世代だ。高校から大学にかけての時期、NHKテレビでバースタインがニューヨークフィルを指揮しつつクラシック音楽について語る番組を食い入るように視ていたのだ。彼はとてもカッコよかったし話も面白かった。

DSCF3027ウェストサイドストーリィの影響も大きいが、バースタインの音楽は我々の時代の音楽だと感じることができる。同時代の作曲家は他にも沢山いるが、かならずしもこういう同時代感を感じる人ばかりではない。

演奏会の最後は尾高氏の呼びかけで聴衆を巻き込んでの"Happy birthday, Lenny!"の大合唱となった。素晴らしい演奏会だった。たったの2,000円で!

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2008.07.13

08・07・13 アジロンや、つはものどもが夢のあと

「ADIRONDACK(アディロンダック)」。忘れられない言葉である。ある資料にタイプされていたその書体までイメージが残っている。

先月、勝沼のレストラン「風」のワイン・リストの中に見つけた「アジロン」。原始的エネルギーを感じさせるラベルだが、インディアンの部族名だからこの絵なのか?と、そういえば2年前にも同じことを考えたことを思い出した。
DSCF2839

ADIRONDACKは、ちょうど30年前、富士通のニューヨーク駐在員であった私にとっては、IBMが開発中の戦略的メインフレーム・シリーズのコードネームとして日常的に見聞きする名前だった。

PCM(プラグ・コンパチブル・メインフレーム)をもって追い上げて来た日本のコンピュータ・メーカを一気に蹴落とそうと、IBMは、大幅に価格性能比を向上させた複数の機種を投入する計画を進めていたのだ。

ADIRONDACKは、その開発部隊の拠点からさほど遠くないところにあるニューヨーク州の山岳地帯の地名でもあった。個々の機種にはLOOKOUT=見晴台とか、それらしい名称が付けられていたものだ。

富士通としては、PCM路線を維持するために、ADIRONDACKのハードとソフトの基本的なアーキテクチャに大いに関心があったし、そもそもPCMの参入の余地を作った高い価格設定による「プライス・アンブレラ(傘)」がどこまで下がって来るのかも心配だった。そうしたIBMの具体的な戦術に関する(今流行りの)インテリジェンス活動をすることが私(一人ではなかったが)の使命だった。

IBMの作戦は多面的であり、単に衝撃的な新機種を繰り出すだけではなく、PCM陣営、特に富士通のインテリジェンス活動についても手の込んだFBIの囮捜査を仕掛けるなど、断固たる対決姿勢があった…と、後になって思ったものだ。

当時は「IBM情報」が一つの小さな産業を成しており、無数のコンサルタントが情報を売り歩いていた…ように見えた。しかしこれも後から冷静に考えると、IBM情報を収集する我々に対して、無数のコンサルタントを仕立てて前後左右からアプローチさせていたのかも知れない。

その中の何社かは、クライアント毎に異なるコードネームを教えておき、じつは、それが業界に広まる伝播プロセスをトレースしていたということを、後年、当事者の一人から聞かされたことがある。まさに一網打尽にするための手を打っていた。彼ら自身も、ある時点まではIBMの企業秘密を流していた事情もあり、その罪を赦してもらうために、IBMやFBIと取引をして捜査に協力していたのかも知れない。真相はわからないが。

我々もあちこちから聞こえて来る情報を徹底的に分析整理して、本来の情報源とそれをエコーしているだけの情報リピーターとを峻別していた。業界付き合いの席で話題にする場合でも、敢えて一般に流通している情報の範囲に留め、真の情報源から得たネタは決して教えなかった。

幸か不幸か、我々の「インテリジェンス活動」は精緻な部分とそうでない部分とが絶妙にない交ぜになっていた。囮捜査側からすれば、この上ない美味しいエサになぜ食いついて来ないのか?と思ったに違いない。今にして思うと「品格」のなせる業だったのではあるまいか。

「原茂アジロン」というメニューを広げて、一瞬のことだが、こんな記憶がよみがえり脳裏を駆け巡ったのだった。

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