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2008.09.28

08・09・28 スコルピオーネ軽井沢でアレアティコに再会

スコルピオーネ9月20日の土曜日、ゴルフに出かけた軽井沢の夜、イタリア料理のスコルピオーネに繰り出した。タクシーの運転手が言うには「子供は入れないらしいよ」と。我々は年寄りばかり5人だが、要するにちょっと気難しい店らしいですぜ、ということか。

そうなのかも知れないが、我々は食事を存分に楽しませてもらった。

なによりも、メニューの筆頭に上がっていたこともあり何気なく注文したバーニャ・カウダは、興味津々の逸品だった。この正体についてあれこれ考え推理していたので、デジカメに撮るのを忘れてしまったが、通り一遍のレシピではないことは明らかだった。

野菜はすべて湯通ししてあり、パリパリの新鮮生野菜は出さない。それもちょっと珍しいとは思う。だが、なによりも、バーニャ・カウダのソース自体が独特なのだ。

一見してわかるのは、オリーブオイルがソースに浮いていないということ。というより、果たしてオイルが入っているのだろうか?と訝しく思われるほどだ。

口に含むと、ひときわクリーミィで滑らかな食感があり、非常に丁寧に裏漉ししてあることがわかる。

バーニャ・カウダは、ともすると、オリーブオイルの緑色とすりつぶしたニンニクのペーストが相まって、カニミソを思わせる仕上がりになるモノが多い。しかし、ここのは色が肌色のように明るいし、質感もカニミソを更に漉したような感じだ。見た目も味わいもニンニクの気配がほぼ完璧に消えている。ひょっとしてニンニクを使っていないのではないか?!いや、ニンニクの他にも何か入れているのではないか?という感じがしないでもない。

アンチョビ臭はかなり弱め。十分に塩抜きして使っている感じ。感覚的にはアンチョビ・ペーストをほんの微量たらしただけのように感じる。

メニューにバーニャカウダと書いてなかったら、それとは気付かないで食べたかも知れない。

なんか変だなと思って、同席した仲間に、そもそもバーニャカウダはニンニクを牛乳で煮込んで…して…したモノなんだが…と話していると、老オーナーシェフ氏が往年の日活映画の宍戸錠のように「チッチッ」と軽く首を振りつつ絡んでくる。違うと言いたいらしい。

そもそもバーニャカウダは30年以上も前にイタリアから戻ってきた時にメニューにいれたものとのこと。店の客は老齢で歯の具合がよろしくない人も多いので、野菜はやわらかく茹でることにした。ソースも日本人の味覚に合わせる工夫を凝らしたというが、作り方は教えられないという。「キノコが入ってますかね」「生クリームかな」等と探りを入れてもニタッとするだけで答えない。

話を変えて「スコルピオーネ」という店の名前の由来を尋ねたら、これはイタリアの車の名前から取ったという。

DSCF3371食後、デザートワインについて、メニューに載っていないが、アレアティコがあるかどうか、だめもとで若いソムリエに尋ねてみた。10年ほど前に、銀座のトリフジで、濃い果実味の甘さと酸味の絶妙なバランスをそなえたこのワインを味わって以来、色々な店で尋ねてみるのだが、多くのソムリエは首を傾げるばかり。イタリアではごくごくあり触れたアレアティコ種のブドウによるデザートワインだと聞くのにおかしいではないかと思って来た。

スコルピオーネのソムリエ氏もまずは首を傾げたが、ちょっと調べて来ますと奥に下がった。しかし彼は、なんと、一本のビンを持って戻って来たのである!ワインリストに特集として掲載していた日本人が関係しているイタリアのワイナリーの商品の中にあった、というのだ。アレアティコに再会できるとは!私も初めてのことに大いに驚いた。そして、飲んで感激、これぞ長年イメージして来たワインだった。

そのワイナリーだが、確かにワインリストに一枚の特別リストが挿入されていたことは記憶していた。改めてネットで調べてみたが、たぶんこのブリケッラ農園に違いない。ALEATICOのボトルが写っている。ブリケッラのホームページもあるが、こちらの商品リストには載っていない。

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2008.09.24

08・09・23 DVDで「笛吹童子」を確かめる

1954年(昭和29年)4月~5月に公開された東映の「笛吹童子」(145分)をとうとうDVDで観ることができた。朝から夕方まで、「紅孔雀Ⅰ」(166分)「紅孔雀Ⅱ」(106分)と合わせて延々417分間、スクリーンの前に座っていた。

DSCF3405当時、映画館でこれを観たのかどうか?たぶんテレビでだったと思うのだ。今日の常識では考えにくいが、テレビの受像機台数がまだ少なかったあの頃、映画のヒット作品をテレビで放映したって映画館が損害を被ることはなかったはずだ。したがって新作映画の放映料もたかが知れていたはずだ…と推論できる。やはり、私は自宅のテレビで観たのではないかと…これも推論だが。放映されたのはもっと後の話だったぞ、と言われればそうかも知れないとも思う。

余談だが、昭和29年頃のこと、日本テレビの生放送ドラマ「西遊記」という番組宛に母が私の名前でファンレターを出したら、なんと、葉書で返事が来て「スタジオに見学に来ませんか」と書いてある。長谷川さんという人からだった。もちろん親子で麹町まで出かけたものだった。それほどテレビというメディアがマイナーな時代だったのだ。

DSCF3408「笛吹童子」は、福田蘭童・作曲の主題歌はもちろんよく覚えている。中村錦之助、東千代之介、高千穂ひづる、大友柳太朗、月形龍之介の姿や声も記憶にある。原作者が北村寿夫だったことも、そうそうと思い出せた。

しかしストーリィが思い出せない。これが三部作だったということもDVDを買って初めて気付いたほどだ。「どくろの旗」「妖術の闘争」「満月城の凱歌」とある。そもそも「笛吹童子」「紅孔雀」「七つの誓い」が「新諸国物語」というシリーズを構成していたこともわかっていなかった。それどころか1956年12月~1957年1月公開の「七つの誓い」は題名すら記憶にない。

作品として鑑賞するというよりは、わが幼い子供心を揺さぶった「笛吹童子」は一体何だったのか知りたい、という気持ちで観ていたが、そういうことだったのか…と制作者である当時の大人たちの意図を感じるところがあった。

少しの時間差で戦後生まれとなった私にはわからないことだが、昭和29年、人々はまだ戦争の記憶が生々しかっただろう。当時住んでいた大森から池上にかけての辺りでは空襲で破壊された工場や学校の瓦礫がまだ残っていた。外地から引き揚げて来た人も多かった。我が家も上海からの引揚者である。ラジオでは常に「尋ね人」の放送があった。離ればなれになった家族を探す人が珍しくなかったのだ。過去を引きずりつつも新しい時代を自由に生きるアプレゲールも現れていた。

「笛吹童子」では時代を応仁の乱の直後に設定している。丹羽一族の「満月城」は野蛮な野武士・赤柿玄蕃に乗っ取られるが、城主の正統性の証である「白鳥の玉」は渡していない。城主の遺児となった萩丸(東千代之介)と菊丸(中村錦之助)は留学先の明の国から戻り城の奪還を誓うが、萩丸は満月城に戻り武術で、菊丸は京に残り笛と面という芸術の力で敵に立ち向かう。大江山に住み妖術を使う霧の小次郎(大友柳太朗)は既成秩序のしがらみから外れて自由奔放に酒浸りの日々を送るが、生き別れた妹の胡蝶尼(高千穂ひづる)を探し求めている。このような設定の中で、萩丸と菊丸の兄弟が再会し、霧の小次郎と胡蝶尼の兄妹も再会するのである。

戦後間もない日本の多くの家族が経験したプライベートなドラマがこの映画に投影されていると見ることができる。もちろん「満月城」は敗戦し占領された日本であり、それを若者の文武両面の活躍によって奪回するのだ。霧の小次郎はアプレゲールだろう。この作品はこうした暗喩に満ちており、それを通じて、戦争で傷ついた日本人を励まそうという心が伝わって来る。単なる娯楽映画ではない。

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2008.09.18

08・09・18 ヘビの脱け殻

で、十里木で青いマムシグサを見た翌週、近くの御殿場で今度はヘビの脱け殻に出会った。現物を見るのは初めてだ。人類はヘビに対して根源的な恐怖心を植え付けられていると思うのだが、脱け殻は妙に間抜けな姿を晒しているようでまったく怖くない。DSCF3335

生身のヘビを目の前にすると、すくんでしまって何も言えずに黙り込んでしまうのだろうが、脱け殻になっちゃったら、あんなこわい蛇についてだって、あーだこーだ好き勝手な論評をするだろう。

ヘビってのは、草むらに身を潜めつつ、自分の脱け殻が人間によってどんな扱いを受けるのか、観察しているのかも知れないな。

それにしても、この透明でプラスティック風の精密な構造体は、Speedo社のLaserRacerではないが、ハイテクのスポーツウェアを思わせる。いかにもみごとに脱ぎ捨てられていて、ついさっきまで、この殻が生命体の皮膚そのものだったとはとても信じられない。

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08・09・18 マムシグサのまだ青い実

この写真は9月6日に十里木カントリークラブで撮ったもの。次のホールのティーショットを待つ時間があったので、ティーグラウンド周辺を探索したところ、思いがけずも見つかったのがこのマムシグサのまだ青い実である。未熟な実は初めて目にした。実際、草むらを遠くからぼんやり見ていたのではまず見つからなかったはずだ。DSCF3221

熟すとけばけばしいほどに真っ赤な実が遠目にも目立つのだが、その前は、ひっそりとあたりの色に紛れて目立たないようにしているとは、当たり前なのかも知れないが、驚かされた。ここにこの植物のサバイバル戦略があるのではないかと考えさせられる。

マムシグサは、私の直感的な観察によると、ひとつの場所に群生している印象がある。すなわち根茎を蔓延らせて増えることを主たる戦略とする植物ではないかなと感じる。やがて赤くなる実を鳥類に散布してもらった結果だとしたら?それはこの実に猛毒があって?鳥がこの植物の根元に倒れて死骸となり養分を供給するからだろうか。万にひとつでもそういう収穫があれば、根茎ファミリーにとって大きなメリットがあるに違いない。ダメモトの赤い実なのか?

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2008.09.04

08・09・04 トルティージャ・チップス

私はメキシカンというかテキサスというか、特徴的なクミンの臭い(あえて香りと言わない)のする料理がわりと好きだ。チリビーンズなんかはムッと汗臭い感じで最初は抵抗があったが、いつのまにか懐かしい味になっていた。納豆ほどではないにしても、いわゆるacquired tasteにちがいない。

カリフォルニアでメキシカンの店に行くと頼まなくても出て来る突き出しみたいな位置づけにあるのがトルティージャ・チップスだった。ポテトのかわりにトウモロコシの粉で作った歪んだ三角形のチップス。ポテトチップスに比べると肉厚で堅いので、トマト・チリ味のサルサ(ソース)をすくっても形が壊れない。薄っぺらいポテチでは難しい芸当だ。味はやや淡白というか旨味に欠けるというか、スナック菓子になる以前から存在した素朴な食べ物という感じがする。

だが、食前にビールを飲みつつこれを食べ始めるとやめられなくなる。チップスが切れると追加を頼む。ビールジョッキが空になるともう一杯。よく考えるとチップスがタダだと安心させつつビールで売上を稼ぐというビジネスモデルだったようだが、やめられなくなる本当の原因はサルサだと思う。

かつて日本では輸入物のトルティージャの代表銘柄と言えるドリートスは売っているのだがサルサがなかなか見つからないという、トルティージャ好きにとっては悩ましい時代があった。仕方ないので当時サルサは自作していたものだ。ハラペーニョが手に入らないので、ほかの種類のトウガラシで代用したりしたが、クミン、クローブなどのスパイスを適当に入れるだけでそれらしくなった。

たしか20年ほど前だと記憶しているが、明治製菓だったか?袋詰めのトルティージャ・チップスを発売したのだが、どういうわけか、サルサがついていない。刺身を売り出して醤油を教えないようなもので、これではトルティージャの本来の魅力は伝わらないよなと見ていたら、いつのまにか棚から姿を消していた(と思う)。

あの当時に比べると今はサルサを売っている店はそこら中にある。しかも辛さも色々取り揃えている。

そして今日知ったのだが、サルサ入りのコーンチップなんていうモノまで出ているのだ。ようやく刺身とワサビが一緒になった!たいへんにめでたいことである。

このコーンチップ、9月22日新発売らしいので当然まだ食べていないのだが、ちょっと気になるのはチップの厚さだ。はたしてサルサをシッカリとすくうことができるかどうか。さらに、食べ過ぎになりやすいスナックだけに塩加減は控えめであってほしい。もう一つきになること。トウモロコシがバイオ・エタノール用に栽培されるという時代のコーンチップは、果たして将来的に値上がりしないだろうか?

トルティージャ・チップスとビール。これが普通の組み合わせだろう。真夏だとビールはコロナのような軽いのがいい。濃い日本のビールを炭酸水で割ってしまう手もある、真のビール党の人は呆れるかも知れないが。

ワインだと、ポルトガルの微発泡性の度数の低いワインであるヴィーニョ・ヴェルデ(Vinho Verde)なんかがいいかも知れない。これはたぶんガブガブ飲むためのワインだと思うのでビール代わりに使える。

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