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2009.01.01

09・01・01 大晦日ゴルフまさかのドラマ

わが2008年のゴルフは、43回目のラウンドの最後のハーフで久々の30台を記録して気分よく幕を閉じた。

12月29日 厚木国際西コース 43(in) 49(out)=92 快晴 微風
12月30日 太平洋相模コース 42(out)48(in) =90 快晴 微風
12月31日 太平洋相模コース 47(out)39(in) =86 快晴 微風

ほとんどカートに乗らない歩きのラウンドでの三日間だったが、不思議と筋肉痛も疲労感もない。28日に10km歩いたのが効いたようでもあるし、そもそも「ゴルフ体力」が向上したような感じもある。下肢深部静脈弁不全症(もっと短い名前をつけて欲しいが)治療用ストッキングもプレー中はお休みしてみたが、足にむくみなどの異常はない。

5番ティーから4番グリーンを見下ろす太平洋クラブ相模コースはバック・ティーでも6200ヤードほどの短いコースだが、決してやさしくはない。きついアップ・ダウンはグリーンを狙う距離感をおおいに狂わせる。傾斜のある小さいグリーンはただ乗せりゃいいってもんじゃない。

大晦日の最終ホールを迎えて、握った相手に1打のリード。私のスコアはボギーかパーで30台になる。勝負的にも記録的にも緊張を強いられる状況だった。

Eagle Manこの日、前半は相手が38と絶好調。なにしろ7番の三段の棚田型フェアウェイに打ち下ろすミドルホールでは2打目約90ヤードを直接カップインするイーグルだ。グリーンは日陰の部分はまだ固く凍っていた。ところが彼の球はうまい具合にやわらかい部分に着地してから凍結部分を転がって行ったのだった。ありえないことが起きた。4番でもバーディを出しており、もう誰も彼の勢いを止めることができないと思われた。私はそのホールまでに既に二つのOBで早くも8打差。今日は負けたと観念して相方のイーグル記念撮影をするサービスをしたほどである。

ところがゴルフはわからないものだ。昼食後、二人の調子は完全に逆転した。ついに15番ホールでまさかの同スコアとなり、大接戦のまま18番のティーグラウンドに立ったのだった。

一般に最終ホールの設計は、積極果敢に攻めたヒーローの勝ちというタイプと、逆に厳しい試練に耐えたサバイバーの勝ちというタイプとに別れる。

相模コースの18番。フェアウェイはだらだらと登っており、ティーショットの距離が削がれる。一日の最後がこれかよと無力感におそわれる。左OBで左ドッグレッグの角には大きな木が立っている。まして、この日のBグリーンは左の奥。右から攻めないといけない。

18番はホールハンディ4。明らかにむずかしいのである。私はボギーでいいと考えた。パーオンを狙わない。となると1打目の距離は出なくても、とにかく右サイドに持って行くことを考えた。ティーを低めにして軽いスライスを意図した。結果はハーフトップの軽いスライスで右のラフ。

相手はいわゆるチーピン気味で左サイドOBに向かって飛んで行ったが、なんとかラフで止まってセーフ。グリーンは狙えない位置だった。

二打地点から200ヤード先、左奥の高みにある砲台グリーンはバンカーにガードされた城砦のように見える。これはサバイバーを選ぶホールなのだ。

先に打った相手はかなり芯を食ったロングアイアンのナイスショットを放った。砲台グリーンの手前40ヤードぐらいの上り斜面に止まった。私は3番アイアンでハーフトップ。右ラフ残り60ヤードほどのところに行ったが、さいわい平坦な地形だ。予想通り、三打目の寄せの勝負となった。

グリーンの面は全く見えない。ピンは受けグリーンのやや左やや奥。ピンの右から攻めて左に流れて寄せるイメージを持った。左に行き過ぎるとバンカーに転げ落ちる危険すらありそうだ。三打地点に戻り改めて方向を決め、サンドウェッジのフェースをやや開いてピンの右を狙って構えた。

ところが、なぜか私のショットは引っかけてピン方向にまっすぐ飛び出した。しかも距離がちょっと足りない。アッと声を出す。行って見ると球はグリーン左手前エッジ、ピンまで上り約9ヤード地点にあった。着地して転がって左に流れつつ下ってグリーン手前にぼれ落ちたものと想像した。とりあえずボギーを取ることは可能だと思った。

次に相手が傾斜の真下からきれいなアプローチを打った。まっすぐ飛んだ球はピン手前に落ちると斜面を転がり登って行った。速いグリーンだ。ピンを通り過ぎても登って行く。これは長い下りのパットが残るぞと見ていた。ところが今日の彼はイーグルをなし遂げた奇跡の人だった。なんと斜面を登り切った球はそこで静止せずに、今度は斜面を自ら意思を持つかのように下り始めたのだった。トロトロ、トロトロ、転がって来る。しかもカップを目指して!打った当人も私もゲラゲラ笑ってしまうほどの球のパフォーマンス。やめてくれ!と私が叫ぶと、球はカップの真上、1メートル弱のところでようやく停止した。9ヤード vs 1ヤード。これは負けたと思った。彼も勝ったような表情である。

私は入れないとダメだと思った。上りのスライスライン。問題は曲がり幅だ。

最近の私のポリシーとして、曲がりは多めに見込むようにしている。外しても残りをいわゆるプロサイドに残す作戦である。これは一理あって、プロサイドに残ったということは斜面が思ったほどでなかったということであり、従って残りのパットはより平坦な面にあることになる。逆にアマチュアサイドに残るということは、残りのパットは思ったよりも急な斜面にあるわけで、後始末で更に緊張を強いられることになる。

カップの左50センチメートルほどを狙った私のファーストパットは、打った瞬間、強すぎたと判った。しまった。しかも球はちっともスライスせずにまっすぐ斜面を登って行く。あーっと頭を抱えたくなるようなパットをしてしまった。

私の球はカップの大きく左を通り過ぎてスライスしつつ2メートル近く登ったところで静止した。と、思ったら、この球も自分で山を降りて来たのである。トロトロ、また全員の笑いを誘いつつカップに近づいて来た。約25センチメートルのところで停止した。

相手は90センチの下りのパット。触るだけと自らに言い聞かせた。そして触った。球はカップの右縁をかすめて下って行った。返しの上りも外して3パットのダブルボギー。私は1パットのボギー。

斯くして2008年の最終ラウンドはまさかのドラマとなったのだった。

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