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2010.01.03

10・01・03 消費しない消費者をなんと呼ぶ?

デフレという現象について若い頃は全く考えたことがなかった。しかし悲しいかな、今、日本では誰もがデフレのエキスパートになりつつある。

売り手と買い手が消費というゲームをしていると考えると、デフレとは、買い手が「金を使う」という手をなかか打たない状態。そこでしびれを切らした売り手が「経営努力」により値を下げる。ところが買い手は、もっと待てばもっと下がるだろうと考えて、買い急がない。かくして膠着状況が続き、売り手の更なる「経営努力」で値段だけがどんどん下がって行く状態だろう。

「経営努力」というヤツが曲者で、社員の給料を減らしたり、メーカーだと、国内社員をクビにして海外のもっと安い労働力を使う。この結果、一消費者としての社員の所得は減るので、ますます買わなくなる。

といって「経営努力」をしないでいると輸入品に市場を奪われてしまい、やはりいずれは社員にツケが回って来る。

買わない理由なら、今、幾らでも挙げられるだろう。

①当面、景気が悪くて所得が増えそうにない。サラリーマンでも、今後、定期的に昇給して行く期待もかなり薄い。だから、ローンで将来の所得増を先取りするような買い方はできない。

②投資と思って買ってあった不動産などの価値が下がって大きな含み損を抱えており、悔しくて、とても新たな消費意欲がわかない。

③物価は上がらないのだから、必要なモノは本当に必要になった時に買えばよい。今慌てて買う必要はない。

④日本の社会のセーフティネットが破れているのではないかと心配だから、なるべく将来の自分の生活は自分で守るために消費より蓄財する。まして国家財政が事実上すでに破綻しているのだから。

⑤エコだエコだと言われて、節約することが正しいという価値観が根付いてしまった。実際、温暖化は気になるし、限りある化石燃料に依存する暮らし方に将来はないだろう。

⑥なんだかんだ言っても、もう欲しいモノがあまりない。ネットでクチコミ情報が入るので、価格や必要性について冷静な損得判断をする消費者になった。

⑦高級ブランド物は、世界的にオーラを失ってしまったので、あまり欲しいとも思わなくなった。

⑧もともと日本には清貧という生き方を良しとする価値観もある。そこまで達観しなくても、20年前のバブル期の経済は狂気だったという思いがあり、あの愚行を繰り返したいとは思わない。今日、確かに消費者自らがデフレを助長している自覚はあるのだが、以前より、消費者として「正気」になっているとも感じている。

消費者がこういう有り様だとすると、これからの消費者は、形容矛盾だが、あまり消費しない消費者だということになる。

人々が上に列挙した①~⑧までのスタンスを維持しつつ「消費経済」が活発になることが、どうにもイメージできない。いや、仮に活性化出来たとしても、それを「消費経済」と呼んでよいものだろうか。

「消費者」という言葉は、本来は経済活動のサイクルの中での役割を示す言葉にすぎない筈だが、20世紀後半の大量生産された規格品を大量消費する役割を担わされた大衆という色が着いていると感じる。

マーケターは、大量消費の大衆が多品種少量生産された製品を求める少衆へと変化する時代の消費の本質的なwhyを追究するために「生活者」という概念を編み出した(と私は理解している)。

これからの消費しない消費者や消費しない消費経済を考え論じる上で、「生活者」は器として十分かも知れないが、その生い立ちはまだまだ消費寄りであって、ひょっとしたら他にもっとピッタリと言える概念があるような気がしてならない。

トフラーが持ち出した「プロシューマ」(prosumer)も一つの器かも知れないが、これもちょっと違う。

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