そもそもは猫を高いところからほっぽり投げて、これじゃもう助からないだろうと思っていると、どっこい「ニャオ」と何事もなかったかのごとく戻って来るしぶとさを言っているらしい。
もちろん我が家の猫をそんな恐ろしい目にあわせたりはしないが、最近、この諺を実感させられている。まだ事態は進行形なのだが。
うちの雌猫は約18歳である。その割りにはいつまでも元気だと思っていたが、数ヶ月前のこと、急に後ろ足の運びがぎこちなくなった。足を引きずるようにしている。はてさて、いよいよ脳梗塞でも発症したのかと注意していると、それからほどなくして急に元気が萎えて、とうとう部屋の隅に力なく横たわるようになった。
もう疲れ果てたという様子で横になり、腹がふくらんだりへこんだりすることだけが、かろうじてまだ息をしている証拠という感じだった。それもしばらくジッと凝視しないと呼吸が確認できないほどにまでなった。
それまでになると水も飲まないしエサも食べないから、病気はともかく、絶食が原因で本当にくたばってしまうだろう。助かるものも助からなくなる。
そこで、せめて水を飲ませてみるかと思い、スプーンの水をぐったり寝ている猫の口元に近づけて見た。何度かやるうちに舌がペロペロと動きだして水を啜るようにはなった。しかし、あまり長くは続かない。
やはり駄目か。きっと脳のあちこちに脳梗塞が起きて、基本的な反射機構が壊れ始めているのだろう。
考えてみる、カリカリと乾いた味気ない猫エサばかりしかやらなかった。このまま旅立たせるのは気の毒だ。最後ぐらいウマイものを食べさせてやりたいと思った。
台所を漁ると、人間様用のシーチキンの缶詰があった。そう、猫が元気だったころは、この臭いを嗅ぎつけると食卓に飛び乗って来たものだった。これを最後の晩餐にしてやるかと、白っぽいかけらを小皿に取り分けて、猫の臨終の枕元に駆けつけた。それが正直な気持ちだった。
シーチキンのかけらを口元に近づけると猫はピクリと反応した。舌がペロペロと舐める動きをして私の掌から少し食べた。だんだん食欲が戻って来ている。そこで小皿にまとまった量をのせると、これも食べた。
その翌日だったか翌々日だったか、二階の部屋で猫はヨロヨロと立ち上がった。やがて、階段を何かがドタドタと転げ落ちる音がした。猫は一階の廊下をフラフラと歩いていた。
さらに数日後、猫は、足どりこそぎこちなく頼りなくなったものの、一階と二階を階段で行き来し、夜はベッドに飛び乗って来るまでになった。で、飼い主は猫に頬ずりをして健康の回復を喜んだ。
と、ここまでが猫の九生分の二生である。
その後、猫のエサはカリカリに戻った。が、何週間かたってまた寝込んだ。主はまたシーチキンを食わせた。猫はまた蘇えった。
これで九生分の三生。
やがてまた寝込んだ。今度はちょっと様子が違って口に水を近づけても反応がない。これは駄目だ、いよいよだと思った。
これだけ弱っていると最後の晩餐はシーチキンというわけにも行かない。で、ふと、牛乳を飲ませることを思いついた。やってみるとこれは飲んだ。
そして猫は蘇えり九生分の四生に入った。
今のところ、足腰がふらついてはいるものの、すっかり元気である。階段も自力で昇り降りする。ただ、風貌が老猫風に変化してきたことは否めない。
【追記】
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