2008.09.24

08・09・23 DVDで「笛吹童子」を確かめる

1954年(昭和29年)4月~5月に公開された東映の「笛吹童子」(145分)をとうとうDVDで観ることができた。朝から夕方まで、「紅孔雀Ⅰ」(166分)「紅孔雀Ⅱ」(106分)と合わせて延々417分間、スクリーンの前に座っていた。

DSCF3405当時、映画館でこれを観たのかどうか?たぶんテレビでだったと思うのだ。今日の常識では考えにくいが、テレビの受像機台数がまだ少なかったあの頃、映画のヒット作品をテレビで放映したって映画館が損害を被ることはなかったはずだ。したがって新作映画の放映料もたかが知れていたはずだ…と推論できる。やはり、私は自宅のテレビで観たのではないかと…これも推論だが。放映されたのはもっと後の話だったぞ、と言われればそうかも知れないとも思う。

余談だが、昭和29年頃のこと、日本テレビの生放送ドラマ「西遊記」という番組宛に母が私の名前でファンレターを出したら、なんと、葉書で返事が来て「スタジオに見学に来ませんか」と書いてある。長谷川さんという人からだった。もちろん親子で麹町まで出かけたものだった。それほどテレビというメディアがマイナーな時代だったのだ。

DSCF3408「笛吹童子」は、福田蘭童・作曲の主題歌はもちろんよく覚えている。中村錦之助、東千代之介、高千穂ひづる、大友柳太朗、月形龍之介の姿や声も記憶にある。原作者が北村寿夫だったことも、そうそうと思い出せた。

しかしストーリィが思い出せない。これが三部作だったということもDVDを買って初めて気付いたほどだ。「どくろの旗」「妖術の闘争」「満月城の凱歌」とある。そもそも「笛吹童子」「紅孔雀」「七つの誓い」が「新諸国物語」というシリーズを構成していたこともわかっていなかった。それどころか1956年12月~1957年1月公開の「七つの誓い」は題名すら記憶にない。

作品として鑑賞するというよりは、わが幼い子供心を揺さぶった「笛吹童子」は一体何だったのか知りたい、という気持ちで観ていたが、そういうことだったのか…と制作者である当時の大人たちの意図を感じるところがあった。

少しの時間差で戦後生まれとなった私にはわからないことだが、昭和29年、人々はまだ戦争の記憶が生々しかっただろう。当時住んでいた大森から池上にかけての辺りでは空襲で破壊された工場や学校の瓦礫がまだ残っていた。外地から引き揚げて来た人も多かった。我が家も上海からの引揚者である。ラジオでは常に「尋ね人」の放送があった。離ればなれになった家族を探す人が珍しくなかったのだ。過去を引きずりつつも新しい時代を自由に生きるアプレゲールも現れていた。

「笛吹童子」では時代を応仁の乱の直後に設定している。丹羽一族の「満月城」は野蛮な野武士・赤柿玄蕃に乗っ取られるが、城主の正統性の証である「白鳥の玉」は渡していない。城主の遺児となった萩丸(東千代之介)と菊丸(中村錦之助)は留学先の明の国から戻り城の奪還を誓うが、萩丸は満月城に戻り武術で、菊丸は京に残り笛と面という芸術の力で敵に立ち向かう。大江山に住み妖術を使う霧の小次郎(大友柳太朗)は既成秩序のしがらみから外れて自由奔放に酒浸りの日々を送るが、生き別れた妹の胡蝶尼(高千穂ひづる)を探し求めている。このような設定の中で、萩丸と菊丸の兄弟が再会し、霧の小次郎と胡蝶尼の兄妹も再会するのである。

戦後間もない日本の多くの家族が経験したプライベートなドラマがこの映画に投影されていると見ることができる。もちろん「満月城」は敗戦し占領された日本であり、それを若者の文武両面の活躍によって奪回するのだ。霧の小次郎はアプレゲールだろう。この作品はこうした暗喩に満ちており、それを通じて、戦争で傷ついた日本人を励まそうという心が伝わって来る。単なる娯楽映画ではない。

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2008.09.18

08・09・18 ヘビの脱け殻

で、十里木で青いマムシグサを見た翌週、近くの御殿場で今度はヘビの脱け殻に出会った。現物を見るのは初めてだ。人類はヘビに対して根源的な恐怖心を植え付けられていると思うのだが、脱け殻は妙に間抜けな姿を晒しているようでまったく怖くない。DSCF3335

生身のヘビを目の前にすると、すくんでしまって何も言えずに黙り込んでしまうのだろうが、脱け殻になっちゃったら、あんなこわい蛇についてだって、あーだこーだ好き勝手な論評をするだろう。

ヘビってのは、草むらに身を潜めつつ、自分の脱け殻が人間によってどんな扱いを受けるのか、観察しているのかも知れないな。

それにしても、この透明でプラスティック風の精密な構造体は、Speedo社のLaserRacerではないが、ハイテクのスポーツウェアを思わせる。いかにもみごとに脱ぎ捨てられていて、ついさっきまで、この殻が生命体の皮膚そのものだったとはとても信じられない。

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2008.08.17

08・08・17 ららぽーと横浜

DSCF314515日のゴルフの帰りにららぽーと横浜に寄った。私にとっては夏休みだったが、平日、金曜の夕方の時間帯に、大変な人出である。ガソリン高騰で遠出を嫌い近場で済ませているのだろうか。もともと近くにショッピングが楽しめる大型の施設が少なかったことは確かだろう。眠れるニーズを見事に掘り起こしたように見える。

この場所は以前は工場だった。面白いことにGoogleマップの航空写真はまだ工場時代のまま。しかしストリートヴューは「ららぽーと」に変わっている。

DSCF31483階建ての、とにかくでかいモールだ。両端にデパートのような大型店を配して、それを結ぶプロムナードに沿って無数のブランドショップが並んでいる。こういうフロア構成は30年前にニューヨーク郊外のパラマス・パークで見たのと設計思想は同じだ。当時、わざわざ日本からパラマス・パークを見学に来る流通関係者は多く、駐在員として案内したこともあったような記憶がある。

あれが今、横浜にこうして見事にコピーされて現出して、しかも賑わっている。

3階のシネコンを覗いてみた。ホールの中に入るとたちまちポップコーンの香りが流れて来た。ああ、これもアメリカの臭いなんだな。ちょっと小津映画なんかを上映するのには向かない場所かなと感じた。

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2008.08.03

08・08・03 赤塚不二夫、逝く

DSCF8650一昨年の夏、スペインのプラド美術館でピカソ展を観た。その時、ひときわ感銘を受けたのが、ピカソがキュービズムに入って行く頃に自らの方法論の可能性を吟味していたと思われる数々の模写だった。同じ美術館に展示されている名画をキュービズムで捕捉する作業だ。中でもベラスケスの可愛らしいマリガリータ王女の「模写」が印象的だった。元の絵はこんな感じだが、この絵そのものだったかはわからない。

ピカソの手にかかると、模写といいながら、これが赤塚不二夫になっちゃうのだ!とその時感じた。あいにく模写のイメージデータはちょっとGoogle検索した限りでは見つからない。が、とにかく最も近いのは「漫画」なのだ。

漫画として私たちが知っている絵の技法は、対象を大胆に省略することを強いるから、どうしても描き手が対象をどう捉えたのか、という結果が露骨に表れる。これは批評そのものである。

ピカソの模写には、対象を分析して評価し、批評的に、そして立体的に、再構築するという方法論があるように感じられる。

赤塚の描くキャラクターも人間批評になっている。鋭くも愛情に満ちた人間観察から生まれる批評である。キュービズムも自在に取り入れていた。

私は赤塚以外の漫画家にはあまり興味を持つことができなかったが、批評としての漫画(というより人物の絵そのもの)という基準で見ると、その理由がわかる気がするのだ。

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2008.07.13

08・07・13 アジロンや、つはものどもが夢のあと

「ADIRONDACK(アディロンダック)」。忘れられない言葉である。ある資料にタイプされていたその書体までイメージが残っている。

先月、勝沼のレストラン「風」のワイン・リストの中に見つけた「アジロン」。原始的エネルギーを感じさせるラベルだが、インディアンの部族名だからこの絵なのか?と、そういえば2年前にも同じことを考えたことを思い出した。
DSCF2839

ADIRONDACKは、ちょうど30年前、富士通のニューヨーク駐在員であった私にとっては、IBMが開発中の戦略的メインフレーム・シリーズのコードネームとして日常的に見聞きする名前だった。

PCM(プラグ・コンパチブル・メインフレーム)をもって追い上げて来た日本のコンピュータ・メーカを一気に蹴落とそうと、IBMは、大幅に価格性能比を向上させた複数の機種を投入する計画を進めていたのだ。

ADIRONDACKは、その開発部隊の拠点からさほど遠くないところにあるニューヨーク州の山岳地帯の地名でもあった。個々の機種にはLOOKOUT=見晴台とか、それらしい名称が付けられていたものだ。

富士通としては、PCM路線を維持するために、ADIRONDACKのハードとソフトの基本的なアーキテクチャに大いに関心があったし、そもそもPCMの参入の余地を作った高い価格設定による「プライス・アンブレラ(傘)」がどこまで下がって来るのかも心配だった。そうしたIBMの具体的な戦術に関する(今流行りの)インテリジェンス活動をすることが私(一人ではなかったが)の使命だった。

IBMの作戦は多面的であり、単に衝撃的な新機種を繰り出すだけではなく、PCM陣営、特に富士通のインテリジェンス活動についても手の込んだFBIの囮捜査を仕掛けるなど、断固たる対決姿勢があった…と、後になって思ったものだ。

当時は「IBM情報」が一つの小さな産業を成しており、無数のコンサルタントが情報を売り歩いていた…ように見えた。しかしこれも後から冷静に考えると、IBM情報を収集する我々に対して、無数のコンサルタントを仕立てて前後左右からアプローチさせていたのかも知れない。

その中の何社かは、クライアント毎に異なるコードネームを教えておき、じつは、それが業界に広まる伝播プロセスをトレースしていたということを、後年、当事者の一人から聞かされたことがある。まさに一網打尽にするための手を打っていた。彼ら自身も、ある時点まではIBMの企業秘密を流していた事情もあり、その罪を赦してもらうために、IBMやFBIと取引をして捜査に協力していたのかも知れない。真相はわからないが。

我々もあちこちから聞こえて来る情報を徹底的に分析整理して、本来の情報源とそれをエコーしているだけの情報リピーターとを峻別していた。業界付き合いの席で話題にする場合でも、敢えて一般に流通している情報の範囲に留め、真の情報源から得たネタは決して教えなかった。

幸か不幸か、我々の「インテリジェンス活動」は精緻な部分とそうでない部分とが絶妙にない交ぜになっていた。囮捜査側からすれば、この上ない美味しいエサになぜ食いついて来ないのか?と思ったに違いない。今にして思うと「品格」のなせる業だったのではあるまいか。

「原茂アジロン」というメニューを広げて、一瞬のことだが、こんな記憶がよみがえり脳裏を駆け巡ったのだった。

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2008.04.23

08・04・23 深夜の交通事故現場

Car Accident
タクシーで帰宅途中、いつも走り慣れた道が警官たちでブロックされていた。

ゆるく左にカーヴする道だが、どうやらこのトラックは真っ直ぐ突っ込んだようだ。

大きな地図で見る

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2008.04.21

08・04・21 たまにはネガティヴ

ワインを飲みながらNHKの首都圏ニュースを観ていたら、東京ディズニーランドで「賞味期限」切れの幼児用食品を何件か販売してしまったという報道だ。「消費」ではなく「賞味」期限であるから、食品が傷んでいたわけではないし、具体的な被害者が出たわけでもないようだった。TDLからの発表を踏まえてのことだろうが、これが本当に「ニュース」かい?今、皆が知るべきことなのか?

今日の私は別に機嫌が悪いわけではない。血圧だって正常だ。しかし、メディア諸君(ったって、この場合はNHKだけだが)、ちょっと待ってくれよと言いたくなった。

そりゃ、もしかたらTDLのサービス品質の神話時代は終わったのかも知れない。パレードの山車が崩れたというニュースの記憶はまだ新しい。しかし、だ。賞味期限切れを取り上げるのなら、賞味期限切れ商品を定期的に平然とばらまいている業界が身近にあることを御存知ないのか、NHKさんよ、と言いたい。

それは新聞である。宅配の英字新聞である。

私はヘラルド・トリビューン紙(以下、ヘラトリ)を宅配で購読している。この新聞は私の記憶では休刊日はクリスマスぐらいしかない。少なくとも、嵐が吹こうと、阪神が優勝しようと、フセインが逮捕されようとも、日本の新聞業界が頑なに墨守している年に何回もの定期的な休刊日はヘラトリには無いと言ってよい。

日本の新聞の休刊日には日本の新聞は宅配されない。そりゃ、配達しようにもそもそも大元の新聞が制作されず印刷もされないのだから、仕方がない。(正確な理屈は、配達してくれないから制作しない、かも知れないが)

この同じ休刊日に、英字のヘラトリは制作されているのである。新聞はできているのだ。その証拠に駅売りはあるのだ。が、我が家に朝それが配達されたことはこれまで一度もない。私はヘラトリの購読者であるにもかかわらず、それとは関係のない日本の新聞の休刊日になると、側杖を食らってしまうのだ。

ふだん私は、朝、出勤する時に、門の郵便受けから新聞を取り出してカバンに突っ込んで出かけて行くのだが、日本の新聞の休刊日の朝、ヘラトリは届いていない。ないものは仕方ないからカバンは虚しく家を後にするしかない。

夜、帰宅すると、賞味期限切れのヘラトリが郵便受けの中でアクビをして私を待っているのである。

誰が何時頃にこの腐りかけたニュースという商品を平然と配達しているのか。その姿を想像するだにバカバカしくて私は問い合わせをしたこともないし、突きとめようとしたことも一度もない。購読開始時にそういう予告を受けた記憶もないし、毎月集金に来る新聞販売店の人から謝罪された記憶もない。この業界の人はこれがまったく当然だと思っているらしいと察するばかりである。遅れて配達される新聞は賞味期限切れだが、そんな時間に配達に来る新聞屋の職業倫理は消費期限切れと言わざるを得ない。

休刊日にも発行される新聞の宅配をどうするか、恐らく新聞販売店によって対応は色々だろうと想像している。それでも「被害者」が数人にとどまる筈はないだろう。全国で数千、いや数万人にのぼるかも知れない。

新聞ジャーナリズムはこれを問題として取り上げることはないだろうが、NHKならできるだろう。(と私に言われたら新聞人諸君は侮辱だと思ってほしいのだが…)

たまたま、さっきアマゾンから届いたので読み始めたのが我が敬愛する元毎日新聞記者・徳岡孝夫氏の「『民主主義』を疑え!」である。帯には「新聞、テレビはなぜ堕落したか?」と書いてある。「現場」へ行け、「マス・メディア」を疑え、「事実」から目を背けるな、「人は何のために生きるか」、常に考えよ、とも書いてある。

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2008.01.16

08・01・16 佐伯泰英の作品だった「新アルハンブラ物語」

DSCF13602年前のスペイン旅行の時に参考にした「新アルハンブラ物語」の表紙を何気なく見ていて、ハッと驚いた。著者名に「佐伯泰英」とあるではないか。正確には安引宏との共著であるが。もっとあからさまに言ってしまうと、本文の大部分は安引氏が書いている。佐伯氏は写真のキャプション的な極めて短い解説文だけしか書いていない。なのに共著者としてどうどうと名前が出ているのは、もしかたら写真も佐伯氏のものかもしれない。この本にはなぜか写真のクレジットがない。

この人は昨年のNHK木曜時代劇「陽炎の辻 居眠り磐音 江戸双紙」の作者としてハッキリと記憶している。私が久々に、おそらく何十年振りに、放送日をワクワクして待ったテレビ番組だった。そもそも日頃ドラマをあまり観ない。まして時代劇はほとんど観ない。たまたま義母に付き合って見始めたら、なんと、私の方がはまってしまったのだった。

山本耕史をはじめとする出演者も魅力的だったが、結局、作品としての出来がよかったのだ。無駄なカットを見せられた記憶がない。芝居をしないで音楽で心理描写を代替するという誤魔化し演出はほとんどなかった。ちゃんと映像で勝負していた。音楽の使い方にも節度があった。新妻聖子の主題歌もよかった(CD買った)。そういう格調高い額縁の中で役者たちの演技が素晴らしいご馳走に見えた。一人一人の人物がこんなにいとおしく感じられた作品は記憶にない。

時代の経済的背景を押さえたストーリィの中で、社会の階層を上から下まで、権力者から庶民まで、目配りよく描いていた。もちろん剣の達人としての坂崎磐音の描き方はリアリズムではない。しかしそんな馬鹿な、という気分には決してさせないところが不思議。うまい。よく泣かされたものだった。

原作も買って読んだ。ただスイスイ読めて切りがないので数冊でやめておいたが。

佐伯泰英氏が時代劇作家として成功するまでには長い苦労の時代があったとどこかで読んだ。Amazonでこの作家の作品リストを出版年月日順に表示してみると全部で173件あり、「新アルハンブラ物語」はその158番目に来る。まだ時代劇を書く前の作品の一つである。

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2008.01.06

08・01・06 買ったら製造中止になったソニーのリアプロ

別に愚痴ではない。11月に買った時に予想はついていた。が、意外に早く、先日製造中止のニュースが出ていた。ソニーのリアープロジェクション・テレビBRAVIA KDS-60A2500である。

DSCF1299年末年始、久しぶりに落ち着いてテレビを観た。レコ大も紅白も全部ではないが珍しく観た。のだめカンタービレは面白いしよく出来ているのでいたく感心した。

観たと言っても60インチの高精細画像を堪能したと言った方が正確かもしれない。確かにきれいだしリアルだ。これはスクリーンであって、もはや子供の頃から知っている「テレビ」とは別物だ。ホームシアターという言葉を実感できる。

買ってしまったのだから認知的不協和の偏見を免れ得ないし、冷静になったとしてもルー大柴的な後のフェスティバルになるのだが、Wikipediaにリアプロの長所と短所が整理されているので、ひとつひとつコメントしてみよう。

《長所 》
●大画面TVとしては、安価かつ軽量
価格はもちろん意識した。50インチあたりだとそろそろ液晶に追いつかれるかもという不安?があったので60インチにしたのだった。
●3色混合表示による自然、かつ奥行き感のある色表現
DSCF1300こちらは正直なところぼんやりと眺めていて気づくかどうかは怪しいが、画面にいくら目を近づけても三原色の各色毎の画素らしき粒は、見えない。まるで銀塩写真を虫眼鏡で見たような感じである。ふだんそんなことはやらないが。一つの画素の中に三原色が溶融するのがSXRD方式のこれぞ技術的に正しいぞ、という魅力である。
店で説明を受けた時に強調されたのは黒が真正の黒だということ。黒とは光が存在しないこと。リアプロの黒は本当にその部分に光が届いていないから黒に見えているのだ。バックライトの光が漏れて来る液晶とは根本的に異なる。
●応答速度が速い(ソニーSXRD搭載モデル2.5ms以下)
液晶でもこの問題はずいぶん改善したと聞いていたが、SXRDが優れていることは確実。
●高コントラスト(SXRD、D-ILA共にデバイスコントラスト5000:1以上、セットコントラスト10000:1)
これは上に書いた黒の表現能力に関係することだと思う。
●省電力
これは決定的なポイントだと考えていた。リアプロは60インチでも50インチでも215ワット。液晶は、例えばAQUOSの65インチは500W、57インチでも390W。
●ランプ交換による輝度回復可(ユーザー交換可)
「輝度回復可」というのは物は言いようという感じだが、確かにその通りだ。
●高精細化が可能
フルハイビジョンだから現在の製品を買ったとも言える。

《短所》
●スクリーンに直射光の当たるような場所で使うには明度が低い
そんな場所に設置するつもりはもともとナシ。
●視野角が狭い(縦方向)
あるていど事実だが展示製品を見た時に特に気になるほどではなかった。それに、大型画面での視聴は、テレビといえども、座る場所を決めて腰を落ち着けて「鑑賞」する気分に近い。きれいに見える場所で見ればよいだけの話。
●適正視聴距離以下での4隅の明度ムラ
これも上と同じ。
●ランプの寿命が従来のテレビと比較して短い(ランプ購入コストが別途必要。1個あたり1万5000~2万5000円程度)
8000時間と聞いた。平均1日4時間として2000日。約5年半である。ちょっと短いかなと思う。しかし致命的欠陥ではない。むしろ長所として書かれていた「輝度回復」という面もあるので、長持ちしても劣化する一方の装置よりはいいのかも知れない。
●奥行きがPDP、液晶に比べて大きい
設置環境次第。ソニーのリアプロは約50センチだが、我が家ではたまたま問題にならなかった。
●画面表面に軟質素材を使用したモデルが多いため物理的な衝撃で傷が付きやすい
気をつけよう。
●視野角が広く、明度ムラを出さず、且つ光源のポテンシャル(高コントラストや高解像度等)を十分に引き出す透過型のスクリーンがない
現在の製品を買ってしまった私には関係ない。開発側が今後悩むことだ。

こうして細かく検証してみると、けっこういい選択をしたような気がする。(←これが社会学の世界で昔から有名な認知的不協和の理論です)

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08・01・06 台北で漢字鑑賞旅行

DSCF2700昨年11月の連休に台北に行き「中文字譜」という漢英字源字典を買ってきた。ゴルフをやりに行ったのだが…。

台北の街に溢れる漢字がいたく新鮮に感じられたのだった。店の看板をジッと眺め、一つ一つの文字の日本での意味をもとに要するにこの店は何だと推論する。で、店の様子を観察して納得したりしなかったりする。漢字の姿形を珍しいもののように観察したのはたぶん幼稚園時代以来のことではないか?わからんが。

DSCF2681日本とは微妙に違う意味で使われている文字も多いし、英語の発音表記に当てる漢字にも意表を突かれる。淡水の名門ゴルフ場は「台灣高爾夫球場」と書く。どうしても野球場のイメージが重なってしまう。コニカの店舗の看板を眺めるとデジタルが「数位」らしいと想像がつく。サービスは「服務」で、なんだかいやいや提供する雰囲気がある。行きの飛行機内で観た映画ムーン・リバーは余りにもそのまんまの「月河」だった。

DSCF1333漢字マッサージで揉みほぐされた脳ミソは、最終日、飛行機の時間を気にしながら台北駅近くを歩いていた。たまたま古本屋の前を通り掛かった。入ろうか?中国語読めないから無駄じゃないか?でも見るだけ見たら?二度と来ないかも知れないのだから。自問自答のすえ入る。入口近くが辞書の棚だった。あまりゆっくりしていられない。買うならサッサと買えよ、という気持ちで背表紙をサーチ。目に飛び込んで来たのが「中文字譜 漢英字源字典」だった。"Chinese Characters, A Genealogy and Dictionary"という英語に安心感があった。

値段は400元だから約1600円。両替した元を使い残しても無駄だという気もあった。レジで金を払おうとしたら350元だという、というか、お釣りをくれたのだ。前日、土産物屋でカラスミを定価で買って来たら、同行者たちに、台北で値切らないのはアホだと馬鹿にされたのだが、そのことを思い出す前に店の方から値引いて来たのには驚いた。

帰路の飛行機の中でこの字典をパラパラと捲り始めた。自分の名前の「章」は?とみると、これは「音」と「十」の組み合わせだという。音(Music/sound)が十(completed)=完了する、だから楽章の意味になるとある。初めて聴く説明に驚いた。自分では特に根拠もなく「立」と「早」の組み合わせだとばかり思っていた。「鎌」はどうだ?と索引を探すがこれが見当たらない。何故だ?約3時間の飛行時間の大半をこの字典で遊んでいた。

この字典の著者はRick Harbaugh という今は米国インディアナ大学にいる経済学者である。国立台湾大学(National Taiwan University)で修士論文に取り組んでいる時に、退却神経症ではないだろうが、本来の研究からの"distraction"として1998年にできちゃったモノと断っているが、できが良すぎる。論文の方の出来か心配になるほどだ。しかも、印刷物以上に充実したネットサイトが今も維持されている。

さて、日本人なら漢字のことは白川静先生に最終的な結論を聞くべきだ。私の「章」はどうなんだと字統(普及版)を引いてみると流石である。白川説によると、後漢の許慎による「説文解字」に「章」=「音」+「十」で楽章だという説が書かれているが、当時、「章」に楽章の意味があったことから逆に発想して、そのような解釈が成立するように字形の解釈をするという過ちを犯したものと断じている。Harbaugh教授の字典は「説文解字」をそのまま引用しているだけだということがわかった。

そういえば「中文字譜」の前書きにはちゃんと「説文解字」準拠であるため、それ以前の時代の漢字の形である甲骨文などの情報は使っていないとの断り書きがある。

とはいえ「説文解字」は「字形学的な字書として唯一のものであり、その聖典とされる」と白川先生は書いているし、Harbaugh教授も西暦100年頃に成立したこの字書が"one of China's first and still most influential dictionaries"だとしている。この「中文字譜」は「説文解字」の世界に手軽に親しむのに絶好の字書だと思う。案外、日本には類書がありそうでないのかも知れない。

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2008.01.02

08・01・02 「謹賀新聞」のメイキング秘話

正直なところ、毎年、できればさぼりたいなと思いつつも、そうも行かんだろと自らをいさめて、自分で自分の首根っこを押さえてムリヤリ書かせているのが私の年賀状「謹賀新聞」だ。

子供の頃は木版画とかゴム板の版画だった。年賀状は学芸会とか文化祭の延長戦みたいなところがあって、毎回、趣向を凝らして制作していたものだった。

2008NewYearGreetingCard「謹賀新聞」というスタイルを始めたのは約25年前、MyOASYS2というパーソナル・ワープロを自宅に購入したのがきっかけだった。確か48万円もしたはず。印刷は16ドットのプリンタだけど、手書きと違って葉書の限られたスペースにも沢山の文字を詰め込むことができる。その点を活かす方法として新聞の体裁を借用することにしたのだった。

パーソナル・ワープロで何でも書きたい何にでも印刷したいとはしゃいでいたのだと思う。印刷した版下を、キヤノンから発売になったばかりの家庭用コピアで葉書に大量複写していた。

初期の頃は本物の新聞のまねをして、題字の下のスペースに近所のお気に入りのケーキ屋、ラーメン屋などの広告を勝手にはめ込んでいたものだった。

本文の記事は最初から「私事放談」としていた。40年ほど前の政治討論番組「時事放談」をもじったもの。細川隆元氏と小汀利得氏の歯に衣きせぬ毒舌がウリで、父が必ず観ていた懐かしい番組だ。このタイトルを借りることで、放談なんだから言い過ぎがあっても勘弁してという言い訳にしていた。インタヴュー形式にしたのは自分で自分にツッコミをいれるためである。私は年賀状には仕事のことは極力書かないようにしている。

創刊当初から考えていたことだが、いずれは謹賀新聞を、昔の「布哇報知」のように、ボロボロに擦り切れた古くさい活字で印刷してみたい。10年ほど前から版下はMS Wordで作るようになったので、フォントさえ手に入れば可能なのだが、はたしてそんなフォントはあるものだろうか。

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2007.09.09

07・09・09 ヘビの木登り

DSCF2376太平洋クラブ御殿場コースの3番ホールのグリーン近くの杉の木。茶色いヘビが登って行く。ゴルフ場でヘビを見ることは年に一回あるかないかだが、木登りをするヘビは初めてだ。同伴プレーヤがおいおいと騒ぐので私もデジカメを持って駆けつけた。

同伴プレーヤ氏は田舎育ちで子供の頃はヘビを飼っていたとのこと。ゴルフの最中に近くにヘビを見つけた途端に童心がよみがえり追い立てたらこうなったらしい。ヘビの自発的な行為ではなさそうである。

しかし、実に慣れた?動作でスルスルとしなやかに登って行くものである。プレーを忘れて皆で暫く見とれていた。

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07・09・09 台風9号我が家を直撃の証拠!?

DSCF23679月7日の未明、偶然に目を覚ました。時計をみると3時過ぎである。深夜ラジオをつけると台風9号は午前2時頃に小田原に上陸したと報じていた。

ふと思いついて「おんどとり」の表示をみると気圧は971.6 hPa。中心付近の気圧は965hPaぐらいと言っていたと思うので、ひょっとして台風の中心が通過していたのかも知れない。

Typhoon#9あとで記憶装置のデータをダウンロードして気圧変化を時間軸にそってプロットしてみたのがこのグラフ。下り坂をズンと落ちたら今度は急激に上り坂になっている。いかにも渦巻きの中心が通過したように見える。約30分間に渡って970hPaを下回るデータが記録されている。

いらないモノだった筈の「おんどとり」君、想定外の大活躍である(と、思いたがっている私)。

DSCF2382今日、太平洋クラブの御殿場コースの杉林で、まさに根こそぎ倒された樹を見つけた。あらためて台風の威力を実感。

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2007.09.04

07・09・04 ブルーチーズからカビを取り除いてどうすんの?

スキンヘッドの農水相が就任まもなく辞任となったわけだが、どうも追い込んだ側がビョーキではないかと感じられてならない。

先日、新閣僚に聞くとかいうテレビ中継を録画で見た。明らかに直前まで官僚のブリーフィングを受けて、それが頭から消えないうちに初会見に臨んだと思しき人もいたが、遠藤氏は自分の考えを自分の言葉で述べていたように感じた。

たぶんそのことは会場にいた記者にも伝わったようで、他の多くの新任大臣にはまず政治資金に関する金太郎飴の質問をぶつけたのに比べて、この人にはちゃんと管掌の農政に関する質問を投げたのだった。

農水大臣だけはやりたくなかったという発言がこの時のものだったかどうかは忘れたが、利益誘導を企む人なら、まさかそんな核心に触れるような饅頭怖い的発言をする筈がない。

いや、もちろんメディアの意図は再チャレンジで立ち上がろうとする安倍内閣に対して早いうちに致命傷を見舞うことにあることは解る。

しかし、今更ながら言わせてもられば、「政」によるカバナンスが弱体化すれば「官」による官のための支配が強くなるだけだ。どうも目先の政局花火の導火線に着火したいがために大戦略を見失っているような気がしてならない。

スキャンダルを表沙汰にするのは、新大臣の仕事振りを暫く静かに見守りその評価が明らかになってからでも遅くは無かったのではないか。もしも馬脚を顕すような事態になったらその時に徹底的に攻めればよろしい。

asahi.comの2007年09月03日13時50分の記事=「『エンタケさん』、選挙では苦戦 辞任した遠藤農水相」を読むと

自らを「愚直にして不器用」と評し、パフォーマンス嫌いを公言。常に持論の「地方が良くならなければ、国が良くなるはずがない」「森なき民は滅び、農なき国は衰退する」という言葉を口にし、地方重視の立場を強調してきた。
とあり、まるでそういう人にこそ大臣をやって欲しかったと言っているようにも聞こえる。

政治家というのは発酵食品みたいなものであって、多くの場合、ただの健康な常識人では務まらず、何らかの菌の作用があって初めて政治家たりえている存在ではないかと感じる。問題はその菌が国民にとって価値ある味わいを出し得ているかどうかである。

このところメディアは面白いようにパンチが当たって久々に自らの権力に酔っているところもあるのだろう。レストランで、ブルーチーズに青カビがついてるとクレームをつけるような呆れた客に似ていないでもない。

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2007.08.06

07・08・06 軽井沢の低気圧

富岡-軽井沢気圧変化
富岡市から軽井沢に車で移動する約90分の間の気圧変化を記録したもの。

じつは、先日、タモリ倶楽部の番組に刺激されて久しぶりにいらないモノを買ってしまった。それは「おんどとり」という気温・湿度・気圧の記録計。単体で8000サンプル記録できて結果をUSB接続でPCに取り込める。

寝室で時に寝苦しいことがあるのは何故か?ワインを保管しているスペースの温度・湿度は大丈夫か?ゴルフ場の駐車場に放置した車のトランクの温度はどんなぐあいか?いろいろ知りたいことがある。

先日の軽井沢行きの時にカバンの中に放り込んでおいたのだが、データを取り出してみると上のようなグラフになったというわけだ。軽井沢(太平洋クラブ)は標高約1300m。気圧は865hPaぐらいと測定された。言ってみればとんでもない低気圧である。

気圧が下がり湿度が上がる時に関節痛がおきると聞いたことがある。だとすると気圧が低くて湿度が高い軽井沢は避暑地としては結構だが関節痛持ちにとっては地獄なのだろうか?私自身はさいわいそういう持病はないので全く実感はないのだが。みんな我慢しているのだろうか?

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2007.07.19

07・07・19ビール業界によるビール業界のためのビール戦争

今朝の日経産業新聞に第3のビールの新製品の比較評価が載っていた。アサヒの「極旨」、キリンの「良質素材」(無印良品みたいだ)、サントリーの「金麦」、サッポロの「ダブルドライ」。

今に始まったことではないが、ビールやビールもどきのこうした「新商品」が次々と出て来る。当然のことながら、その煽りを食って、かつての新商品は姿を消して行くことになる。目先を変え続けないといけないメーカー側の理由があるのだろう。

しかし、飲む側からすると困ったことである。

その一。殆どの「新商品」はわざわざ新商品と名乗るほどの新奇性を備えてはいないこと。一番変わったのは缶のデザインだけじゃないか。

その二。仮にその「新商品」を気に入ったとしても、どうせそのうち棚から消えて行くんだろ、と思わざるをえない。だから本心からのファンになってはいけない。下手に惚れると後で喪失感に苛まれるだけだ。

同じアルコールでも、ワインや日本酒にはここまでの刹那主義?はないだろう。ワイナリーにしても造り酒屋にしても、普通は固定的なファンを育てようと思うのではないか。何故ビールだけが違うのか不思議だ、いや不思議じゃない。ビールだけは「企業戦士」が作っているからだろう。

その三。やれA社とK社の出荷量が何ケースでどっちがトップシェアだ何だと新聞やテレビが騒ぎすぎ。出荷量が多いのがいい酒だなんてことはない。どうもこの馬鹿馬鹿しい接戦に美味しいビールを飲みたいだけの単純にして善良な消費者が巻き込まれて迷惑を被っているのではないか?という気がしてならない。

安心して長年のファンになることのできるビールだけを「新商品」として出して来てほしいものだと思う。当然そんなものはおいそれとできるわけはない。ちょっと目先を変えて新商品だなどと言ってほしくない。

今日の昼食で入ったレストランは、夜はワインバーをやっている。カンウターに座って棚に並んだグラス類を眺めていると、見慣れたフクロウの絵付きのグラスがある。ウェイトレスに尋ねると、この店は「常陸野ネストビール」を置いていることが判った。こういうビールは「ビール企業戦士」の戦場と化したコンビニやスーパーには姿を見せないのだ。

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2007.02.13

07・02・13 ブロッケン現象に遭遇

ブロッケン現象を生まれて初めて目の当たりにした。2月10日、羽田07時20分発のJTA21便が宮古島空港に着陸する20分ほど前の午前10時25分頃に撮影できたもの。飛行機の影は遠くの雲に映る時は小さく、近くの雲では大きく見える。機影の大きさは飛行機が高度を下げるにしたがって目まぐるしく変化した。この日の宮古島の天候は曇。

DSCF0713DSCF0715

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2007.02.05

07・02・05 靴のDIY修理はネジ式でいいのだ

DSCF0566靴の両脇にくちが開いて来たのでずっと困っていた。それを自分で修理してみたというわけだ。

DSCF0581靴職人ならばソールを剥がして糸で縫い直すのだろう。専用の工具も材料もないシロウトには無理だ。ホームセンターの売り場を彷徨うこと30分。出した結論がネジ式だった。

DSCF0569見た目の出来ばえには不満が残る。しかしくちは閉じたのだから、これでいいのだ、ということにしておく。

もちろん、ここに至る前に、あるデパートの靴売り場で相談はしてみた。

店員は「仮に開いたくちをふさぐ修理をしたとしても、その結果、本体の革は強く引っ張られるようになるので裂けてしまうでしょうねぇ」と言った。つまり、修理不能。思いがけない答えだった。

プロの職人はそういう見方をするのかと感心するものの、こっちはシロウトだから納得できない。あと少し履き続けたいだけなのに、完璧な修復を前提にされると、話しがかみ合わないのだ。

DSCF0583TAKEO KIKUCHIの靴はデザインもフィット感も、最初はちょっと取っ付きにくい感じがあるのだが、不思議と足になじんで来るのが面白い。何年も私の体重に押しつぶされて、見た目はかなり疲れている。工業製品というよりはどこか作品ぽいところがあって、「まさか捨てたりしないだろうね」と無言の主張をしている…かのように感じたということだな。

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2007.01.15

07・01・15 不二家、ああ、不二家のホットケーキ

もう10年ほど前のことだったか?あるいは15年以上前だったか、記憶はハッキリしないのだが、成田空港でのことだ。

当時、海外出張に飛び立つ前の落ち着かない時間を、私は空港ビルの不二家で過ごすことが多かった。なぜなら、そこでパンパンに厚くて、こんがりとムラなく狐色に焼かれた昔ながらの不二家のホットケーキを食べることができたからだ。

ある時、隣の席にどやとやと4-5名のいい歳をしたビジネスマンが入って来た。聴くともなく聞いていると、驚いたことに、みんなホットケーキを注文したのだ。「これがうまいんだよ」とリーダー格と思しきオッサンが言っている。エーッ?!と、思わずそっちに顔を向けたものだった。自分と同じ趣味のオヤジがいたからって驚くこともないのだが!しかし、この瞬間、私の不二家への個人的愛着が、じつは、国民的普遍性を備えているのではないかと実感したのだった。

昭和20年代後半、私が大田区山王の幼稚園に通っていた頃、国鉄大森駅前の不二家で食べることができたホットケーキは見事だった。まず、形がよろしい。キッチリと幾何学的に円形をしている。厚みも1cmはゆうにある。しかも縁が垂直に立っている。おそらく輪っぱのような型の中に流し込んで焼いたに違いないと見ていた。そして、ケーキの表面が一面ムラのないキツネ色に焼けている。ケーキミックスが熱い鉄板の上で泡立った形跡もない。それが二枚、皿の上でピシッと重なっている。中央には四角いバターが載っていて、すでにケーキの熱でトロトロと溶け始めている。

シンプルであるにもかかわらず、実に格調高いケーキだった。幼稚園児だった私はこの威厳に気押されてか、ホットケーキは高級品だと思い込んでいたほどだ。

ところが、である。誠に遺憾なことに、日本のホットケーキはその後、堕落の一途をたどって来たように思う。

ひとつにはアメリカの「パンケーキ」文化の侵略である。恐らく80年代後半だろうか、厚みに欠ける、形がいい加減な、表面のあばたもあらわなパンケーキがのさばり始めた。せんべい布団みたいな薄いやつを三枚ほど重ねて、アイスクリームや生クリームを載っけて一丁上がりだ。赤い苺やらミントの葉を添えるのも本体の貧弱さを誤魔化す目くらましとしか見えない。

もっと酷いのは、いや、余りにも酷くてハンカチの隅を噛んで泣きたくなるのは、スカスカのスポンジケーキを冷凍したやつだ。電子レンジでチンされて湯気を立てているブヨブヨのコイツが出てくると、私は注文してまったことを激しく後悔する。チンした店員に責任はないので黙っているが、なんで、こんなものを出すのか!と心の中でいつも絶叫している。

こうした堕落が堕落とも思われない世の中にあって、不二家はホットケーキの「国体護持」にかなりこだわりがあったように見えた。中でも成田空港店はその最後の砦たらんと頑張っていたと私は思う。恐らく冒頭に紹介した隣の席に座ったビジネスマンも同じような認識だったのではないか。

しかし、今となっては全てが昔話でしかない。私の行動範囲でまともなホットケーキをメニューに載せている不二家はもうない。55年前に通った大森駅前の不二家は物理的には今も店舗が残っているが、そのメニューにホットケーキは見当たらなかった。

そして今回の洋菓子に賞味期限切れの材料を使っていたという事件。一生涯の不二家ファンの一人として、とても残念だ。クリスマスにサラリーマンの父親が子供たちのために不二家のショートケーキを買って行く日本の風物詩をどうしてくれるのだろう。

ホットケーキを復活しろとは言わないが、注意深い品質への目配りから生まれたに違いないあのキチッとした形とむらのない狐色を思い起こしてほしいものだ。

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2007.01.14

07・01・14 ウィリアム・ワイラーの「孔雀夫人」("Dodsworth")

DSCF0482一昨日、1月12日金曜日の日経朝刊を見てビックリした。春秋コラムにこう書いてあった。

無類の映画ファンだった作家の池波正太郎さんは、洋画の邦題にも一家言あった。戦前の名作「孔雀夫人」や「たそがれの維納」を例に挙げて言う。「すぐれた映画には考えぬいたいい題名がついている」(『映画を見ると得をする』)…

DSCF0484じつはその前日、私はまさに「孔雀夫人」のDVDを買ったばかりだったのだ。探していた別の監督の作品は見つからずに、長らく気になっていたこっちが偶然見つかった。今となっては全くマイナーな作品。それが翌朝の日経のコラムの話題に取り上げられるとは、なんたるシンクロニシティ!

WNYCのpodcastingにFishko Filesという番組がある。サラ・フィシュコという人の芸術に関するオーディオ・エッセイである。その彼女が、July 08, 2005の放送で、ウィリアム・ワイラーを取り上げた。まだVHSがなかった頃、テレビで時々放映される「我等の生涯の最良の年」を映画の主人公たちと同じ境遇だった戦争帰りの父親と一緒に観て、いつも涙を流すのも一緒だったという思い出話である。

Podcastingでは、それより更に10年遡る1936年作のワイラーの作品"ドッズワース"により長い時間をさく。興行的には成功しなかったが、原作、俳優、そして監督が見事なハーモニーを奏でた名作だというような趣旨である。記憶の隅に引っ掛かっていたこの話を、店の棚のDVDタイトルを見た瞬間に思い出したのだった。

DVDの「孔雀夫人の見どころ」というボーナストラックにこんなことが書いてある

…UA宣伝部員として初公開を担当した淀川長治氏は「興行関係者がおかしな日本題名をつけたために、商売は大失敗した」と語る。…
池波先生とはかなり違う意見だ。

この映画は、ドッズワースという、教養や洗練とは無縁だが、誠実で家族想いで、事業家精神あふれる非文学的な男を実に愛情あふれる眼差しで描いている。主人公はアメリカそのものであろう。伝統にとらわれ停滞するヨーロッパと活力あふれるアメリカ資本主義の対比がある。ヨーロッパに対するアメリカ人の劣等感と自信の複雑なモザイクも見える。

老境に入った無骨で不器用な男がラストシーンで華麗なロマンスの主人公を演じるのは、実に微笑ましくも感動的である。

結論的に、私も淀川長治氏と同じ意見。この映画の題名は、ラストシーンと共鳴するような、何か別のものであるべきだと思う。

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2007.01.09

07・01・09 誰かに似ている海賊人形

DSCF0126DSCF0124

先日近所を散歩していて、道沿いのとある家の窓の中に飾られた人形が目にとまった。遠目にではあるが、我が家のものと全く同じだった。世界が狭いのか、この人形がポピュラーなのか、なんと言ったらよいのだろう。

私がこの海賊人形を買ったのは、たぶんボストンか、あるいはフロリダのディズニーワールドあたりか。もう記憶は消滅しかかっている。いずれにせよ観光地のあり触れた安物の土産物だ。この表情がなんとも面白くて買った…に違いない。
DSCF0123
そして話は変わるが、これが後から知り合ったジョンレノンミュージアム初代館長のKさんによく似ていることに最近気づいた。それだけ。

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2007.01.08

07・01・05 小津安二郎「早春」

DSCF9948この年末に小津安二郎の写真を表紙にした雑誌を買った。季刊誌「考える人」で小津の特集号。読んでいるうちに「早春」のことを思い出して、はるか昔に古本屋で買ったシナリオを引っ張りだした。勢いでDVDも買った。「早春」はずっと心に引っ掛かっていたのだ。

DSCF9945まず、シナリオである。

昭和32年8月5日刊行の三笠書房「年鑑代表シナリオ集1956年版」450円。これを私は1975年11月1日に3,000円で買っている。ははん、8ミリ映画の制作に凝っていた頃だなと思い出す。それはともかく、野田高梧との共同執筆の「早春」は「ビルマの竪琴」「真昼の暗黒」「現代の欲望」など10本のシナリオの一つに選ばれてはいる。だが、必ずしも高い評価は得ていなかったようだ。

巻末に和田炬衞という人が「1956年度のシナリオ界の概況」と題する一文の中で、橋本忍、八住利雄、田中澄江、和田夏十を存分に持ち上げてから、忘れているわけじゃないよという感じで小津と野田に触れるのである。面白いので引用しておく。

野田高梧、小津安二郎の「早春」はもう別に重ねていうことはない。これははこれで完成したスタイルである。登場人物の喜代(ママ:年代か?)は若返ってはいるが、それをみる作家の眼はそのため特に若返ったとは思えない。これはいわば青春に対する初老のみたスケッチ集である。セリフのみごとなこと、構成の確かなことをみるべきであろう。ただセリフにも一定のスタイルがあり、その一つ一つのいきいきとしたリズムが反復されてゆくうちにふと隙間風を感じさせる。この作家たちにそれについてさらに何ものかを要求することはできないが、小説や戯曲と異なる映画の非情さを図らずもこのことからのぞきみさせるといってはいいすぎであろうか。
言い過ぎだったね。

何か小津関連の本がもう一冊あったはずだと本棚を探すと1989年刊行キネマ旬報特別編集「小津安二郎集成」が見つかった。

これには小津自身が全自作を語った言葉があって、「早春」についてはこうだ。

久方振りに取り上げたサラリーマンもので、会社員の生活を描いてみたかった。大学から社会に出た喜び、会社につとめた時の希望が、だんだん崩れ、三十年つとめてもたいしたことにはならない。会社員生活を世代の変化からとらえ、そこにサラリーマンの悲哀のようなものが出せればと思ってね。戦後の作品では一番長尺ですよ。しかしぼくとしては、なるべく劇的なものを避け、何でもないシーンを積み重ねて、見終わったあとサラリーマンの生きる悲しみが感じられるようにつくったつもりなんだが。
まったくこの言葉のとおりに作品はできている。

この本には小津のこんな言葉もある。1961年、昭和36年5月頃のmemo

どんなに今日的な題材を捉へやうがそれに社会性があらうが その語り口が説明では 劇にならない
まったく、これぞ私が映画に求める最低限度の基準である。言葉で説明しちゃっちゃあ映画じゃない。まあ、最近のテレビ・ドラマもいっそのことサイレントで制作してみたら、もっとまともな映像作品になるに違いない。

また「早春」のカメラを担当した厚田雄春の言葉も興味深い。彼の推測として書かれているが、小津は「早春」で、ローポジション・アングルとカットとカットの切断手法のマンネリズムを打破しようとしたらしく

昭和三十年の「早春」では、江の島海岸でのフル・ショット移動をこころみた。が、それもこれ一作だけのこころみで以後の作品にはまったく見られなかった。
とある。DVDで確認すると、江の島のシーンは違和感がないものの、二三回でてくる丸ビルの廊下のシーンでカメラが移動して正面のドアに接近するところは、見ていて不安感におそわれるほどだ。

同じ本に収められている岩崎昶の文章によると

そのころ(1958年頃らしい)、小津安二郎は映画批評家、ことにその若い世代からは集中砲火をあびている観があった。形式主義で、小ブルジョア的でテンポがのろくて、時代と遊離した低徊趣味におちいっていて、要するにまったくズレてしまっている、というのである。
とあり、どうもこの時期の小津の動揺が「早春」には反映されていると見ることもできそうだ。

DSCF0414「早春」を初めて観たのは、たぶん1959年、小学校6年生の時。PTAが主催したのだと思うが、通っていた新宿区立市ヶ谷小学校の体育館で映画鑑賞会があったのだ。1956年の作品となっているから、封切りから約3年後だった。あの頃、こうした専門の映画館でない場所での上映は珍しくなかった。

それ以降何度かテレビ放映されたものを見ている筈だ。そして、今回、DVDで144分もの長尺をのんびりと観た。

枝葉末節で記憶の勘違いにずいぶん気づかされたが、この作品が好きだったという印象は変わらなかった。私が子供の頃住んでいた大森や池上がこの作品の一つの舞台である蒲田に近いことも親近感の原因だろう。

高度成長期に向けてサラリーマンがどんどん増えて行く、戦後のひとつの時代がこの作品にはよく映し出されていると思う。会社員生活については悲観的に描かれている。そもそも憧れてサラリーマンになった三浦という男を、職場に復帰する夢を叶えぬままに、結核で死なせてしまう。脱サラしてバーを経営する山村聡は、まだ会社に留まっている元同僚の笠智衆からなかば羨まれる存在である。笠智衆も本当はやめたいのだがと言う。若い池部良は自営業の戦友たちに対して何の技術も持たない会社員を卑下して見せる。

仕事の喜びというものが全く描かれていないのが興味深い。何でだろう。いや、当然かなとも思うが。

考えてみると、「早春」では淡島千景がダンナ池部良の「給料がなかなか上がらない」とぼやいていたのに、その6年後には、植木等のスーダラ節が炸裂する「ニッポン無責任時代」が生まれて、サラリーマンはタイムレコーダをガチャンと押すだけで給料がもらえる気楽な稼業になるのである。その更に先に来るのが、ちょっと間があくが、NHKの「プロジェクトX」かも知れない。

小津は確かに会社員生活を取り上げはしたものの、「三十年つとめてもたいしたことにはならない」世界に本質的に興味がないのだろう。やはり関心は家族関係から見た世界の方にあると思う。

「早春」が異色だとすれば、たぶん、家族以外の関係に特に注目し吟味していることではないだろうか。同世代の通勤仲間、職場の同僚や上司、過去の関係ではあるが戦友。しかし何といっても、池部良がキンギョこと岸惠子と不倫をするように、家族として落ち着く前の夫婦のあやふやで頼りない絆を執拗に描いているのが目立つのである。

キンギョはズベ公とまで呼ばれるが、小津美学の世界に侵入して来た挑戦的な異物である。池部・淡島の倦怠期夫婦は、それと鍔迫り合いを演じた挙げ句に地方転勤という偶然によって危うく救われるのである。

「考える人」に小津の言葉として「品行の悪いのはどうにかなるが、品性の悪いのは救いようがない」とある。キンギョも幸いに悪いのは品行どまりに描かれている。若い岸惠子はとても魅力的である。

ラストシーンは気持ちがこじれたまま夫を独り転勤先に赴任させてしまった淡島が、気持ちを取りなおして後から汽車に乗って下宿に行き、既に改悛の情が明らかな池部と縒りを戻すところだ。「もう一ぺん初めっからやり直しだよ」「さう、あたしも…」「やるよ、今度こそ」「さう、しっかりね」という会話がある。

この部分について「何をどうやり直しするのか気になった」と北川冬彦は批評の中で書いているが、確かにこの部分は池部良のせりふも妙に力みがあって、違和感を覚える。色々と調べてみて私が感じるのは、これは映画作家としての小津が、自分に対する批判に対して、やっぱり路線は変えないぞ、と宣言をしているのではないか。

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2006.09.05

06・09・05 アルハンブラ宮殿遠景

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アルバイシンの丘から南方向にアルハンブラ宮殿を眺望した立体写真。8月13日、日曜日の夕方?19時30分頃でこの明るさ。

夕方パラドールにチェックインして、あたふたと準備をし、ジェットコースターのような巡回バス#32に乗ってアルバイシンの広場に登って見たのがこの遠景だった。あの宮殿の中に何が待っているのか知りもしないし、深く考えもせずに、カメラを構えただけだ。

とはいえ旅行の計画を練るにあたって流石にアルハンブラ宮殿の写真を事前に見ないで済ますことはあり得ない。例えば、新潮社から出ている「新アルハンブラ物語」は見ていた。だから私とて何も知らないでこの風景を眺めたわけではないのだが、やはり何もわかっていなかったことを、翌日、宮殿の中に入って思い知らされることになる。

実際のアルハンブラ宮殿を見て来て、改めて「新アルハンブラ物語」の写真はなかなかよく撮れていると思う。実体験を反芻するのに威力を発揮したことは間違いない。しかし、現実の体験を省略できるほどの生々しいインパクトはない。

何が言いたいのかというと、映像ではちっとも伝わらないことがあるということだ。仮に動画だとしても大差はないに違いない。立体写真でも…どうかな?

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2006.09.03

06・09・03 Osunaの街・看板・肖像画

セビリアからグラナダへはレンタカーで移動した。M君がドライバー、T君がナビゲータ、私がガイドブック・リサーチ担当。

高速道路の次々と現れる標識で次の出口の地名を知る。Lonely Planetの分厚いスペイン案内書で未知の地名について調べる。索引になければ通過。もしも見るべきものがあれば降りる。計画性のないドライブだが、それこそが旅の楽しみだ。

DSCF7992Osuna(オスナ)はそうして訪ねた街のひとつだった。人口18,000人、海抜330m。16世紀スペインの富豪侯爵だったオスナ家が建てた立派な建築物があると書いてあるが、少ない人口にも興味をそそられた。

街の中心部らしき広場のあたりに駐車して、小ぎれいな白壁の間の石畳の道を、一番高い丘の上の古い教会らしき建物を目指して急な坂を上っていった。

DSCF79958月13日の日曜日の午後4時近く。シエスタの時間なのだろうか、街はひっそりとしていて、人も車も少ない。丘の上から街を見渡すことができたが、そこにはただ風が吹いているだけとしか言いようがない。よくわからないが、オスナ家の栄華は既に過去の歴史でしかないのかと感じた。

ふたたび車でグラナダへと走り出した。人口238,000人の都会に近付くにつれて郊外住宅やオフィスビルやらが目立って来た。と、その時、ビルの屋上の一つの看板が目に入った。"Inmobilia… Osuna"かな?と読み取った。語感で推測すると不動産屋だろう。オスナ家は今も健在らしいと直観した。

その数日後にマドリッドでプラド美術館を訪れた。ピカソ展を興味深く観てから、次のアポまでの残された時間で本当にかけ足だったが、ゴヤやヴェラスケスなども観た。というより絵画の前を通り過ぎた。しかし、ゴヤの一つの作品の前で私は思わず立ち止まった。タイトルに目が惹きつけられた。Osuna家の肖像画と書いてあったのだ。

スペイン史や西洋美術の教養が無いものだから、オスナの街、オスナ不動産の看板、そしてゴヤの絵に出会うという、筋書きの無いささやかなドラマを楽しむことができたのだった。

知らないって素晴らしい。

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2006.07.09

06・07・08 40年ぶりの高校同窓会

我々は戦後ベビーブーマーの「団塊」世代だ。高校同期生はA組からJ組まで10クラス504名。この大人数が、今から思うと粗末な木造の校舎に、ギッシリと詰め込まれて過ごした。

たった三年という今から思うと短い歳月の中で、互いの人間の匂いや感触を日々記憶の中に丹念に塗り込めていた、ということに気づく。

昭和41年、つまり1966年に卒業して今年がちょうど40年目。10年単位で振り返っても、1976年、1986年、1996年という、既に厳然たる過去に属する年々が途中にあったわけだから、まさに、「帰らぬ日遠い昔」だと言わざるを得ない。

同窓会って何なんだろう。

校外に走り出たまま40年、思い思いのクロスカントリー障害レースを走っていたのだろう。Wikipediaによると障害競走とは「コース上に生垣、竹柵、土塁、水濠などを 設けて、そこを飛越しながら速さを争う競馬の競走である」とある。この歳になると多くは外の枠組みや競争をすべてくぐり終えて、再び、自由の身一つになって校舎に戻って来る。

ただただ身体を寄せ合って高揚する気分の中で昔の記憶を確かめ合うのだけど、この興奮は何なんだろう。

あのヒトが40年経ってこうなる、と相手を見る目は、親が子を見る目と似ているのかも知れない。何歳に育とうとも老けようとも親にとって子は赤ん坊時代からの連続的な記憶の総体である。同窓生という存在も、目の前の実像を一気に昔に巻き戻した虚像を重ねずに見ることができない。

ただのオジサンやオバサンに過ぎないのだが、虚像に幻惑されて、どれが実像なのかよくわからない。言葉を交わしていると、虚と実が行ったり来たり激しく切り替わる。その混乱こそが同窓会の興奮の原因だろう。

鮭が群れをなして生まれ故郷の川を遡り狂おしく産卵するように、40年振りに集まった同窓生の群れの中で、誰もが何かを産みたいという衝動に襲われていたのではないだろうか。

で?結局、秋にゴルフコンペでもやる?ということになったのだった。

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2006.06.16

06・06・16 文部科学大臣賞作品が盗作だったらどうする?

ある日本の「画家」がイタリア人画家の作品を模倣してちゃっかり文部科学大臣賞を受賞していたことが明らかになったという報道があった。

事実関係は「一目瞭然」という言葉の定義そのもののようにみえるのだが、文科省はいまだに「盗作疑惑のある…」という表現を使っているのが解せない。

もっと不可解に思ったのは今日の報道で、「小坂文科相がスギ氏に謝罪の手紙」を出したというのだ。「(模倣者への)授賞の取り消しと、多大な迷惑をかけたことへの謝罪の気持ちを伝える手紙」だというのだが…。

受賞したのは本来は画家ではなくて作品だったはずだ。仮に作品が十分に受賞に値するものだったとすると、ニセモノとホンモノがあれほど酷似した作品ならば、文科省は授賞するべき相手を間違っただけではないのか?本当の作者がスギ氏だと判明しただけではないか。

文科省は「模倣者から取り上げた賞を、スギさん、あなたに授与します」と何故言わないのだろうか?

それが言えないのなら、この際、文部科学大臣賞を廃止することにしました、と言うしかない…と私なら思うのだが。

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2006.06.03

06・05・21 妖精の輪と空振りやワイン

デジカメを携帯してゴルフをするようになってたぶん3年間は経過しているはずだが、それ以前にはよく目撃したと思っていた「妖精の輪」"Fairy Ring"にとんと出会うことがなくなってしまった。しかしことは時間の問題だったようだ。

5月21日の日曜日、埼玉県の太平洋クラブ江南コースの1番ホールのグリーンの右奥で見つけたこれそ妖精の輪だ!グリーンを外した私のボールがどういうつもりか妖精の輪にちゃっかり紛れ込んでいる。

これは一番ホールだったわけで、私はこの調子なら立派なフェアリー・リングをいやというほど目撃できるぞ!と期待に胸、というより腹を膨らませたものだった。

案の定、2番ホールでもリングのかけらを発見した。

が、フェアリー・リングはそれまでだった。

あとは、このあたりが古墳地帯(らしいのだが、流石に躾けの行き届いたキャディーも古墳の話には乗ってこれなかった)であることを彷彿とさせる怪しい地形が気になった。でも、たぶん、池を掘った土を盛り上げたものだろう。

江南は高低差16メートルとのことで、流石にフラットだが、水を巧みに配してプレーヤーに戦略的思考を強いるところが魅力的だ。

話はとぶが、この日の同伴者とは、二日前の晩に、麹町のとあるイタリアン・レストランで食事をともにしていた。その店はイタリア南部の長靴の先端に位置するCALABRIA料理の専門店だった。発音してみよう「空振りや」。その晩、なんかイヤな予感がするよね、と話したものだった。そしてそれは二日後に現実となった。同伴者の素振りのスィングが球に当たってしまったのだった。この堅実なプレヤーにまさかの珍事だった。

ところでカラブリア料理。こまごま詮索するまでもなく洗練とはほど遠い家庭料理であるだろうし、ワインだって、プーリアより先でシチリアの手前という、まさに田舎ワインだ。大急ぎで付け加えるが、私は田舎ワインを蔑視しているわけではない。むしろねじ曲がった現代の洗練コンプレックスとは無縁のローマ時代以来のワイン文化を楽しめるタイムカプセルのような世界が期待できる魅力がある。

カラブリアの足元をみて、私は初めて訪れたこのアルマーニ氏御用達というレストランで大胆にも、「カラブリアの」最高のワインを飲んでみたいと我が儘を言ってみた。メニューにない良いものが出てくればそれでよし。なけりゃ、やはりそんなものかと納得できる。どうころんでもOKなのだ。

案の定、5000円未満のこんなものだった。ブドウはグレコ・ネロ、つまり、ギリシャの黒ブドウ。このブドウはアリアニコと同系統らしい。味も値段も納得の一本だった。もちろんワインリストにはトスカーナもあるが、ここのソムリエ君(日本人)も客に高いものをつかませようという卑しい考えはなさそうだった。精神は上品な店だ。

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2006.02.15

06・02・15 巨人軍の川上哲治と藤田元司

亡くなった元巨人軍の藤田元司の告別式で年長の川上哲治が弔辞を読んだというニュースを見た。(敬称略)

この二人を私は子供の頃雑誌のグラビア撮影で訪ねている。

川上哲治を野沢の自宅に訪ねたのは私が小学2年生の時だから昭和30年だったはず。小学館の「小学二年生」のグラビア撮影。当時、私はプロ野球をほとんど知らなかった。今にして思うと残念でならない。プロの剛速球も止まって見えた打撃の神様だということは後から知ったのだった。

ファンは川上の前では興奮するのが当たり前。撮影に一緒に行ったもう一人の少年は野球少年で嬉々としてはしゃいでいたものだった。ところが私は背番号16のユニフォームに腕を通してポーズをとっても冷静だ。サインが欲しいとも言わない。変だと思ったのだろう。川上に、確か、キミは愛想がないな、というようなことを言われた記憶がある。もっとも小学二年生の私の方も、川上に華やかなプロ野球選手の臭いは感じなかったし、彼にも愛想なんか無かったと思う。

川上邸は高い塀に囲われていた。庭には高低差のあるロープが張られており、ロープには野球の球がぶら下がっていた。川上はそれをバットで軽く打って見せた。ロープにまつわりつくように傾斜を駆け上って行った球は、またロープを滑り落ちて戻って来た。本気でこんな練習をしているのか?メーカの製品のテストなんじゃないかとも思ったものだった。

藤田元司の家を訪ねたのは私が小学六年生の昭和34年だったと思う。今度は少年サンデーのグラビア撮影である。川上の時とは違って、私はすでに立派な野球少年になっていた。町内野球チームの4番バッターだったのだから。

朝まだ早い時間に藤田邸に着いた。まだ雨戸が閉まっていたようなイメージがある。やがてそれが開いて、我々取材の少年たちとスタッフは縁側で藤田を待っていた。

そこに美しい奥さんがお盆に紅茶を載せて現れたのだが、私はビックリした。なんと、紅茶に添えられていたのがレモンならぬミカンの輪切りだったのだ。そんなの見たことがない。どういうことかと考えたが、藤田が愛媛の出身だと知っていたので、すぐに納得もしたものだった。その後に藤田が登場したのだが、なんだか眠そうな表情だったことだけが記憶に残っている。

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2006.02.05

06・02・05 霜柱の虫瞰立体写真

烏山公園の広場は山の北側に位置するので日当たりが悪い。お陰で(まさに!)今年の厳寒の中では昼過ぎになっても霜柱がシッカリと立っていた。

これを虫の眼で見たらどんな風景だろうかと想像して立体写真にしてみた。なにしろ小さな虫のことだから左右の眼はほんの数ミリしか離れていない、という想定で撮った。それでもけっこうな立体感が出ている。

氷柱というより氷の剣が聳え立ち行く手を阻んでいるかのようだ。虫の姿は見掛けなかったが、寒虫見舞いを申し上げたい気分になる。

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霜柱 2006・02・05 横浜市都筑区 Copycenter 2006 Akira Kamakura

この霜柱がある広場の風景。こちらは人間の眼の幅で撮影。フラッシュをたいた。立体視したまま眼の焦点を手前の霜柱から遠景の石垣に移動する感覚が面白い。

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霜柱の広場 2006・02・05 横浜市都筑区 Copycenter 2006 Akira Kamakura

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2005.11.13

05・11・13 手帳の季節

毎年この時期、手帳売り場でどれを買おうかと長考します。

十数年前にアメリカのDay-Timer社の手帳を知りました。付録でついて来る解説の小冊子が素晴らしい。手帳とはこういう情報管理システムなのだという目からウロコの説明があるのです。

そもそも手帳にメソッドとでも言うべき確立された使い方があるなんて、考えてもみなかった。手帳なんて好き勝手に書き込めばいいじゃないの、というのが大多数の感覚でしょう。

Day-Timerで身についたことは、先々のアポなどスケジュールを管理するためのAdvance Plannerと、宿題管理のTo-doリストと、記録を残すDiaryの三つを厳格に使い分けること。

DSCF5251DSCF5252
昔のDay-Timer 2005・11・13 横浜市都筑区 Copycenter 2005 Akira Kamakura
Planner(写真左)は一カ月が見開きで見渡せるページが1年分以上ある。アポとか予定は一日一マスの中に記入する。だからマスのサイズができるだけ大きいことが望ましいのですね。

Day-Timerでは毎日記入するページ(写真右)を一カ月分綴じた手帳が別にあって、これを毎月取り替えてケースに差し込みます。終わった月の手帳はカバーから外してBOXファイルにしまう。つまり持ち歩かない。ま、ここがちょっと辛いところではありますが、Plannerが過去の大まかな記録として使えるからよしとする。

毎朝仕事を始める前に、その日のページを開いて、改めて当日のアポや予定を記入し、またTo-doリストを書き出します。前日からのやり残しは今日のリストに転記することになります。面倒ですが、転記をしつつ課題の確認と見直しをするのです。

毎日のページへの記入を毎朝、あるいは前の晩にやる習慣をつけることは、なかなか教育的な知恵だと思います。転記をいとわないことも意外に大切。

毎日のページにはDiary、つまり、その日の行動の記録を書き留める欄ももちろん用意されています。

自分のオフィスで仕事をする場合は、毎日その日の日付のページのところで手帳を開いて、机の上に広げておくのですね。しまっちゃいけません。そして常に当日の課題を意識して仕事に集中する…ま、理想を言えばですが。

要はこうした使い方のノウハウと習慣の確立こそが大事であって、それを実践するのに適した手帳がDay-Timerの他に無いわけでもない。

そこで私の場合この十年ほどは、本革の立派なカバーだけがずっとDay-Timer製で、中に差し込む紙の手帳は日本製という状態がいつのまにか定番になっていました。何だか空になったジョニ黒の瓶に和製ウィスキーを詰めていた50年前のわが親父の姿を思い出す。で、今年は何を詰めるかなと毎年手帳売り場で悩むというわけです。

ただ、2006年は久しぶりに中身もDay-Timerに戻すことにしました。そこにPlanner部分だけ日本の手帳を組み合わせてカスタム・ハイブリッド版にして使うつもりです。

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2005.11.10

05・11・10 カー・オブ・ザ・イヤーにマツダ・ロードスター

特定の車に夢中になったということはない私。とはいっても動けば何でもいいとも言わない私ではありますが。

乗るクルマで自分の価値が変化するとは思わないタチなので、他人の目を意識して特定のクルマを欲しがることはない。ただ、自分が乗るべきクルマはどれか、ということは考える私。

ということで、20年以上、マツダに乗り続けています。我が家の車は2台ともマツダ。理由はロータリーエンジンの応援…なんですが、自分自身は一度もロータリー車に乗ったことがない。考えてみると助手席にすら乗ったことがない。

3〜4年前だったか、マツダの4ドア・セダンの買い換えを検討した時に私はセールスマンに言った(田口トモロオ)「いいか、マツダがロータリーを止めたらもう買わないぞ」と。ロータリーに乗ってもいないクセによく言ったもんだ。

その時RX7の後継車の話を聴いて、ミレニアという、ロータリーと何の関係もない車を買ったのだから、変な客だと思ったにちがいない。ミレニアはその後製造中止になっているが不思議と腹が立たない。マツダの経営陣は正しい決断をしたと満足している。

Roadster去年、RX8をいちおう見に行って、代わりに中古のユーノス・ロードスター(第二世代のモデル)を買って来た。ただしAT車なので、スポーツカーというには口ごもるところがあるわけだが、運転するのはもっぱら家内なのでこれでよろしい。

さて、昨日だったか、第三世代のマツダ・ロードスターがカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれたことを知りました。この賞の選考プロセスとか権威とか、全く感覚がつかめないクルマオンチの私ですが、マツダとしては23年振りの受賞とのこと。いいニュースだと感動したものでした。

田口トモロオは泣かないが、声がうわずるのダッタ。

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2005.10.14

05・10・14 秋のムシの正体はカンタンかな?

深夜、玄関のドアにこんなムシがへばりついて私を迎えてくれました。
DSCF5000じつはアオマツムシ 2005・10・13 横浜市都筑区 Copycenter 2005 Akira Kamakura
反射的にblogのムシがうずきデジカメを取り出しました。降りたタクシーのアイドリングの音を背中に聞きながらフラッシュを光らせて4−5枚撮りました。

身体が不自然に平べったい。よく見ると右の後ろ足を失っているようで羽の右側に茶色く焦げたような痕があります。白いドアに止まるのもなんだか変ですし、フラッシュの光にも微動だにしない。

で、ようやく鍵を開けて家の中に入ると、タクシーもホッとしたかのように走り出しました。どうも運転手に見られていたようですね。

さてこの体長約4cmのムシの正体やいかに。カンタンかな?なかなかムズカシイ。
【追記】
ゆうなさんの記事にあるアオマツムシに似ていますね。この名前は全く知りませんでした。やはりカンタンじゃなかった?ゆうなさんにトラックバック一枚。それにしてもほとんど同じタイミングで同じ記事を書いていますね。ムシの知らせかな。

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2005.09.23

05・09・23 プロジェクトXが終わる

というニュース?を吉岡さんのblogで知りました。じつは、ここ数年、この番組を殆ど見ていない私。

いや、別に嫌いというわけではないが、最近は何でも「○○産△△のプロジェクトXソース和え」で料理して一丁上がり的なところがあってだんだん鼻についてきた。

企業の中でも、この番組に将来取り上げられることを期待するような心理があったりして、本末転倒ゾーンに入っていたと思いますね。

本来この番組は、もとより名声など求める気持はさらさらなく、誰も見ていないところで第一級の仕事をしている人がいかに多いことか。これぞ日本の底力だというのがテーマだったはずです。

ところがいつのまにかこの番組に取り上げられることが「スター誕生」のような地上から天空に舞い上がることを意味するようになっていた。憶測するに、番組への売り込みも相当増えていたのではないでしょうか。

主題歌の中島みゆきの歌と詞は本当に素晴らしい。特にオープニングの「地上の星」には絶賛を贈ります。この歌の思いに合うように番組を作って来たのではないかとさえ感じられます。

日本全体が自信を失っていたかも知れないこの十数年の歳月。そろそろそういう時代を終わらせようという意志が形を見せ始めた感もあります。NHKにとって、そして、日本にとって、この番組コンセプト自体が立派なプロジェクトXだったと思います。

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2005.09.15

05・09・15 今はもう秋

やれやれ、今夜はようやくエアコン無しで過ごせそうである。外の涼しい空気が欲しくて、窓に網戸をはめてやおら開けてみると風とともに虫の音が流れこんできた。

これは傷つき落胆した民主党諸君の声かも知れない。あちこちから嘆き声がバラバラに聞こえて来るばかりで一向にまとまる気配がない。この冬を越せるのだろうか?

日本人は西洋人と違って虫の音を言語脳、つまり左脳で受け止めるのだといった角田さんという学者さんがおられた。日本人特別意識をくすぐる論だったような記憶がある。

日本人だろうが西欧人だろうが、外国の言葉は最初はいくら聴いても発音を真似ることもできないし、単語の切れ目すらわからなかったりする。あの段階ではきっと右脳=音楽脳で聴いているのだろう。そのうち言葉として聞き分けられるようになるとようやく左脳が活躍し始めるのではないか。

私の直観では、右脳は帰納脳で左脳は演繹脳と仮定したら良いのではないかと思う。

虫の音を言葉のように受け止めるのは、まず感情移入があるからだろう。感情移入とは、対象の立場に立ちその境遇と論理的帰結を想像することだから、まさに演繹脳が活躍するのだ。

小泉さんは長年郵政民営化を繰り返しお題目のように唱えて来た。みんなそれをノイズとして右脳で聞き流していた。それが参議院否決で衆議院解散となったあたりで一気に左脳に刺激が来た。ここまで本気で死ぬ気でいたのかと、ようやく狂人総理に多くの人が感情移入し、彼の論理を自分の左脳で再構築したのだろう。

右脳を通過して左脳に移動したメッセージは、ああ、そういうことだったのかと人を動かす。

民主党のマニフェストは右脳にも届かなかった。運動員が渡そうとした冊子に手を伸ばさなかった人も多かった。そんな、読めば私の方がまともだとわかりますなんてダメ。

いきなり左脳に訴えようとする言葉は感情移入を受け付けないマニュアルでしかない。そういう意見もあるだろね、ご趣旨ごもっとも、だけど身体は動かない。どうもそんな気がした。

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2005.08.14

05・08・14 東京湾花火大会の東京テレポート駅

昨日の8月13日、第18回東京湾大華火祭をお台場のホテル日航東京から見物しました。あいにくデジカメでまともな写真がとれなかったので花火の描写は省略。

花火が光ってからドンの音が聞こえるまで約5秒でしたから会場からの距離は恐らく1700メートルぐらいかなと推定。

時々ひときわ高く上がってから大きく開く花火があって「あれが尺玉じゃないですか?」なんて言っていたのですが、直径45センチメートルの15号球だったようです。それが推定15〜20度ほどの高さに見えた。ということは高度450〜600メートルぐらいだった計算になりますね。できれば花火は高度60度以上の上空に仰ぎ見るのがよろしいですね。迫力が違います。お台場側では無理でしょう。

さて、花火が終わるとあたり一帯の物凄い人出が一斉に駅に向かいます。その混雑をやり過ごすために2時間ほど時間をつぶして(さらに酔っぱらって)も、ゆりかもめは1時間半待ちとの情報。

ちなみに、交通規制が敷かれているため車という選択肢は往きも帰りも始めからありません。

私はりんかい線東京テレポート駅に行きましたが、この写真のようなありさまです。

DSCF4630DSCF4637
東京テレポート駅 2005・08・13 東京都江東区 Copycenter 2005 Akira Kamakura
駅員は地上の入口のシャッターを下ろして一時的に入場制限をしていました。階段を降りる時は将棋倒しの可能性を感じて緊張しました。改札口のフロアーに降りると今度は酸素不足が心配で、実際、わずかながら息苦しさを感じました。

改札付近の混雑が酷かったのは、改札口に向かう流れと、その前にキップを買おうと発券機に並んだ行列が交錯したから。

私は、りんかい線でパスネットが使えることを知らなかったので発券機に並んでしまいました。しかも、キップの行列が余りにも長かったので、後で払い戻しを受ければいいやと思って空いていた専用の発売機でSUICAを買うはめになりました。

改札付近に近づいたら駅員が「パスネットが使えます」とまさに虚しく叫んでいたから、きっと知らない人が多いのでしょうね。

どうも混雑ゾーンの外れから発着する屋形船が正解だったのかも知れませんね。これは来年以降の研究課題。

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2005.08.06

05・08・06 「マンホールの博物誌」の出版がもたらしたもの?

和田さん「たち」が制作した「マンホールの博物誌」という本を、クスクス・ニヤニヤしながら読みました。
マンホールの博物誌下水の臭いがほとんどしない、とても清潔で綺麗な本に仕上がっていて感心させられます。さすが岡本一宣さんのデザインです。

都市インフラとしてのマンーホルの解説はもちろん、技術的なウンチク話や、歴史的視点からのおさらい、地震災害現場の写真など、マンホールマニア垂涎の一冊であることは間違いありません。

「私とマンホール」というテーマで色々な(有名)人がエッセイを寄せていますが、頼まれた方もさぞかし戸惑ったことでしょうねぇ。マンホール?マンホール?…とつぶやきながら訥々と綴ったであろう困惑感が可笑しい。

で、我々にとって日常生活でマンホールをハッキリと意識することはあんまりないもんね…と思いつつ本を閉じたわけです。

ところが驚いたことに、つい先日、身近に、マンホールに落ちた人がいたのです。シンクロニシティというやつでしょうか。そんな偶然の一致に感動する前に、これが深刻な事故だったということはハッキリさせておく必要がありますが、幸い全くの偶然で、大事に至らずにすんだようです。

OKAMURAさん、ほんとに大変な目に遭われましたね。マンホール管理責任者に厳重抗議ですね。

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2005.08.05

05・08・05 podcastingと音楽著作権

ニフティの"XCOOL"(エクスクール)というpodcastを聴いていると、「一曲目…では聴いてください」と司会者が言うので、音楽が始まるかと思いきや、音楽はまるごとスキップされて次のお喋りへと平然と進行して行きます。

音楽著作権問題があって、番組送信側が、podcastという方式でその音楽を配信する権利を得ていないからこういうことになるのでしょう。デジタルなので劣化ゼロの完璧コピーができること、かつそのファイルを保存し何度でも再生できるとなると、これは楽曲を販売したに等しい結果になるので、だからその部分はカットされるのでしょうね。

iTunesの音楽ストアが昨日ようやく日本でも開店となりましたが、podcastingの中での音楽利用はいつまでもこの問題を引きずるかも知れません。

しかし、考えてみると、DJが「では○○をお聴きください」と紹介した曲が、もともと自分のiPodの中に入っていたとしましょう。何処かで別の機会に購入した結果としてそこにあったとしましょう。そういう場合でもDJがあるコンテクストの中で紹介した曲がブツッとカットされていいものかどうか。

そのiPodオーナーはその曲を再生する権利は購入して持っているのだから、そのまま再生すればいいに決まっています。

ところが今の著作権管理の方式の中で、こういう問題が解決できません。不特定多数の人にダウンロードさせてよいだろうか?いや、ダメに決まっているでしょ、というところで思考停止しちゃいませんかね。

もしも、個々の楽曲に固有のidが降られていて、podcasterのDJが「では○○をお聴きください」と言った時に、必ずしもその楽曲のデータがそのDJのお喋りデータと同じファイルの中に統合的に存在する必要はないでしょう。

楽曲の生々しい音声データではなくて、その楽曲の固有のidだけをDJのお喋りの中に組み込んでおくという方法が考えられます。

そうすると、mp3プレーヤーのような再生プログラムがそのidの楽曲を、利用者のiPodの中から探すのです。持っているかどうか、と。もし存在したら再生する。その場合は、聴き手には、DJのお喋り→楽曲紹介→楽曲再生…という自然な展開が聴こえます。

もしも当該idの楽曲がデバイスの中に見つからない場合は、やり方は幾つかあるでしょうが、例えば、ただちにミュージックストアに接続して購入を誘うことが考えられます。(そもそもこのような場面で新曲を年間100曲までは5000円で自動購入する、なんていうライセンス契約があってもよい。) さもなければ、あっさりと音楽はスキップして(file not foundということで)DJのお喋りの続きに進んでもよろしい。

要は、podcastとしての音楽番組で厳しい著作権管理を求めるのなら、音楽データを直接配信するのではなくて、むしろ楽曲のidだけを配信し、そのidの楽曲が利用者のデバイスの中に存在する場合だけ再生するという方法があるということです。

なんだか馬鹿馬鹿しいように感じられるかも知れないですが、iPodでのシャッフルという概念のことを考えてみると、これはもともと自分が所有している音楽の数々が思いがけない順番で再生されることに新鮮な面白さがあるわけでしょ。

podcastとして飛び込んで来たDJのお喋りと音楽プログラム編成も、仮に紹介された全曲をiPodの中にもともと持っていたとすると、これはシャッフルの一種に過ぎないでしょう。

自分が持っている曲ばかりだといってそのDJ番組に価値が無いとは言い切れない。知っている音楽、持っている楽曲を、新しいコンテクストの中に並べて聴かせるのがDJの技であり価値でしょう。

podcastingの前に立ちはだかる音楽著作権問題をやや緩和する一つの試案でした。

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2005.07.31

05・07・31 中原啓一さんの想い出talk

「BeesTalk050731.mp3」をダウンロード

7月24日、赤坂の霊南坂教会で中原啓一さんのお通夜がありました。86歳でなくなられた富士通の大先輩であり、日本のシステム工学の黎明期の指導者のお一人です。

その中原さんの意外な一面とは?!

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2005.07.27

05・07・27 いびきの研究

Podcastingのまねごとをやるというので音声のwaveファイルを編集するツールを初めて使いました。

これが凄いのは、何時間分の音声だろうが、時間的な全体を見渡せることです。波形を見れば何処に不規則なノイズがあるのか一目瞭然。

録音した音を早送りしたり巻き戻ししたりしながら、ここかあそこかと、問題の箇所を探し出す面倒な操作が不要だということです。

となると、これは一晩の睡眠の音を録音しておいて、どこでいびきをかいているのかをビジュアルに把握することもできる筈だ…ということでやってみました。

私はいびきをかきます。ホントに泊まり掛けの旅行で同室になるかたがたにはご迷惑をお掛けしております。

自分のいびきに自覚がないのはしかたがないにしても、私のは寝入りが早い先手必勝型なので、他人のいびきに悩まされることも少なく、従って、自分だけが加害者だと思い悩んでいるところもあるんですよ。

ibikiwave

さて、先日、ICレコーダで録音した睡眠音の波形です。この時は午前0時頃に就寝し、約6時間を一気に眠りました。目覚まし時計が鳴る前の自然な目覚め。夢の記憶はありませんでした。普段、明け方に一度目覚めてトイレに行くこともあるのですが、この日はそれも無し。酒量が比較的少なかったからでしょう。

眠りに落ちて約10分後に第一波が40分間続きます。その後一時間ほどは比較的静かな状態があって第二派に突入。これも約30分間。次に約2時間半の静寂(でもないが)があって、目覚めの約50分前から30分間、第三波があって終わります。

音声は敢えて公開しませんが、恐れていたほどの音量ではありませんでした。なんて書くと石を投げられそうですが、たぶん、皆で旅行する時は酒量が多くなっているので、もっと凄いことになっているのだろうと想像しています。

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2005.07.24

05・07・24 Podcastingの気恥ずかしさ

「050724BeesTalk.mp3」をダウンロード
先日のコンテンツはICレコーダ一本で制作したので音質がひどかったのですが、今回はちょっと設備投資をして改善しています。

ま、ただ、トークの中でも触れましたが、音声ブログはテキストや写真とは別世界だなと思いました。面白い点はとうぜんありますが、これはなかなか続かないだろう(自分のことを言ってますが)と感じます。

テキストや写真だけの方が遥かに楽だということです。

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2005.07.22

05・07・22 "Bee's Talk" Podcastingの練習

Beeをダウンロード
BeesTalk20050721TrialEdition.mp3がファイル名です。
どうもRSSが配信されないみたいなんですが、とりあえずこのままにしておきます。
ニフティのpodcasting juiceの指示どおりにやったつもりなのですが…。

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2005.07.16

05・07・16 「会社はだれのものか」は「利益はだれのものか」だ

「会社はだれのものか」の著者の岩井克人さんは研究室の鑑賞魚用水槽に「資本主義」のアクアリウムを作って観察しているのかな。水槽の中にはジョージ・ソロスのような鯨もいれば、企業買収が好きなピラニアも泳いでいる。さしずめ私などは坂田明かバカボンのパパの顔をしたミジンコか?

ずーっと研究者人生なのでご当人は水槽の中で泳いだことはない。牛乳ビンの底のようなメガネの奥から水槽の中をジーッと観察しつつ思索を重ねて来た。そんな人間が会社論を語って大丈夫なのか?と自問するわりには大胆な説を唱えるんですよねぇ。

「わけのわからない使命感」に駆られて「ふつうに言われていることは、違うだろう」と言ってしまう岩井さんは、とうとう経済学者としては「アメリカの主流派から外れて、もう、主流派の論文誌には載らない…」と寂しいことを言います。

「経済学者はこれからどうなるのか」と心配になりますが、岩井さんは、こうなったら「正しい」と思うことをくどいと言われようとも何度も言い続けるぞと頼もしい決意を語っています。

確かに前著「会社はこれからどうなるのか」の繰り返しの部分もある。でも、単純な再掲ではなくて、あれで分かってもらえないのならこれでどうだとなっている。読者としても著者の真意を再確認できて助かります。(これはイヤミではありませんヨ)

株主は今日でも、株主総会で経営陣を自由に選任できるという意味で、間接的に会社を「支配」している。特にかつての産業資本主義の時代には、会社というものは、売れる製品を生産する設備の資金を提供した人が経営者を雇っていたのにすぎないから、資本家が会社の支配者として振る舞うのは当然のことだった。

しかし資本調達が容易でモノを作れる会社が無数にある現代では、利益は他社との「違い」からしか生まれない。だから「違い」を継続的に生み出す経営者や社員という「ヒト」こそが経営資源として重要になってくる。

生産設備が競争力の決め手という時代は終わった。従ってその投資を支えた資本家のお金による支配力も低下した。これをポスト産業資本主義と呼ぶわけです。

だから株を買い占めてその会社を支配したつもりになっても、その会社が本来もっていた経営資源を全てそのまま手に入れられるとは限らない。「ヒト」は「モノ」と違って面従腹背もするし脱走もする。支配には馴染まないリソースである。そういう意味で、会社が株主のものであるという思い込みは錯覚であり時代錯誤でもあるよ、というのが岩井さんの指摘だと読みました。

これをなるほどなと思って読んだ経営者は、ハッと気づいて企業買収の計画を見直すかも知れない。「ヒト」を買おうとしていはしないかと。とはいえ、多くの人は「だからどうだって言うのかな?"So, what?"」で、そこに日常的な実践的意味を見いだせないかも知れない。

で、結局、会社は誰のものなのか?というと「会社は社会のもの」と岩井さんは締めくくっています。この答えには、一体全体何処のどいつのモノなんだと、せっかく厳しく問い詰めた緊張が一気に大気中に拡散するような脱力感を覚えます。ま、この意味をもう少し考えてみますが。

さて、ここからが大事です。"So, what?"に私なりにお答えしたい。

続きを読む "05・07・16 「会社はだれのものか」は「利益はだれのものか」だ"

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2005.07.12

05・07・12 ほめる健康診断

明日は定期健康診断なので今日は早めに帰宅して早めに食事を終えてblogを書いています。

例年、検査が終わって何週間かすると電話が掛かって来て、やれγ-GTPが高い、中性脂肪が多い、血糖値も高めだ、だから、ああせいこうせいの生活習慣矯正指導となるわけです。

昨年のこと、水泳やウォーキングに励み酒量も減らした結果、色々な数値が改善されました。これはきっと生まれて初めて「よく頑張ったね!」というお褒めの花マル電話が掛かって来るに違いないと密かに期待していました。

ところが、待てと暮らせど音沙汰無し。ははーん、電話が行くのは不合格者だけなんだ、合格ラインに到達しちゃうと貰えないのだなと気づきました。あんなに私のことを親身に心配しているような口ぶりだったのに…なんか虚しいよな。

おかげでまたからだがグレてしまって今年はあまりいい成績は期待していません。

駅や広場に住み着くハトは、人間に近づいて来て首を傾げたり頭をひねったり、つぎつぎと微妙な動作を見せるものです。あれは恐らく、これまでの経験からエサを貰うことにつながったと当人(当鳩)が思っている動作のレパートリーを次々と繰り出しているものと思われます。彼らは決してランダムにエサにありついているとは考えないものなんですね。これは人間も同じ。

学生時代にB.F.スキナーの心理学をかじった私としては、生活習慣改善の目標を達成した人を褒めることが大事だと思います。望ましい行動が発現したその瞬間にすぐ褒める。インスタントフィードバック。リップサービスでも、表彰状や鐘を鳴らすのでもいいかもしれない。そうするとよい行動が定着する、はずだと心理学者は言ってますね。

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2005.07.10

05・07・10 ネコが寝る場所は快適地域

ネコは快適な場所を鑑定する名人(名猫)である。

家の中の温度や湿度や騒音や、さらには感触の気持良さなどを総合的に判断して、その時々のいちばん快適な場所を選んでいるように見える。
DSCF4407
「なんか気持よさそうだね」ネコのとなりに一緒になって寝ころびたいような気分になる。

イヌは多少居心地が悪そうなところでもご主人様の命令とあれば従順に居続けるのだけど、ネコは必ず逃げ出す。

いつぞや「自衛隊の活動する地域は非戦闘地域である」と小泉純一郎氏が答弁して国会が大騒ぎになったけど、うちのネコが寝る場所は間違いなく非戦闘地域ですね。

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2005.07.05

05・07・05 尻高貝を働かせる鮨屋

先日、近所の鮨屋でのこと。
DSCF4398「あの水槽の中の貝はなに?」
「シッタカですよ」
「いいね、食べたいね。あのクルクルって先っちょの方まで綺麗に身を引っ張りだすの、うまくできると快感だよねぇ」
「お客さん、シッタカはお出ししてないんですよ」
「えっ?」
「あれは水槽のガラスにつく藻を食わしてるんですよ。掃除させてんです」

騙されたような気がしないでもないが、写真に撮ってみると、確かにガラスを拭き掃除しているようにも見えますね。

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05・07・05 ニワトリ型人間とタラ型人間

欧米の広告業界で昔から使われているらしいジョーク(と言っておきます)。

魚のタラは1万個の卵を産むが、鶏は1つしか産まない。
タラはコケコッコーと鳴かないから、いくら卵を産んだって誰も気づかない。
その結果、我々はタラの偉業を無視し、大したことをしていないニワトリの方を称賛するでしょ。
やっぱり宣伝しなきゃ損だってことですよ、社長!

原文は

The codfish lays ten thousand eggs,
The homely hen lays one.
The codfish never cackles
To tell you what she's done.
And so we scorn the codfish,
While the humble hen we prize,
Which only goes to show you
That it pays to advertise.

- Anonymous

想像するに、ちょっぴり思い切った広告宣伝費を使うと決断してくれた顧客に広告代理店の幹部が祝杯をあげながら囁くジョークなんでしょう。

私は「プロバンスの12ヶ月」の著者ピーター・メイルが1990年に出した"Up the Agency"(贅沢な仕事)でこのジョークを知り喜んでいました。Anonymous(作者不詳)だなんて、本当は業界人だった自分で考えたんじゃないか?流石ピーター・メイルは面白いことをいうわい、と。

この二つのタイプは人間にもありますよね。ニワトリとタラの姿に重ね合わせてそれぞれの人の顔を思い浮かべてみると無性に可笑しくなる。そこがこのジョークの肝かも知れない。

ふと思いたって"The codfish lays ten thousand eggs"を引用符ごと検索窓にコピーしてネット検索してみると、何と96件もヒットするのです。これには驚きました。

そのうちの一つに教えられたのですが、アメリカの広告業界の大御所オグルヴィーの"Ogilvy on Advertising"(1983年)にもちゃんと掲載されていました。

どうやら欧米の業界では広く知られているようなモノらしい。ところが日本語のサイトには今のところ見当たらないのですね。

なぜか?

考えてみると日本人はタラが声も立てずに黙っていたって、卵を腹から取り出して食べてしまうわけで、このジョークはすぐに反論に遭うんですかね。

欧米だって、無粋で不機嫌なクライアントは「キャヴィアを産むチョウザメ(sturgeon)はコケコッコーとは鳴かなじゃないか」と突っ込むかも知れないですね。

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2005.07.03

05・07・03 私も「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」を読んだのだ!

この本を読んでblogを書くならタイトルはこうなるに決まっているわけで、Googleしてみるとちゃんとあった。ここまで赤塚の影響はシッカリと浸透している証拠でしょう。

赤塚マンガの「武居記者」という無骨な風貌のキャラクタは実在人物だった。小学館の赤塚番の編集者だった武居俊樹氏が定年退職して文藝春秋社からこの赤塚回想録を書いたわけです。

小学館のサラリーマンなのにフジオプロにほとんど常駐して赤塚作品の制作にも係わり、夜の新宿にも一緒に繰り出していた。彼しか知らない赤塚の人物像が、愛情と敬意に満ちた、でも意外に淡々としてケレン味の無い語り口からよく伝わってきます。大天才にハチャメチャのギャグのネタを提供していた人の筆致とは思えない。

赤塚の作品は正確には彼個人の作品ではなくフジオプロというチームの作品だということが、武居さんの説明で初めて納得が行きました。

制作プロセスは見事に工程に分割されています。(1)アイディアだし、(2)ネーム(コマ割りとセリフ入れ)、(3)セリフのケント紙写し、(4)人物の"当たり"、(5)線の確定、(6)そしてペン入れと。ここに分業制が確立されていて、赤塚当人は(2)のネームと(4)の"当たり"をやり、(1)は武居記者やアシスタントも交えたチームでブレスト的に、その他はアシスタントが担当していたというのです。

アシスタントと言っても、のちに一家をなす古谷三敏、長谷邦夫、高井研一郎などです。しかも

「自分の絵が古かったら、絵が上手い人を入れればいい、って単純に考えられる人。さすが、トキワ荘で、石森さんや水野さんと共同執筆した人よ。作品をよくするためなら、誰にでも頭を下げられる謙虚さを持ってるの。プロデューサー的資質があるのね。」
と奥さんの証言にあります。

「赤塚不二夫」は極論するとプロダクションのブランドラベルだったんですね。

「おそ松くん」のキャラクターの絵で赤塚当人が作ったのは六つ子とその父母、トト子ちゃんくらいであって、他のチビ太、イヤミ、デカパン、ダヨーン、ハタ坊も、赤塚以下のチームが言葉でこんな感じというのを聞いて高井研一郎が絵にしたというのですから。

私が好きだった、ギャグの大騒ぎの一日が終わって埃が静まった後の夜のシーン。あれは何と!赤塚のネーム段階では文字で「夜」としか書かれていなかった。その指定?に従って古谷三敏が好きなように絵を描いていた!

極めつけは、赤塚の母親が危篤になった時、連載中の「ぶッかれダン」を赤塚抜きで古谷と長谷だけで一回制作したが、読者は誰もこの代筆に気づかなかったことでしょうか。

こと仕事と人間関係に関しては真面目、誠実、思いやり。他人のすぐれた才能に嫉妬しない。素直にそれを認め仕事仲間に入れて、さらに一人前として世に出すために動く。だから赤塚のところから巣立って大成した漫画家は多かったと言います。

道徳と不道徳、真面目と不真面目、高尚と低俗などなど、こうした直線上の左端と右端の二極対立かと思われがちな価値尺度が、赤塚不二夫という人の中では円形の連続体として存在していたのかなと感じました。

最近、静かだと思っていたら、赤塚不二夫は平成14年に脳内出血で倒れて以来、今も昏睡状態が続いているようです。

武居さんは、36年間に担当した漫画家は200人、その中で赤塚不二夫は「特別な存在」だったと書いています。200分の1?、いや、おそらくあと何百人の漫画家に出会ったとしてもその評価は変わらないのでしょう。

赤塚不二夫を知るには、その漫画を読むしかない。本当は『赤塚不二夫漫画大全集DVD・ROM』を買って貰えばいいが、ちょっと高い。

そりゃそうでしょう。それに加えて言うなら、私は昭和50年初版の「赤塚不二夫1000ページ」も持っていますが、武居さんの本を読んで、ようやく赤塚不二夫像がピタッと鮮明になった気がしました。

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2005.05.24

05・05・24 軽井沢と立原道造

写真は5月21日、プリンスランドゴルフクラブからの浅間山の眺め。紛れもない活火山。植物の生育を許さない剥き出しの山肌は絶え間ない噴火をを物語っています。

DSCF4034眠らない浅間山
2005・05・21 群馬県嬬恋村
Copycenter 2005 Akira Kamakura

浅間山の風景は、私たちの世代の場合、軽井沢サナトリウム詩人・堀辰雄(1904年12月28日〜1953年5月28日 48歳)というよりは夭折の建築家詩人・立原道造(1914年7月30日〜1939年3月29日 24歳)を思い出させるのですね。この没年情報は青空文庫によりますが、二人とも没後50年が経過し著作権が切れています。

大学の教養課程で理科系コースにいた私の製図の先生が生田勉氏で、この人が立原の友人だったことも、当時すでに没後30年近く経っていた詩人への興味をかきたてたような気がします。

なかでもこの詩が今も記憶に残っています。著作権が切れているので遠慮なく全文引用しましょう。

のちのおもひに

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て來たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

当人が夭折を予感していたかのようにも感じられ、そこに哀しみの音楽が聴こえるような気がします。でも、この詩にメロディーを付けるのはやめた方がいいように直観します。

この詩は、「見て來たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を」が唐突で、それ、なんのことなの?と質問したくなる。ソネット形式の四つの節のうちこの節だけが「夢は」ではなく「私は」という提題になっていて異質なんですね。

話は変わりますが、学生時代、友人と松原湖の民宿(学生村)に行きました。ある晩、酒が入って気分が盛り上がって来たところで、現代詩が好きだという彼が西脇順三郎の「旅人かへらず」を朗読してくれと言う。

これはまったく難しい詩で何を言いたいのか若造にわかるべくもない。

彼から詩集を渡された私は朗読をいたしました。ただし適当に言葉の順番を入れ換えたり、行をあちこち跳ばしたり、節の順番を変えたりして。しかし思い入れたっぶりに読みました。「いいなぁ」と彼。私のランダム変換に全く気付かずに喜んでくれました。友人の名誉のために言いますと、私もそう思いました。

詩は論理ではないわけで、論理的に支離滅裂なのに、なんだかいい感じということでいいのだと、その時以来、私は確信しています。

私に詩の朗読を依頼される方は、よ〜く暗唱してからにした方がいいですよ。

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2005.05.18

05・05・18 稲荷前古墳群16号墳立体写真

ウチの近所は縄文時代の遺跡やら古墳時代の遺跡やらの宝庫です。15日の日曜日、十里木でのゴルフの帰りに予てより気になっていたこの場所に立ち寄りました。

田園都市線市が尾駅からちょっと西に入ったところにある稲荷前古墳群の一つである16号墳で前方後方墳。北に隣接する15号墳の上に登って南方向に16号墳を立体写真におさめました。

DSCF4015DSCF4016
西暦400年以前の古墳という鑑定になっています。今日の風景としては、けっこうな高台にあることにちょっと驚き、というか違和感を覚えます。
DSCF4022違和感といえば、この近所に沢山ある横穴墓が、時代的にはこうした古墳よりも新しいものであることも驚きです。どう見ても横穴の方が原始的に見えるでしょ?でも、話は逆だという。

うむ、よく考えてみると、今日、まるでコインロッカーのようなお墓も都心のお寺にはあるわけで、昔もそうそう大規模な墳墓を造るスペースも余裕も無くなってから、やむなく横穴でお茶を濁したのかも知れないですね。DSCF4020

1600年以上前に、朝鮮半島から、おそらく奈良あたりを経て大磯あたりに再上陸した渡来人が武蔵野を北上し、その途中この市が尾の地で、もともと住み着いていた縄文人と出会い、支配関係ができたにせよおそらく平和的に共存したのかな?

近くのあざみ野には驚神社があります。「驚」は馬を敬うと書きます。また石川という地はもともとは石川牧、つまり馬の牧場だったらしい。鷺沼の方には有馬とか馬絹という地名もある。古墳時代に騎馬民族が入植した土地であったとも解釈できる痕跡があるのです。

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2005.05.08

05・05・08 「わが青春のマリアンヌ」"Marianne de Ma Jeunesse"

最近どこかで放送されたらしいこの映画を収録した自家製DVDを、ありがたいことに、先日とある方からお贈りいただき、連休中にじっくりと鑑賞しました。

私自身、たぶん60年代にNHKテレビで放送されたのを何度か観て妙に印象に残っており、かねてよりその秘密を確かめたいと思っていました。ようやく願いがかないました。

あの頃、この映画のちょっと照れくさい題名は我々の世代の共通のヴォキャブラリーになっていたはずですが、時代は次第にこの作品を忘れ去りつつあります。

私の場合、「印象」と言っても、森の動物たちとの神秘的な交流能力をそなえたヴァンサンという少年が、霧に閉ざされた湖の向こう岸の幽霊屋敷に幽閉されている美しいが精神を病んでいるらしいマリアンヌに恋をする、というところしか憶えていない。

あらためて観たり調べたりしての感想などを以下に。

この物語は、ハイリゲンシュタットの寄宿舎に新入りのヴァンサンを迎えたマンフレッドという18歳で最年長の少年による20年後の回想という形をとっていたことに改めて気づきました。ヴァンサンの一人称ではないのですね。

更に、この作品ができた1954-55年頃、監督のジュリアン・デュヴィヴィエはだいたい60歳。人生を俯瞰できる年齢になっていた。寄宿舎の雑役係らしい老人も幽霊屋敷の男爵も監督の分身だと感じます。

私自身、昔はヴァンサン当人に感情移入していたでしょう。今は距離を置いて見ることになりますが、それなりに観られるのがこの映画の作りの奥行きというものでしょう。

この作品を成立させる上でヴァンサン役のピエール・ヴァネックのちょっと斜視で焦点の定まらない目線、どこか遠くをぼんやりと映しているらしい虚ろな目、これが決定的に重要。この映画の印象の大半は彼の目線だったような気がします。

今回初めて知ったのですが、この作品は我々が親しんだフランス版の他にドイツ版があります。そちらのヴァンサン役は目が顔の中心に寄っている俳優が演じているのです。監督はもちろんマリアンヌ役も含めて他の殆どのキャスティングは同じだったようですが。やはり斜視じゃないと湖に霧は立ち込めないし鹿と交流はできないでしょう。結局後世に残ったのはフランス版でした。

短期滞在で寄宿舎に来た教授の親戚の娘リーズは、ヴァンサンの前に二度も若い裸体を投げ出して大胆に誘惑するのだけど、彼は全く無視するんですね。これがマリアンヌとの一つの対比になってはいるのだけど、モーツァルトを演奏するほど芸術をたしなむこの少女の描き方がなんとも冷淡かつ浅いというか、ヴァンサンと魂の交流があるらしい森の動物にも劣る扱いなのは何故だろうと感じます。監督の心の傷なのかも知れませんね。

ただ、この少女の存在がそもそも私の記憶に残っていなかった。こんな裸のシーンがあったっけ?という感じ。ひょっとすると1960年代のNHKテレビはこれらのシーンをカットして放送していた可能性もあるなと思いました。

そういえはヴァンサンがギターを彈く少年であったことも私は忘れていました。

この映画では、誘惑少女のリーズが来た晩に寄宿舎をあげて音楽会をやるシーンがあって、そこでは「軽やかな魂を歌うモンテヴェルディか若さの象徴モーツァルト」を演奏します。またヴァンサンが旅立つ最後の方のシーンでは雑役係の老人が「今夜は君の想い出にコレリのソナタを演奏するよ」と言うのです。

モンテヴェルディ、モーツァルトからコレリへという三人の作曲家のイメージがヴァンサンの心の成長や変化を暗示しているようにも受け取れるのですが、コレリのイメージが私には具体的でないので、理解できない。これは残念でした。

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2005.05.04

05・05・04 三島由紀夫生誕80年記念展

三島の展示をやっているというので神奈川近代文学館というところを初めて訪れました。

Mishima我ながら三島のことを思うのも久しぶりなのですが、このような三島展は1970年11月池袋東武百貨店、1979年1月新宿伊勢丹についで今回がようやく3回目だと解説にあります。70年に私が見た展示がいまだに数少ない一つであったことを知ってむしろ驚きました。時々未発表原稿やら書簡が発見されたと小さなニュースはあったものの「世間」はこの作家をどこか遠巻きに見ていたのでしょう。

この間、石原慎太郎「三島由紀夫の日蝕」(1991年)や徳岡孝夫「五衰の人 三島由紀夫私記」(1996年)も買い、それなりに納得して読んだ記憶があります。橋本治の「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」は去年だったか?図書館で借りて拾い読みしただけですが、三島邸のアポロ像や洋風の階段が意外にちゃちだったという話だけが妙に印象に残っています。

「三島氏の死はあきらかにこの日本の社会に退屈をもたらした」と石原は「日蝕」の冒頭に書いています。当然意味合いは異なるにせよ、私もこの35年間ずっとそういう気持ちでした。

三島なら何と言っただろうか?同時代の作家とか批評家としてというより、明らかに並外れた知性と感性をそなえた精神が、政治だろうが世相だろうが芸術だろうが、あらゆる状況にどのように反応するのかという点に興味があった。それが聞けなくなった。そして三島に匹敵する批評家も出てこない。だから退屈しますよ。

学校のクラスにずば抜けてよく出来る生徒がいて、何かにつけて注目を集めていたという想い出は誰にもあるでしょう。三島という人は、いわば当時の日本全体が学校の一つのクラスであるかのような気分にさせた、クラス一番の学業の秀才であり芸術の天才であった、という印象があるのです。

あの凄絶な最後も今にして思うと、言葉足らずで申し訳ないが、演劇部の部活のようなものだったようにも感じられます。

三島は「太陽と鉄」で「ことばの腐食作用」ということを論じています。

本来人間は、わけもわからず現実というものに直面することで初めて世界を体験し、その後になって、経験を表現する言葉を思い知るものです。ところが早熟の三島の場合、幼少の頃から先に言葉で世界を理解してしまった。だから体験は言葉の追認でしかなく、無垢ではなくなる。これを言葉の腐食作用と呼んでいたのだと思うのです。

少なくとも当人はそう思ったし、確か、開高健が三島の作品が実体験の裏打ちの無い「ホンコンフラワー」で出来ていると批判したことがあったと記憶しています。

そこで三島は「太陽と鉄」の力を借りて肉体の言語を開発し、自決という人生一回きりの後戻りの出来ない体験をやって見せて、経験を重視する連中を茫然と置き去りにしたようにも見えるのですね。

理屈上はその結果、残されたホンコンフラワーに生命が宿った部分もあるでしょう。実際、今や誰もが、三島のすべての作品を、あの自決に収斂する運命の物語として読んでいるに違いありません。オセロゲームの最後の一枚を究極の急所に置くことで、それまでの全部の駒をひっくり返して去って行ったような感じがするのですよね。

ま、当人がある時期からそういう作戦を描いていたのでしょうから、我々の退屈を紛らわす知的アイドルとして生き長らえる可能性はそもそも無かったのでしょうね。

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2005.05.03

05・05・03 アサリの紋様の謎

先日、となりの小学生のYuiちゃんから潮干狩りの収穫のアサリをもらいました。その砂抜きの最中の写真。酒蒸しにして食べたところ、身がふっくらとしたとても美味しいアサリでした。

DSCF3917アサリの貝殻の紋様は人間の指紋のように一つ一つ違うように見えるのですが、これが不思議です。というか、思わず不思議に感じてしまうと言った方が正確かな。

その方が生存に適している、といった理由があるのだろうと想像するのですが、何か進化論的な説明でもあるのでしょうか?連休のヒマにまかせて憶説を書いてみましょう。

アサリの模様は基本的には砂の背景に溶け込む擬態というか保護色だと考えてみましょう。もしも紋様がワンパターンだとしたら?たぶん、その特定のパターンが保護色として効果を上げるような場所でしか生き残れない。

生き残った個体だって、もしも周囲の色彩環境が変化してしまったらもう駄目。

保護色の紋様が多様であれば、どんな環境に置かれても目立つやつと背景に紛れ込むやつとがあって、必ず誰かが生き残るでしょう。

つまりアサリのあの多様な紋様は、それぞれの個体の先祖が、かつて何度もその迷彩効果の恩恵を受けた証でありましょう。ということは、アサリが棲息する可能性のある海底の砂とか砂利の状況の多様性をそのまま反映していると考えられる。

じゃ、ハマグリはなんでアサリと同じ紋様にならないのか?ほとんど同じ境遇で棲息しているではないか?という疑問が湧いてきますよね。バカガイだってアカガイだって同じことだ。なんで他の貝はアサリほどの多様性を持ち得ないのか?

これはなかなか鋭い質問ですが、一つには、海底の深いところ、従って暗いところに棲息する生物に保護色は必要ないと言えるでしょう。よくわかりませんがたぶんハマグリ等の方がアサリより深い海にいるのではあるまいか?

これ以上考えると眠れなくなるのでオシマイ。

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2005.04.29

05・04・29 分杭峠、現場にアタック

先週、長野県の高遠から車で30分ほど南の分杭峠に行って来ました。ここは知る人ぞ知る天然の気が出ているとされる場所です。
bunkuitohge去年の10月頃、TBSラジオの森本毅郎スタンバイに出演した東大名誉教授の月尾嘉男さんの話で知ったのが切っ掛け。その説明では、分杭峠は中央構造線の真上にあり、その断層面での岩石の破砕が引き起こすピエゾ現象による電磁波が出ており、それが天然の気として感じられるのだというのです。

ということで、私がわがままな団長として自らの好奇心に他人を巻き込み9名の臨時気功研究団体を組織しました。ま、伊那のゴルフと高遠の花見をセットにして誘ったわけですが。

前の晩は高遠さくらホテルに宿泊し、特別注文の「気の里」ビールを飲んで、この日を迎えました。parking高遠から国道152号線を南に行くと、峠が近づくにつれて道幅が狭くなり、車を停める場所があるのかと心配になりましたが、行ってみると駐車場が切り開かれていました。
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砂利道を降りて行くと林の中の急斜面に、まるでそこが野球場の外野席であるかのように、30人あまりの人々が座っているのが見えます。

座っている人の目線の先に見える風景は、いやしくも観光客を呼び込めるほどのものではない。でも「こりゃ一体なにごとか?」などと尋ねる人は一人もいません。全員はじめから気を浴びることが目的で来ているのです。

scenekiba
ここは「ゼロ磁場」なので磁石がクルクル回るらしいという事前の情報があったので、わが研究団体の一人は持参した磁石の針の動きを観察しました。ま、心なしか揺れ動く針が北を探しあぐねてなかなかピタッと静止しないような感じもありました。でもよく考えてみると磁石なんて久しく眺めていないので、どうなんだろうねぇと首を傾げるだけ。

そのうち雑談の声に交じって「てのひらがキラキラして来た」とか「紫色になって来た」とか、そんな囁き声が聞こえてきます。

社会心理学的には認知的不協和の理論が働きやすい状況下にあるので、これもなんとも言えません。

以前から気功の訓練を受けている一人は非常に気を感じたと言いました。腰痛持ちの二人のうち一人は効いたと言いました。私個人的には妙に精神集中がしやすい感じがあったことは事実です。磁石を持参した重症の腰痛持ち男はゼンゼン効かないと言いました。

改めて考えると、もしも本当に分杭峠に「ゼロ磁場」があるのならば、そりゃ地質学者がとっくに突き止めているに違いないでしょう。

magneticanomalyそこで連休の暇に任せて地質図を調べてみました。国土地理院から磁気異常の地図が公開されています。図で青い領域は磁気が弱く赤は強いことを示しているそうで、確かに分杭峠のあたりは青くなっており磁気が平均より弱いをことを示しています。しかし青いのは分杭峠だけじゃない。日本全国でみると至るところにあるとも言えます。特に北海道の東部はベッタリと一面が青いし、ウチの比較的近くでも、三浦半島なんかは青い。

この磁気異常は上空5000mから飛行機で観測したものであり、地面にへばりついて観測したら話は違うのかも知れません。

今日、丸の内の丸善まで出かけて買って来たCDROM版「日本列島の地質」の磁気異常のマップは測定条件が明記されていませんが、これによっても分杭峠が特異な場所であるようには見えません。

CDROMの説明では、例えば、「西南日本弧では,磁鉄鉱を多く含む珪長質深成岩類が分布する山陰地方に強い磁気異常が認められる」とあり、磁気異常はその地盤にある岩石の種類に対応しているようです。

分杭峠は一種の町おこしとして演出されている部分もありそうです。その当事者の一人の方が、同じ中央構造線上に位置する宮崎県西臼杵郡五ケ瀬町のシンポジュームで経緯などを色々と説明しておられます。磁場測定器も使って調べたことがあったようです。地質学の専門家との討論もあって面白い。

今回、せっかく分杭峠まで行ったのに、中央構造線の二種類の岩石がクックリと色分けされて接しているという露頭を見損ないました。いや、てっきり峠に行けば見られるものとばかり思い込んでいたのがいけなかった。何ヶ所かあるようですが、一つは大鹿村北川の「北川露頭」で、これは峠を越えて152号線を更に南に2-3kmほど行ったあたりのようです。これが心残り。

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2005.04.10

05・04・10 場末の伊丹万作全集全3巻

先日、とある場末の古本屋で伊丹万作全集全3巻13,000円というモノと出会いました。直感的に珍しいのではないかと思いつつ、モノを手に取ってちょいとページを捲ってみました。イタミはない。

学生時代だったかもう卒業した後だったか、たわむれに8mm映画を制作した時に、この伊丹万作の無法松のシナリオからある映像表現方法を「フムフム」と学んで実際にやって見たことがあります。無法松は人力車の車輪が回転していましたが、私はスキーリフトの滑車でした。

そのお手本のシナリオは今でも持っているし、この全集も値段が値段ですし、私はべつに万作研究を志しているわけじゃないし、またいらないモノを買うのもいかがなものかと思い止まり店を出ました。

今日、ふとそのことを思い出してAmazonを検索して見ると、中古の出物すらないのですね。かなりのレア物であることがわかりました。

13,000円とちょっと強気の値付けもうなずけます。店主も大物を釣り上げようと気合を入れて数字を書き入れたのかも知れません。でも、こんな店にクロマグロは来ないぞといいたくなるほど場末感漂う店なんです。

「これください」と言ったら店主はどんな表情を見せるか?試してみたい方はメールをください。店の場所をお教えします。

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2005.04.03

05・04・03 キルギスにつながる日本の「遺伝子のうずき」

土曜日(4月2日)の日経一面の春秋にグッと引き込まれました。最近のキルギスの政変を報じる映像を見るにつけ、政治の話よりも、現地の人々の顔つきが気味が悪いほど日本人に似ていることに驚くわけですが、

▼中央アジアの伝説はこう語る。紀元前アルタイ地方で暮らす人々が二手に分かれ、魚が好きな者は日本に渡り、肉を求めた者が内陸の今のキルギスにたどり着いた。だから両国の国民は兄弟だ。
とあるのですね。

そういえばと、「キルギス大統領顧問日記」(田中哲二著 中公新書)を引っ張りだして確認してみたところ、こう書いてあります。

日本人がキルギスを訪れると、歓迎の宴席などではこんな寓話が語られる。「昔、エニセイ側の上流域、アルタイ山脈の支脈サヤン山脈のあたりに古キルギス族は住んでいた。その後魚の好きな部族は東の海辺に出て行き、肉の好きな部族が西の草原に行った。後者が天山のキルギス族で、前者が朝鮮族ないし日本人である。従って両者の祖先は共通なのだ」と。

東にも西にも行かずに、古キルギス族が住んでいたあたりに残ったのが今日のトゥバ族とかハカス族であり、キルギス人は彼らのことを「本家筋にあたる最も近い親戚」と呼んでいるんですね。

このハカス族のホーミーは「(モンゴルのより)もっと低音で、より迫力がある」とのことで、私がCDで聴いたことがあるアルタイのKAIに近いのかも知れません。あれは日本の浪曲にそっくりでしたから。

田中さんは「十人のキルギス人に会えば六〜七人は日常身の廻りにいる日本の誰かに似ている」「会議や宴席で思わず日本語で話しかけたい衝動にかられる」として、これを「遺伝子のうずき」と名付けています。

ちなみに田中さんが顧問として仕えたのが今回追放されたアカエフ大統領その人でした。

話は変わりますが、黒澤明の「デルス・ウザーラ」を演じた俳優マキシム・ムンズーク(МУНЗУК Максим)はトゥバ人だったと何処かで読んだ記憶があります。ここには彼がトゥバのスターだと書いてあります。ムンズーク夫妻の写真もあります。あの顔は私が学生時代にお世話になった長野県松原湖畔の学生村にあった宿のオヤジさん(確か鷹野増一さん)にソックリなんです。

北方領土返還問題ですが、どうせもらうなら北の島よりキルギスの方が面白そうだ、なんてのは不謹慎な議論か?それにしても、外務省のキルギス共和国のページにはこの肝心な「遺伝子のうずき」のことが何も書かれていない。

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2005.03.28

05・03・28 小松崎茂と中村猛

オタクなパート書店員の日記さんのところに小松崎茂の画集が紹介されていました。じつに懐かしい名前です。

小学生の頃、少年雑誌を飾るこの小松崎茂とか中村猛の挿絵を眺めて飽きることがありませんでした。白波が立つ群青色の海原を行く大型帆船のカラー印刷の絵なんかが特に記憶に残っています。とにかく精緻なリアリズム。それが格好良く見えたんですね。

ところで、中村猛画伯のお嬢さんの中村憲子さん(私の年代では憲法の憲の字を名前に持つ人が多いのですが)が小学校の同級生だったことを思い出しました。

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2005.03.26

05・03・26 ジャンボ尾崎の球筋

金田正一の球筋の記憶と同じぐらい衝撃的だったのがゴルフのジャンボ尾崎の球筋です。

時は昭和四十八年頃。習志野カントリーだったか総武カントリーだったか?プロゴルフの試合をたぶん初めて観に行った時のことだったと思います。

あるホールでの尾崎の第二打地点で、後方約20メートルほどから彼のショットを観るチャンスに恵まれました。有名選手のまわりには人垣ができますので、なかなかよく見られないものなのです。

グリーンまではまだ200ヤードぐらいはあったように思います。けっこう遠く見えました。

尾崎が打った瞬間、私は内心「アッ!トップだ、ミスショットだよ」と思いました。とにかく打ち出された球が地面スレスレに飛んで行ったのですから。

ギャラリーの一人として私もその球の行方をドキドキしながら目で追っていました。

球は異様なほど大量のスピンのエネルギーを与えられて殆どオロオロしながら飛んで行ったのですが、軌道はどこまでいっても地面スレスレのままなのです。「やっぱりミスだな」と思わざるを得ません。

ところがです、グリーン近くに到達するや突然低空飛行は終わり、球がフワーッと高く舞い上がるではありませんか。「エーッ?オーッ!」と戸惑いと驚きのどよめきの中、球は天空から鳥が舞い降りるがごとくフワッとグリーンに着地したのですよ。

まさに度肝を抜かれる感じでしょうか。同じ人間の技とは思えない。流石プロ!というより、こんなプロは他にいなかったのですから、これが尾崎将司という衝撃的なプロゴルファーなんだと納得させられました。

このたった一打の記憶だけが今も鮮明に残っているのです。他のことは全部忘れました。

その後、すべて1970年代のことですが、他のトーナメントで他のプロの球筋も見ましたが、ああいうのは誰も見せてくれなかった。全盛期の中島常幸プロの球も凄かったらしいが残念ながら見逃しました。

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05・03・26 金田正一投手の球筋

このごろDVDレコーダのおかけでテレビ「番組」をよく見ています。リアルタイムな「テレビ」とは微妙に違う。

NHK総合でやっていた「プロ野球 新時代へ 熱球の伝説」の第4話。

3月24日(木)放送の「二つの引退」 − 昭和44年・稲尾と金田 −
 昭和44年、二人の大投手がマウンドを去った。前人未到の400勝投手として華々しく引退した金田正一と「黒い霧事件」の余波で不本意のまま引退を余儀なくされた「神様、仏様、稲尾様」の稲尾和久。対照的な二人の大投手の最後のシーズンと足跡を描く(NHKの番組解説より引用)

昭和34年か35年だったか、小学6年生前後の私は、後楽園球場のデーゲームでこの金田正一の全盛期の試合を見ています。今にして考えると、叔母さんのデートに付き合わされたのかなとも思うのですが、その了江(すみえ)おばさんも故人となって久しく、真相は謎のまま。

試合開始にむけて「ピッチャー金田」と「ウグイス嬢」のアナウンスがあって登場した金田投手は、マウンドじゃなくて!2塁ベースの方にノッシノッシと歩いて行くのです。

そして2塁ベースのあたりに着くと、本格的なワインドアップをせずに、軽く2-3歩前にステップしながら根来(ねごろ)のミットめがけて投げました。

その球筋が凄かった。私は1塁側の内野席でしたから投球を真横から見ていました。

金田の手を離れた球は物凄い回転のエネルギーに満ちていて、それが唸りながら(聞こえはしませんが)、万有引力をあざ笑うかのごとく地面スレスレのところを飛翔して行ったのです。「投げた」というのとはイメージが違うのです。もう球自体が飛翔能力をそなえた生き物のようなのですね。

当然球場全体がどよめく。キャッチャー根来が投げ返す。金田が受ける。また更に2-3歩前にステップしながら投げる。地面スレスレに飛行してストライク。

これを何回か繰り返してようやくピッチャーズ・マウンドに到着するというわけです。素晴らしい演出です。

おかげで、あれから40数年経過した今、人間が投げた球が何十メートルに渡って地面スレスレを飛翔し得ることを見せられた驚きの記憶ばかりが残り、国鉄スワローズの相手チームがどこだったか、まして勝敗がどうだったか、全く記憶にないのです。

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2005.03.19

05・03・19 筋肉増強剤という誘惑

アメリカの大リーグで数年前に驚異的な数のホームラン本数を争ったトッププレーヤーたちが米国議会の公聴会に呼ばれてステロイド疑惑についてしぶしぶ証言をしています。使っていないと言っていますが、誰も信用していないでしょう。マクガイヤーの1998年の70本、ボンズの2001年の71本、この超人的な数字には何かワケがあると素人は思います。

あるレベルに到達したプレーヤーには自分の限界が見えるのかなと、ふと想像させられます。どう頑張っても足掻いても超えられない壁が見えたとしましょう。自分の選手としての残された寿命も見えて来る。ちょうどそういう時に目の前の筋肉増強剤が誘惑する。そこで、あなたならどうする?

そもそも、クスリを飲んで強くなることの何処がいけないの?ポパイは缶詰のホウレンソウを口に流し込むや筋肉モリモリに変身し強力な腕力を発揮したではないか。クスリとホウレンソウと本質的に違いはないじゃないか、と考える人がいてもおかしくはないですからね。

その増強剤は筋肉を強くする一方で副作用もあるようで、マクガイヤーは公聴会で"My message is steroids are bad, don't do them," とコメントしたために「なぜいけないと断言できるのか?(自分でやったからではないか?)」と追及されています。

マクガイヤーがステロイドはいけないと言った真意は記録されていませんが、70本のホームランが記録上は自分のものでありながら、恐らく彼自身、それを本当の意味で自分のものだと心の底から誇ることができないことを悔やんでいるからじゃないか?

筋肉増強剤と似た誘惑は人生何処にでもあるような気がします。早い話、借金がそうでしょう。自分の手持ちの金では買えないモノを借金して買って見ることは、クスリを使って70本のホームランを打つのと似ています。

借金の返済は最後は生命保険で帳尻を合わせるんだなんて言い出すと、ホント、ステロイドで寿命を縮めたって生きているうちに金と名誉が手に入ればそれでよしだ、というのと似ています。

しかし後で冷静に考えてみると、70本を打ったのは本当の自分ではないことに気付く。巨額の借金をして何かを手に入れたとしても、その買収物件が担保に入っているなら、借金が残っているうちはまさに法的にも自分のものじゃないわけです。

LBOまでやって何かを手に入れることが、筋肉増強剤に頼る大リーグプレーヤー人生に重なって見えたってことを書いて見たかっただけです。

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2005.03.15

05・03・15 プロテスタントの結婚式

仏式の結婚式の翌週はプロテスタントの結婚式。

50DSCF3600白人の牧師さんは絵に描いたようなガイジン訛りの日本語をあやつります。コリント前書十三章を読み上げる様子はあまりにも絵になり過ぎている。まさか俳優の演技ではないか?との思いをふり払うことができませんでした。そもそも、キリスト教徒でもない新郎新婦や親族が集って形だけのそれらしい宗教儀式を行っている以上、牧師さんが演技だとしても文句を言えるような立場ではないのだが。

50DSCF3589浄土宗の南無阿弥陀仏と違って参列者全員参加は賛美歌430番の斉唱。主旋律にハモらせて歌を楽しみました。

新郎新婦の退場の音楽がメンデルスゾーンの結婚行進曲ではなく、ヘンデルのメサイヤのハレルヤなのでした。これは英国式なんでしょうかね。

何が起きるか予断を許さない仏式に比べて、キリスト教の結婚式には何のサプライズもなく、すっかりリラックスして披露宴に臨みました。

「宴会場ってのは平日は稼働率低いだろうね。…ネェネェ、平日はどうしてるの?えっ?企業のパーティ?」「今日は大安の日曜日だから3回転みたいだね」
「スタッフはみんな若いねぇ。バイトだな。人件費を節約しとるね。」「一見豪華なこの建物だってよく見りゃどんなもんだか」
「このワインの味は一本300円ぐらいかな。…オネエサン、ちょっと、ボトルを見せてもらえますか?…あ、やっばり、vin de tableだな」
「料理、いいじゃない」「今は料理が式場選びの決め手らしいのよね」
「チャペルの聖歌隊のエラの張った女の子、いいアルトだったよね」「ダークダックスのゾウさんの娘じゃないか?」「そ、そんな馬鹿な…」
「一眼レフを何台も肩からかけていた写真担当の若い女性、一瞬、織作峰子かとドキッとしたよ」
「えっ?!糖尿病が治った!そりゃおめでとうございます」
「花粉症にカスピ海ヨーグルトが効くって本当かね?」
「両親への花束贈呈は、それぞれ自分の親に感謝の意を込めて贈呈か。一般的にはクロスするのかと思ったが考えてみるとそれも一理あるね。」
「会社の社宅に入る手続きのために、もうとっくに入籍しているのよ」
「新郎の父親の挨拶、簡単だが心がこもっていて良かったじゃないか。朝の親族紹介の時はすっかり上がって還暦を過ぎて孫もいる姉をmaiden nameで紹介していたが」
「この次、5月はソウルでの韓国式結婚式なんだよね」

披露宴のテーブルでの会話なんて、ろくなもんじゃありません。

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2005.03.06

05・03・06 お寺とカレーと結婚式

ご近所のお嬢さんの結婚式で杉並の浄土宗栖岸院というお寺に行きました。仏式の結婚式は初めての経験。
50DSCF3514栖岸院式結婚式
2005・03・05 杉並区永福
Copycenter 2005 Akira Kamakura

現代の仏教はもっぱら葬式仏教なので、お経の声も鉦の音もすっかりそっち方面に条件付けされています。どうも結婚式といわれても違和感があります。終始頭の中で、言われてみりゃ仏教だって一つの宗教として葬式以外の人生の局面にも係わって当然だよ、そうだそうだ…と言い聞かせておりました。

なかなかユニークなお人柄のご住職が式を執り行いましたので、はたして私が目にしたのが一つの典型かどうかは全く自信がありません。一時間ほどの式の中に盛り込まれた数々の儀式は、ご住職がいちいちやさしい言葉でにこやかに解説し、新郎新婦の理解納得を得て行っていたのは好感が持てました。

たしか新郎新婦はこれから一生、毎日100回以上念仏を唱えることを約束させられていました。

参列者全員で南無阿弥陀仏の念仏を何十回も唱えるところが浄土宗の式のハイライトでしょうか。本堂の左手奥には法然上人の大きな彫像が置かれています。

山川出版社の資料日本史上巻(定価250円!)を開いてみるとこんな解説がありますが、今日の世界の話のようにも聞こえます。

平安中期ごろから広く信じられてきた末法思想は、当時の人々にとって現実の問題として身近に感ぜられた。…(途中省略)…戦乱は絶えず、天災地変もあいついで起こった。それは末法思想に予言された世相そのものであった。…(途中省略)…法然の浄土宗、親鸞の一向宗=浄土真宗、一遍の時宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗=法華宗などがある。…末法の世の克服を目的とし、しかも、旧仏教がもとめたごとく、むずかしい修行や教典の研究・寺社の建立・荘園の寄進を必要とせず、ただ念仏や題目を唱えたり、座禅を組むことによって、武士・公家・農民・商人が、すべて平等の立場で、あの世で仏の救いにあずかることができると説いた。

同じことをしつこく繰り返しているうちにだんだんと精神的高揚を覚えるようになって行くのは、和太鼓の単純な繰り返しがだんだん感動をもたらすのと手法的に似ています。そういえはビートルズのヘイ・ジュードという曲はこの系統だったかも知れません。

100名以上の人々がそれぞれの音程で唱える念仏の声は、音楽的にはいわゆるトーンクラスター効果となって、なかなか魅力的です。私は敢えてご住職がリードする音程に逆らって色々な高さに切り替えつつ念仏を楽しんでいました。法然上人が「何じゃこりゃ?」と首を傾げたかどうか。黛敏郎の作品に声明のトーンクラスター効果を意図したものがあったことを思い出します。

50DSCF3525栖岸院の弥陀カレー
2005・03・05 杉並区永福
Copycenter 2005 Akira Kamakura

さて、披露宴の最後に出たのが写真の「弥陀カレー」。お寺でカレー?これもまず違和感があり、つぎにしばし頭の中で?マークを転がしつつ考えると、そうか、ブッダ→インド→カレー、ちっともおかしくないじゃないかということになります。

S&Bカレーのサイトにカレーの起源についこんな解説がありました。お釈迦様がカレーを食べた可能性はあるようです。

青年時代の釈迦が山にこもって修業したとき、木の根や草の実を食べて飢えをしのいだ後、カレという地に下山し、そこで教えを説いたといわれ、その時首にかけた袋の中から有用なたくさんの木の実(スパイス)を取り出して民衆に与えた。民衆は釈迦の教えに感服するとともに、香り高く、諸病を直し、活力の源となるこれらのスパイスを料理や薬用として使うようになり、そのスパイスを土地の名にちなんでカレーと名付けた。

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2005.02.26

05・02・26 光ファイバー開通騒動

1月22日に申し込んだBフレッツのハイパーファミリータイプが本日我が家に接続しました。

工事に来たのは2人。

電話線を引き込むために外壁に開けてある穴を通って光ファイバーは家屋の中に侵入して来ました。そして1階の階段下の小部屋にある電話コンセントのところに顔を出しました。

「コンニチハ」とは言わないけど、黒く細いしなやかな光ケーブルとご対面。フニャフニャした電話線とは違って背すじがピンと伸びたヤツだった。きっと鋭角に折り曲げたりするような手荒い扱いをしちゃあいけない、見るからに育ちのよいお坊っちゃまなのだろうなと感じます。

さて、問題はそこから2階の私の部屋までどうつなぐかですが、1階のコンセントがハブとなって放射状にそれぞれの部屋に配線されているものとばかり思い込んでいた私は、工事に来た茶髪ライオンヘアの若者を目的地である私の部屋の電話コンセントのところに案内して、ここに終端装置を設置したいのだと告げました。

ライオンがコンセントの前にうずくまってしばし作業をします。

「どうも配線のパイプの色が下とは違いますね。下のコンセントに直接つながっているとは考えられませんよ」と言う。

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2005.02.12

05・02・12 スゴ録の番組クリッピング機能はスゴイ

購入して約一週間経過したDVDレコーダ。いろいろと機能を試しています。以下に感じたことを幾つかまとめてみます。

何といっても電子番組表(EPG)があってこその機能だということでしょう。従来のVCRの媒体がハードディスクやDVDに変わっただけと言ったら、現実の半分も説明していないなと感じています。

EPGで画面に表示される番組表から目的の番組を選択するだけですから、録画予約の操作が簡単確実になる。Gコード入力なんて通信カラオケの操作みたいなことは不要になっています。これは基本中の基本というべき機能ですが録画したい番組を間違う心配がほとんどゼロになるのはスゴイことです。

私が特に気に入ったのはスゴ録の「おまかせ・まる録」という機能です。

これはEPGで配信される番組名と簡単な番組説明のテキストをサーチして指定のキーワードに合致したら録画する機能です。データベース・サービスなどでは昔からあるキーワードによる新着記事のクリッピングと同じ。

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2005.02.08

05・02・08 オジサンの流行感覚をテスト

HDDレコーダといえば何年か前にコクーンとかいう商品があったり、その前に別のメーカが先に商品化していたりした記憶は持ち合わせています。

今頃になってDVD・HDDレコーダを購入することは、どのぐらい時代の流れから遅れているのか?

歳をとるとこの感じがなかなかつかめません。なにしろ2-3年前がついこの間だし、10年前だって比較的最近だと感じてしまうものなのです。

しかし現実はこの数年の間に流行りすたりのドラマを何幕も先に進めているはず。その社会現象の時間的推移をどうやったら知ることができるか?

結論からお見せしましょう。下のグラフを見てください。DVDレコーダはここまでに二つの大きなヒットの山を乗り越えて来ています。一回目が2002年末から03年の正月にかけて。どうやら10万円を切った機種が出て注目を集めたようです。二回目はPSXの時。プレステにDVDレコーダ機能がバンドルされて割安感を煽ったようです。

hdd

グラフの山は新しいヒット商品として多くの人が注目した時期を表しています。しかし、これまで年末商戦のたびに山を作っていたのが04年末は山にならなかった。とはいえ一定の水位は維持しています。つまり、今やDVDレコーダは目新しさのフェーズを終えて録画機能の定番商品の座へと変質したことがうかがえるわけです。

私の場合、初期にいち早く買った人から遅れること約3年ですが、今という時期は、普及が急速に進み、生産台数も多くなり、価格的にも安くなって来たタイミングではないかと分析しています。

このグラフのもとのデータはiMiネットのHitSat全文検索(詳細検索)という公開データベースからとったものです。

恐らくこの先、価格は今の半額以下にまで下がって一家に一台の世界に突入するものと予想しますが、いかがでしょう。

不確定要因としてはデジタル放送が本格化した時に、画像の劣化を起こさないデジタル録画という機能がやっかいな存在になることぐらいでしょうか。むりやり不便にされる恐れがありますね。

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2005.02.06

05・02・06 DVDレコーダというよりEPGマシンかな

当人は160GBのHDDレコーダを買ったつもりなのですが、商品名では「SONY スゴ録 DVDレコーダ RDR-HX50」となっています。私としてはたぶんHDDに録画してそこから再生して消去して終わり、という使い方が圧倒的に多いと予想しています。

近所の電器屋で20-30分ほどあれこれ機種を比較しました。HDDの容量のいろいろと、チューナーが一つか二つかというあたりが迷った点。VHSはもういらない。

従来のビデオでは録画予約なんて使えない機能の最たるもの。Gコード対応機種を使ったことが無かったこともありますが。だからEPG(電子番組表)は大いに期待しました。

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2005.01.16

05・01・15 偽1万円札事件の深読み遊び

1968年に府中で起きた三億円事件は、70年安保を前に、三多摩地区に潜む活動家を合法的に洗い出すためのヤラセだった!という説を正月のテレビで観ました。公安当局が起きてしまった事件を便乗利用したことはしたが、ヤラセまではないだろうという意見も出ていました。

ま、三億円事件は置いといて…今起きている偽一万円札事件についても「じつはねぇ」という噂がたえないようです。「簡単に偽造される旧紙幣は早いとこ流通を停止するべきだ、という世論形成を促すヤラセなんだ」というもの。

1月14日に日銀は「偽造旧一万円券大量発生に伴う対処方針」

1月17日以降、取引先金融機関に対する銀行券支払いについて、現在実施している新旧両券の並行支払いから、新券の全量支払いに移行する
と言っていて、いかにも予め用意したシナリオを着々と進行させている臭いがしないでもない。

これを面白がるには背景の説明が必要です。

日本には税務当局が捕捉できていないアングラマネーが相当額存在しており、当然ながらそれは銀行預金という形ではなく紙幣のまま退蔵されておると。

モルガン・スタンレーの「ジャパン・エコノミック・フォーラム」Japan Economic Weekly2004年10月4日号掲載の佐藤健裕氏の「新円切り替え(?)の静かなポテンシャル」には

民間部門で退蔵されている日銀券は足元約32兆円…(途中省略)…国民一人当たり平均300千円、一世帯あたり平均約700千円というタンス預金の規模は我々の素朴な実感として大き過ぎる印象は拭えない。…(途中省略)…課税回避のため、…いわば秘匿された日銀券残高は…足元約17兆円と推計される。
と書いてあります。

従って、新紙幣を導入した上で旧紙幣を無効としてしまえば、旧紙幣の形で退蔵されていたアングラマネーを紙くずにしてしまうことができる。まともな資産なら新紙幣に交換すりゃいいわけですが、表に出せないお金はそうは行かない。

アングラマネーを持ち合わせない身には難問ですが、1万円、5千円、千円の旧紙幣に有効期限が設定される危険を感じた人がいたとすると、その人がとる行動は何だろうか?

佐藤氏のレポートによりますと、2千円札の流通量が昨年の夏頃までの一年間にひときわ増加が目立つといいます。データ自体は日銀発表だから事実。問題は解釈。で、2千円札の需要が増えたのは、アングラマネーが安全な2千円札に両替されたからという見方を紹介しています。いやしくもモルガン・スタンレーですからこの手の風説の流布に与するものではないという言い訳を散りばめてはおりますが。

ただ、ふと気付くと、何年か前から銀行の両替サービスはキャッシュ・カードを入れさせます。両替手数料を取る仕組みであると思っていたけど、もっと重大な狙いは組織的な両替行動を捕捉することなのかも知れません。

大量に2千円札に両替した人、あちこちの支店の両替機を梯子して必死に両替した人、みんなばれているのかも知れません。

もちろん外国への送金の管理も厳しくなっているでしょう。

かくして、偽札事件により旧紙幣に対する不信感が広まったところで有効期限を限るのではないかという説が妙に信憑性を帯びて来るというわけです。

面白いのでついつい書いてしまいましたが、桂木さん、ホントですか?この話。

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2004.12.05

04・12・05 映画「スウィング・ガールズ」

吹奏楽界の人気作曲家である松尾善雄さんが音楽映画の傑作だと仰る「スウィング・ガールズ」をようやく観てきました。

土曜の朝、テレビのスイッチを入れたら所ジョージの番組で、高校生たちが全国吹奏楽コンテストを目指してガンバル話の再放送をやっていました。野球の甲子園に対してこっちは杉並の普門館を目指すのです。一度観ているのですが二度目でも面白い。観ているうちに、そういえば「スウィング・ガールズ」を観るつもりだったことを思い出したのです。

50SwingGirlsDSCF2867.JPG時計は11時過ぎ。神奈川新聞によるとちょうど綱島映画で上映中で次は12時55分から。よし、決めた、歩いて行こう。距離は7-8kmだろう。忘年会シーズン突入直前の今、あらかじめ体脂肪を十分に燃やしておく必要がある。ゴルフのソフトスパイクのシューズを履いて出発。※ソフトスパイクは街中のウォーキング・シューズとしても優れものですよ※

楽勝で間に合う筈だったのですが、途中でデジカメを撮ったりしているうちにギリギリになって来まして、最後の15分ほどはバスに乗りました。映画館に到着してドアを開けて暗闇の中を手さぐりで席についた途端、上映開始となりました。

けっこう楽しめる映画でした。

ついこのあいだまで楽器演奏の素人だった少女たちが、猛練習を経て人前でビッグ・バンド・ジャズを披露して聴衆をスウィングさせるところまで行ったという、その記録映画的な実質にジワッとした感動があります。

これを裏返して言うと、もしも少女たちが、じつは演奏なんかできなくて、クチパク的に楽器に触っているだけだとしたら、この映画の感動は激減するでしょうね。

シリアスな話に展開してもおかしくないエピソードは沢山盛り込まれています。鉄道線路歩行事件、野球部食中毒事件、アルバイト先スーパーでのスプリンクラー事件、ひょっとしたらイジワルだったかも知れないそのバイト先の主任との人間関係、家のパソコンを勝手に売却して中古楽器を手に入れる事件、などなど。

しかし、少女たちの目から見たらみんなイタズラにすぎない。その目線でストーリィが展開するので毒もトゲも無い。ただ、物事にマジで取り組むことに対する少女たちの微妙なテレは巧みに表現されていて、もしかしたらこれが唯一のリアリズムであり、また、観客の心の鍵穴に差し込まれるキーなのかも知れないな。例えば今どきの若い子に対するオジサンたちの信頼回復のキーでしょうか。

登場人物はみんなコミックのページから抜け出て来たようなキャラクターですし、演出も劇画的に感じました。おそらくコミック誌を読み慣れた世代にとって受け入れやすい映画が意図されているのでしょう。

ストーリィ展開のテンポはなかなか早い。編集段階でそうとう削っているのではないかと感じました。これがテレビの連ドラだったら、1年間でも続けられそうな素材が詰まっているんじゃないでしょうか。

50TsunashimaCinemaDSCF2869.JPG綱島映画
2004・12・04 横浜市港北区
Copycenter 2004 Akira Kamakura

ところで「綱島映画」という映画館が、なんともホロホロとした場末感あふれる味わいのある小屋なんです。暗闇で目が慣れて来て客の人数を数えたら16名。ロビーの売店のショーケースはほとんどカラっぽ。シートもトイレも古いし、外に出て見ると外壁は懐かしのトタンの波板。どうやらこれから時々通うことになりそうです。

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2004.11.12

04・11・12 牛込センチメンタル・ジャーニー

7日の午後、菅原泉さんのヴァイオリンを聴いたあと、時刻はすでに夕方4時近くで薄暗くなりかけていたのですが、じつはこの神楽坂界隈は私が小学校の2年生から20代の後半までを過ごした街でして、慌ててコインパークを出て想い出スポットを車で訪ねてみました。

50AkagiDSCF2486.JPG50AkagiDSCF2493.JPG
赤城神社 2004・11・07 新宿区赤城元町 Copycenter 2004 Akira Kamakura
まずは赤城神社。神社入口の右手前にある店は、昔は中学の同級生の横山君の家が経営する天ぷら屋だった筈なのだが(いや豚カツ屋だったかな?)、「駒寿司」という寿司屋になってるな。その角を右に曲がったところに小学校の同級生のフジクラ・クリーニングがあるのは昔のままだった。彼とは3年ほど前に再会している。で、奥に見える赤城神社は中学時代のデートスポットで、お祭りの時には交換日記の相手とよく来たものだった。もっと前、小学校の頃は、この境内で映画が上映されたこともあった。確か、梅若なんとかさんという俳優主演の時代劇だったと思うが題名が浮かんできません。赤胴鈴之助だったかな?

50KoyamaDSCF2512.JPG市ヶ谷加賀町2-33
2004・11・07
東京都新宿区
Copycenter 2004 Akira Kamakura

私が住んでいたのは新宿区市ヶ谷加賀町2丁目33でした。その家はとっくに消滅しているのですが、すぐ目と鼻の先にあった家が今も亡霊のように残っていました。まさか、と思いました。この建物を最後に見たのは約30年前のことです。今や一見して廃屋のようですが、窓ガラスの内側には新しいカーテンが吊るされているようにも見えます。

この家の前の路地で、近所に住んでいた駐留軍の米兵とキャッチボールをしたことを覚えています。それだけじゃない。東映フライヤーズの土橋投手がまだアマチュアだった頃にその球を受けていたキャッチャーだったという人もこの路地の何処かに住んでいて、そのもの静かなオジサン(ホントウはオニイサン)ともキャッチボールをしたことを思い出す。そうだ。その人は肩を痛めたかしてプロ入りを断念したと言っていたような気がしてきた。そういう華やかな舞台を諦めた人独特の感じが漂っていた。
50KamaDSCF2511.JPG
この写真中央の塀の左側に我が家の敷地があり路地の奥に勝手口があった。奥にほの暗く見えている万代塀はどうやら昔のままのようです。

この路地の右側が工藤さん。今もお住まいのようだった。たぶん息子さんかな。それとも私が家庭教師をしていた娘さんかな。工藤さんの家からは娘さんのピアノ練習の音がよく聞こえて来たものだった。ソナチネアルバムだったかな。

路地の奥には猿舘さんとか富沢さんとか田中さんとかが住んでいたと思う。田中琢也君は中学で同級になったことがあったが、彼の家からはエレキギターでビートルズの曲がつっかえつっかえ流れてきたものだった。

50NiiyamaAogiriDSCF2506.JPGこの写真右手には大きな青桐の木があった筈が消滅している。残念です。夏休み、この木に実る豆を針金でできたパチンコに詰めてセミを打ち落とすのが当時のガキどもの遊びだったのです。高級なパチンコは木製でゴム銃と言っていた。青桐の実は、今にして思うと、じつに絶妙のタイミングでなったもんです。

この写真の正面ずっと奥のほうにピンク色のもやに包まれて見えている建物は、昔のままなら、たぶん大妻女子大の寮でしょう。

50SanyasuDSCF2503.JPG三安酒店はまだ健在だった。ここのおにぃちゃんがよくまめに御用聞きに来たものだった。当時の酒屋はそういものだったのです。で、近所の奥さんたちが皆でお嫁さんの心配をしてあげたりしたものだった。結果はどうなったか知らないけど。

三安の隣というか左手前にみえている古い家は、たしか小峰さんちじゃないかな。今や舞台衣装の巨匠として活躍している、ということを時々メディアを通じて知る小峰リリーさんとは小学校の同級生だった。

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2004.10.13

04・10・13 衆議院TVの不可解な公開期間短縮

今日、臨時国会の映像を見ようかと衆議院TVのサイトに久しぶりにアクセスして驚きました。

なんじゃ、これは!?

平成12年1月より公開されていたビデオライブラリの公開期間については、平成16年8月6日、議院運営委員会国会審議テレビ中継に関する小委員会の協議により、原則、公開から1年間となりましたのでご了承下さい。

これは全くご了承できませんぞ。そもそも一言も理由が書かれていない。

この決定をした「議院運営委員会国会審議テレビ中継に関する小委員会」での議論の様子は、ちょっと探した限りは、このサイトで内容を確認することができないようです。どうも密室で決めたような印象。情報公開の流れに逆行する極めていかがわしいニオイがします。

このサイトが素晴らしいのは、ついこの間までは田中眞紀子議員が純ちゃんがスカート踏んだと抗議した委員会の様子だって映像で見ることができたんですよ。このblogからも頭出しリンクを張ったこともありました。情報公開という点でも、また、自分が選んだ国会議員の活動ぶりが確認できるという点でも、なかなか優れたサービスだと感心していたのに、情けない。

一体全体なにがあったのでしょうか?政界再編のための下準備なのだろうか?過去の発言と将来の立場の矛盾を今のうちからうやむやにしておきたいのだろうか?

その後調べると、議事録は検索できましたので以下に抜粋。

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2004.10.11

04・10・11 少年サンデーNo.35=1959年11月22日号

とうとう一冊見つけました、わが想い出の少年サンデー。

01DSCF4434.JPG少年サンデー1959年11月22日号
2004・10・10
横浜市都筑区 Copycenter 2004 Akira Kamakura

表紙をセロテープで補修しているところをみると、これは昔から自宅に保存してあったもののようです。仕入れ値30円ということになります。私は小学六年生。一緒に写っているのは市ヶ谷小学校の同級生の飯田暁子さんの弟さんだ。撮影場所は私の家の自分の勉強机の前ですね。二人の頭の間の奥にチラッと見えている少年サンデーの表紙も私の出演したものです。

10年ほど前のこと、神保町の古書センタービルの二階にある欧風カレーのボンディの順番を待つ間、ヒマつぶしに同じフロアにあった古書店にふらっと入りました。たしか中島書店中野書店。コミック本が多い店の一つの棚に少年雑誌の古いバックナンバーが揃っていて、少年サンデーも創刊の頃の号なんかはビニールに包まれている。まさかなぁと思いつつ一冊ずつ抜き出しては表紙を確認すると、なんと二冊も私がいるではありませんか。

一冊は創刊にかなり近い号で1万円、もう一冊はやや後の号で8千円。さすがにウームとうなる。でも、もう二度と手に入らないかも知れないと思い、2冊をエイヤーッと買ったのでした。当時まだなんとか健在だった両親を驚かせてやろうという思いもありまして。ただあまり反応が無くて拍子抜けでしたけど。撮影はいつも母親が付き添って来たのですが。

97年に母が、2002年に父が他界して、実家の荷物の後始末のドサクサの中で、高価な少年サンデーも行方不明のままとなっています。捨ててはいないはずですが。

さて、この週刊少年サンデーは1959年、昭和34年という創刊の年のものですから45年経過しています。もう紙はボロボロに近い。デジカメにおさめようと動かしているあいだにもかけらがこぼれて来ます。

それまで月刊誌ばかりだった少年誌の中で初めて週刊誌に挑戦したのがこのサンデーとマガジン。調べてみると創刊号は少年マガジンが3月26日号(17日に発売)、少年サンデーが4月5日号となっていて、マガジンの方がちょっと早かったんですね。印象とは逆です。

02DSCF4437.JPGサンデーの表紙のカメラマンは久米茂さん。「久米さん」と苗字は記憶していましたが「茂さん」だったんだ。小学二年生という雑誌のグラビアに何回か出演した時のカメラマンがこの久米さんで、少年サンデー創刊に際して彼が表紙を撮ることになり、私にお声を掛けていただいたというわけなんですね。編集部からはいつも田口さんというスポーツ刈りのカッコイイお兄さんが来ていました。

03DSCF4435.JPG当時の少年誌の表紙はまだ子供が主役だったのです。しかし、この直後から長嶋の登場で俄然プロ野球人気が沸騰し、またテレビの普及も進むにつれて、メディアの人気者が表紙を飾るのが主流になります。私のような何処にでもいそうなフツー性が売りの少年はアッという間に出番が減って行くのです。中島書店中野書店のサンデーやマガジンは創刊から時間順に並んでいるので、この移り変わりをまざまざと確認することができます。ま、それだけに私が表紙に登場しているサンデーは世相史的にも価値があるんですよ〜。

05DSCF4438.JPG04DSCF4486.JPG
誌面作りをみると、連載探偵小説「口笛探偵長」に象徴されるように少年週刊誌はまだまだ漫画一色ではなく読み物文化を色濃く残していたことがわかります。とはいえ、私自身は「スポーツマン金太郎」なんかが大好きでした。少年週刊誌から人気小説は生まれなかった(?)けど、人気漫画はその後無数に誕生することになるわけです。

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2004.09.19

04・09・19 イシナベさんの靴のオブジェ

いつもの喫茶店に行くとビルの中庭に靴のオブジェが置いてある。

Kutsurogi50DSCF2016.JPGIshinabeDSCF2014.JPG
石鍋真理子作「Q靴?」2004・09・19 横浜市青葉区 Copyright 2004 Akira Kamakura

靴の中には"Love"とある。「"Love"ねぇ。うーむ。」作品の横のプレートの作者の言葉は「よかったら中でお休みください」っていうのだけど、Q靴(なんか昔の嵐山文体の記憶が残ってるのかな?)だからというわけじゃないけど、ちょっとクツろげないよな。

私の推理。

これはワナだ。きっと作者のイシナベさんはこの中庭を見渡せるヒミツの場所に望遠カメラを構えて、誰かかがこの靴のバスタブの中に横たわるのを待っていたにちがいない。その情景を街の中に出現させることがこの作品の狙いじゃないか?

私が立ち止まって看板を読んだりデジカメを撮ったりしていたのを「もうちょっとだったのに」と悔しがっていただろうな。

もしも靴の中に横たわると音楽が聞こえるような仕掛けになっていたら、私はもぐり込んだかも知れませんよ。

残念でした。次回の仕掛けをお待ちします。こういうのは嫌いじゃない。

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2004.09.14

04・09・14 たまにはプロ野球について書いてみる

長嶋茂雄氏が脳梗塞で倒れたのが今年の3月。病状の深刻さが明らかになるにつれて、アテネ五輪でだけでなく、そのもっと先の長嶋コミッショナー誕生(私の勝手な憶測ですが)などのミラクル・シナリオが描きづらくなったように思う。偶然の一致かも知れないが、球団合併の話が急に具体化したのとタイミングが合っていたように思う。

今回の球団合併騒動の中で、選手会々長の古田選手は、二流選手も三流選手も抱える選手会という組合の委員長として、強い責任感をもって十分に思慮深い行動をとっていると思う。

むしろ球団の経営側の行動にどうにも大局観が感じられないのが残念である。日頃そんな議論をほとんどしていないように見えてしまう。

新規参入の規制緩和は当然必要だが、だかしかし、参入の自由があるなら暗黙のうちに脱退の自由も認めることになるに違いない。つまり、過去にもあったように、球団経営にあたる企業の業績次第で、去年鼻息も荒く乗り込んで来た企業が今年はもう止めたと去って行くこともあるわけだ。

そもそもどんな企業でも永遠に続くことはない。確か10年ほど前に何処かで聞いた講演でハーバード大学MITのレスター・サロー"Lester C. Thurow "が言っていたが、100年前のアメリカの巨大企業で今も残っているのは数えるほどしかないのだ。彼の著書のどれかにもそのリストが載っていた筈だ。

ところが球団のヤンキースの創立は1901年だとどこかに書いてある。ドジャースは1890年、カージナルスは1876年創立だ。球団は100年以上たっても元気である。

極論すると企業なんてカゲロウのような存在であり、むしろ野球チームの方がよほど社会に深く根を張った長命の存在なのだ。長嶋茂雄氏が現役引退の時に「我が巨人軍は永遠に不滅です」と言ったのは別に読売に媚びを売ったのではない。読んではいないが小林信也氏の「長嶋はバカじゃない」というのはホントウだなと感じる。

さて、こういう見方をすると、「たかが一企業」がプロ野球の球団を所有するなんて発想自体が不遜な「身の程もわきまえない無礼な行為」だということになるのではないか。

例えば大相撲を見よ。流石に日本の企業は大相撲を買いたいとは言わないではないか。外資系はわからないが。

スポーツではないが、オーケストラだってそうだ。たまたま多少は身近な存在である東京フィルハーモニー交響楽団を見ても、理事長であるソニーの大賀氏はこのオーケストラのためにお一人で巨額の寄付をされていると聞くが、それはあくまでも賛助会の一員としてのことである。

東フィルの賛助会は100社ほどの企業と100名余りの個人会員から寄付を集めている。企業にも個人にも時に応じて都合の変化もあるから、その構成メンバーは時とともに入れ替わる。

しかし1911年創立のこのオーケストラは不滅なのだ…、と言いたいところだが、現実は数年前に新星交響楽団との合併を経験するなどオケ業界も大変らしい。今のプロ野球と似ている。しかし、東フィルはその経験を踏まえて今のような賛助会組織を拡充するなど経営努力をするようになったのだと私は理解している。

プロ野球も、多くの人々が指摘するように基本は地域密着とし、チームを特定企業の広告宣伝子会社にしたり、監督交代を企業内の人事異動なんかにさせないことだ。むしろ球団の監督は地域の首長にも匹敵する存在になるのではないか。

その資金的支援活動には多くの企業や個人が入れ代わり立ち代わりいつでも自由に参加できる形が望ましいと思う。もちろん支援をしてくれる個人や企業に対してチームはせいぜい愛想を振りまく必要はあるし、主催試合のチケットを寄付額に応じて提供するのは当然のことだ。

公開株式会社にするという案も聞こえて来るが、野球チームは投資対象ではないような気がする。そんなことをすると、また、チームの系列化だとかM&Aだとか、おかしなことが起きて来るだろう。基本は皆のクラブを運営するという発想だから、金銭的支援とは要するに基金の拠出であり運営費用負担に他ならない。つまり非営利組織が適していると思う。儲かったら色々な形で地域に還元すればよい。

また税務署もこの寄付金をちゃんと損金として認めることだ。

こうした仕組みの中で一体選手に幾らの年俸を支払うことができるのか?また日本全体で何チームを支えることができるのか?リーグを構成するとはどういうことなのか?そういった点を根本から見直すべきだろうな。それは良くも悪くも劇的な構造改革になるかも知れない。高校野球も巻き込まれるかも知れない。

野茂もイチローも松井もアッチに行っちゃった今、日本はこれまでのプロ野球をいったん卒業して、読売などのこれまでの功績は大いに讃えた上で、経営母体の企業にはいったん全部引き下がってもらって、まさに新世紀のプロ野球をきちんとグランド・デザインするべきだな。

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2004.09.08

04・09・08 駅前の銀行店舗がTully's Coffeeになった

2004年9月7日、あざみ野駅前にTully's Coffeeがオープンしました。

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Tully's coffee あざみ野店
2004・09・07 横浜市青葉区
Copycenter 2004 Akira Kamakura


駅の東側のこの場所にはもともとは第一勧業銀行あざみ野支店がありました。それが第一勧銀・富士銀・興銀の三行の合併によりみずほ銀行になり、この9月7日、とうとうコーヒー・ショップになりました。

ついこの間まではちょっと陰鬱な雰囲気だったこの空間がパッと華やぎました。できてみるとずっと前からそこにあったように見えるから不思議です。

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2004.09.04

04・09・04 なんでチョウ?ウラギンシジミでした

オリンピックのアーチェリーで銀メダルをとった山本選手、今朝のテレビで自慢のオヤジギャグを一つご披露ねがえますかとの司会者お誘いにちょっと考えるフリをして「スポーツマンヒップにモッコリ…」とやってくれたもんだ。これは初耳。
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ウラギンシジミ
2004・09・04 横浜市都筑区
Copycenter 2004 Akira Kamakura


今日はすっかり秋の空気でした。草むらでこんな蝶を見つけました。これまでに見たことがないなと感じたのでしつこくデジカメで追いかけました。シロチョウの仲間だろうと感じるのですが、わからない。それにしてもこれは何で蝶ね?

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2004.08.08

04・08・08 「ゴジラとは何か」ピーター・ミュソッフ著

このあいだ見たアーロン・カーナーさんの日米ゴジラ映画比較の映像では、1954年の日本版がビキニ環礁の水爆実験を映している時に、1956年の米国版はアメリカ人の男が一人、少なくともビキニ環礁とは似ても似つかない状況の中に映っているだけ。米国として気に入らない部分をカットしちゃった、というのが私のとりあえずの理解だったので、なんだか不可解でした。

この週末、地元の図書館に寄った時に、ダメモトで映画関係の書棚をみると「ゴジラとは何か」という本があるではありませんか。著者はピーター・ミュソッフというアメリカ人です。カーナーさんがゴジラ映画を熱心に見ていたのは偶然じゃなかったようです。どうやらアメリカには熱烈なゴジラファンが沢山いて、その熱気の吹きこぼれのような形で評論やら映像作品やらも生まれているようなのです。

DSCF1379.JPGこの本によると、米国版の「怪獣王ゴジラ」"Godzilla, King of the Monsters!"は、テリー・モース"Terry O. Morse"という監督によって改変されているのですが、そのやり方が凄い。本多猪四郎監督の原作を20分ほど短くしただけでなく、その分、新たなシーンを撮影し追加してプロットを変更しているのです。狙いはこれをアメリカ製のB級SF映画もどきに作り替えることでした。

驚くべきは、ゴジラと核実験の関係がすっかり消されているだけでなく、追加された映像によって変更されたプロットもろとも人間の主役もアメリカ人に入れ替わってしまうのです。夢の島の映像で見たアメリカ人とは俳優レイモンド・バー "Raymond Burr"が演じる新聞記者だったのでした。彼は、のちにテレビの「ペリー・メイスン」「鬼警部アイアンサイド」シリーズでスターになった俳優とのこと。

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2004.08.05

04・08・05 歴史をアートするAaron Kerner

今、夢の島の第五福竜丸展示館"Collapsing Histories"(崩れゆく歴史)というテーマでのアートの展示をやっています。そのプロデューサで、映像作家としての原点はゴジラ映画だというアーロン・カーナー(Aaron Kerner)さんご夫妻に中を案内してもらいました。
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第五福竜丸展示館
2004・08・04 江東区夢の島
Copycenter 2004 Akira Kamakura


ここはあの第五福竜丸がドンと置いてあります。ちょうど50年前のビキニ環礁の被爆事件の後この船は化粧直しされ練習船「はやぶさ丸」として使われていたとのこと。それがいつのまにかひっそりと、この「夢の島」に座礁したかのように捨てられていたのだそうです。歴史を粗大ゴミのように扱う気持が、時代のムードとして、高度成長期を迎えた日本の社会の中にあったということでしょう。その問題に気付いた人がいて、保存運動がおこり、展示館が出来た。約30年前のことです。

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第五福竜丸無線機
2004・08・04 江東区夢の島
Copycenter 2004 Akira Kamakura


建物の中に置かれた第五福竜丸は見上げるほどの巨大さです。その船体をぐるっと巡るように色々な作家の作品が展示されています。通信士だった久保山愛吉さんが使っていた無線機もありましたが、これは常設展示物でしょう。

カーナーさんの展示は、映画ゴジラの第一作目の日米比較の映像作品です。私の子供の頃の記憶はもう全くはっきりしませんが、日本版一作目には第五福竜丸の事件がかなり大きく扱われていたといいます。ところがカーナーさんが見た米国版ではそれがバッサリと削られていたというのです。

あの水爆実験は、会場のパネルの説明によれば、米軍の予想を裏切る三倍の威力が出てしまい、結果的に多くの予想外の放射能被害を出してしまった。東西対立が深刻化する中で軍事的重要性は高かったものの、多くのアメリカ人には、おそらく、あの実験のネガティブな側面を歴史の粗大ゴミとして捨ててしまいたいという気持ちがあったのでしょう。当時アメリカでは放射能の「死の灰」なんて洗い流せば安全で大したことないという「啓蒙」映画まで制作された。ゴジラの原作を都合よく編集したのも同じことだったのだろうと思います。

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ギャラリーエフcafeでのAaron Kernerさん
2004・07・15 台東区雷門
Copyright 2004 Akira Kamakura


記憶の中のある部分を無意識のうちに抑圧して無かったことにするという現象は人間にも社会にも当然あります。必ずしも病気とは言えないでしょう。そういう「記憶」によって歴史も人格も形作られて行かざるを得ない。

そこでアーティストとしては?その抑圧されていた部分をもう一度自由に甦らせるきっかけをデザインして、見る者がそれぞれの感性で歴史を発見する体験をさせる。フロイド流の精神分析(Freudian Psychoanalysis)での自由連想法(Free Association)にも似た手法、というと考え過ぎかな。ならば、赤塚不二夫流の「忘れようとして思い出せない」ことと向き合ってみるってことか? ま、私が理解した今回の展示の意図はそんなところでした。

教科書や歴史書の記述として歴史を理解するのではなく、アートを通じて疑似体験するという試みはなかなか面白いと思いました。そのためにはテーマとギャラリーの組合わせも重要で、この第五福竜丸の存在感は大きいですねぇ。

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ギャラリーエフの土蔵の展示写真の写真
(第五福竜丸展示館にて)
2004・08・04 江東区夢の島
Copycenter 2004 Akira Kamakura


"Collapsing Histories"は、もう一カ所、浅草のギャラリー・エフでもやっています。ここは東京の大空襲で焼け残った江戸時代の土蔵を改装してギャラリーに仕立てた場所です。展示物は異なりますが、歴史をアートするというコンセプトは同じです。

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夢の島マリーナ
2004・08・04 江東区夢の島
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ところで、この「夢の島」という場所。東京という大都会のゴミ捨て場として出来た埋め立て地に「夢の島」とは、汚い現実を隠蔽する蓋のような、あまりにも臆面のない命名として、当時は誰もが皮肉な響きを感じたものです。

しかし、あれから何十年という歳月を経て、今の「夢の島」は緑豊かなホントウの「夢の島」になっていました。都心近くでこれだけの緑や水はなかなか見つからない。ここまで先を見通していたとしたら、このネーミングを考えた人は凄いもんだと思いました。

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2004.08.01

04・08・01 浦安の納涼花火大会、いかにもの構図

50IkanimoDSCF1029.JPG真夏の雨上がり
2004・07・31 横浜市青葉区
Copycenter 2004 Akira Kamakura


7月31日土曜日は台風10号が北西に進路をとりつつ関東地方の遥か南をフラフラしていました。この影響で午前中はまさに南の島のスコールでした。千切れた雨雲が上空に来ると逃げるまもなく俄かに雨が落ちて来る。でも、しばらくするとまた夏の晴天になる。

おかげで濡れた舗道に映る空と雲という、いかにもの構図の一枚を撮りました。だいたい素人写真なんてものは、どこかで見たような絵を真似しているだけ。記憶の型にはめて喜んでいます。

夕方、浦安まで遠征して、今年で26回目になるという花火大会を見物しました。

50KaijoDSCF1094.JPG花火の会場は高洲海浜公園。開始は夜の7時30分ですが、この写真はまだ5時53分。場所取りシートですでにかなりの混雑。酒盛りの準備をする人々や浴衣姿の女性も画面に捉えていて、いかにもの構図だよねぇ。ちなみにこんな早い時間に行くとどうなるか?浦安市の消防隊のブラスバンドが大張り切りの生演奏を聞かせてくれます。

50KumoDSCF1110.JPG次の写真は6時24分。今朝の雨の気配はすっかり消えて心地よい海風が吹いています。西の空を見ると、ターナーのような雲が。ここでまた、いかにもの一枚を撮ります。まだ一時間ある。

そして最後が7時30分頃の一枚。やれやれようやく花火が始まって、どうせうまく写らないだろうと余り期待せずにシャッターを押したのがこれ。結局、これもいかにもの出来ですね。50HanabiDSCF1120.JPG

そのうち次々と打ち上がる花火に魅惑されてカメラなんかどうでもよくなります。というよりファインダー越しではなく肉眼でシッカリみないと勿体ないという気分になる。もう満月も完全な脇役で誰もそっちを見ていません。

打ち上げの現場は見えませんが、花火の球が筒から空中に飛び出して行く音らしき低周波が聞こえます。一升瓶の中に息を吹き込んだような鈍く低い音です。

それが上空ではじけて光の輪が広がると一瞬遅れてパーンと音が届く。視野いっぱいに広がる大きさが現場で見物しないとわからない迫力。光は実に短命で光ったと思ったらもう消えて行きます。特に無数の金粉のような光は夜空に埋め込まれた蒔絵のようだ(いかにもの表現)。

大量の火薬は爆薬でもあるはずだけど、花火の光には微塵の敵意も脅迫もない。人々は安心しきってこの美しい火薬の爆発に歓声をあげる。平和な風景です。

かくも大がかりで贅沢で、花火師の研鑽の成果をパッと咲かせ一瞬の光を記憶に残して消えてしまう花火というじつにじつに粋な遊びに乾杯!という気分でした。

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2004.07.28

04・07・28 小山翠先生の消息判明

なんと、その後、大潟町の柳沢さんからのメールで小山翠先生の消息を知ることができました。小山は旧姓になっていますが今も練馬にお住まいだとのこと。

考えてみれば当たり前のことですが、地元の大潟町にはご親戚の方がいらっしゃるんですね。そのルートで得たという現在のお写真までも見せていただきました。44年振りに見る我が青春のマリアンヌ、いや、マドンナ。それをジーッと見つめて昔日の面影が浮かび上がるのを待ちました。そして先生の声が聞こえたような気がしました。

久しぶりにとてもsix-degree的な体験でした。一人で気の向くままに勝手なことを書くblogだからこその出来事でしょう。

大潟町の柳沢さん、ありがとうございました。

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04・07・28 練馬区南大泉町の小山翠先生は今何処?

一月ほど前に書いた04・06・22 卯の花の小山翠先生に新潟県大潟町の柳沢さんという方から

「夏は来ぬ」の作曲者小山作之助が産まれた町に住んでいます、作之助について調べているのですが、孫にあたると言う小山翠先生の話が載っていましたがもう少し詳しく教えていただけないでしょうか
とのコメントをいただきました。市ヶ谷小学校で同級生だったシャンソン歌手の平野リリ子(淑子から改名)さんにも聞いてみましたが、まさに遠い日のこと、確かな消息はわかりません。3teachers50.JPGAddress50.JPG
昭和35年の小山翠先生 2004・07・27 横浜市都筑区 Copycenter 2004 Akira Kamakura
で、とりあえず家の中を発掘したら意外に簡単に卒業アルバムが出て来ましたので、それをデジカメにおさめて大潟町の柳沢さんにメールしました。

その後の柳沢さんからのメールによると、

…今になって作之助の偉大さに気付き行動を起こしてももう遅いのですができる事からと、町では夕方5時の時報を町内に「夏は来ぬ」で流しています、年に一度(2回目ですが)作之助を偲んで「卯の花音楽祭」を行っています、その時に資料の展示も行うのですがなかなか集まりません…
とのことですので、一種の個人情報ではありますが、昭和35年と遥か昔の歴史的事実のゾーンに入ることなので、ここにも掲載して私なりに公開捜査に踏み切ったわけです。
AlbumCover50.JPGalbumstpage50.JPG
昭和35年の市ヶ谷小学校卒業アルバム
2004・07・27 横浜市都筑区
Copycenter 2004 Akira Kamakura
先日の日経の文化面にも最近日本の作曲家が見直されているという記事がありました。おもにNAXOSレーベルのCDによるところが大きいようです。

それにしても不思議な品揃えをする魅力的なレーベルだと思っていましたが、このページによると熱心なクラシック音楽の愛好家クラウス・ハイマン氏(香港の実業家)の一つの志から出発したレコード出版事業だったとのことです。奥様はヴァイオリニストの西崎崇子さんだそうです。

今のところ小山作之助はNAXOSの発売リストに載っていませんが、大潟町を中心に小山作之助の作品リストをまとめてNAXOSに働きかけるべきでしょう。ちょっと無責任かな!?

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2004.07.11

04・07・11 禁止したがる看板と噺家の知恵

近所を路上観察していて目にとまった二つの禁止看板です。
RoubaFudousonDSCF2400.JPG
老婆不動尊境内の罰当たり看板
2004・05・01 横浜市都筑区
Copycenter 2004 Akira Kamakura

これは老婆不動尊の境内のもの。赤看板というどぎつさが凄い。

ここでいたずらすると!!罰(バチ)があたり手が曲がります。みんなよい子になりましょう。
カミサマの権威を借りた看板の霊験あらたかに?この境内に子供が遊んでいるのを見たことがありません。

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山崎公園の看板
2004・07・11 横浜市都筑区
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もう一つは近所の公園に立っているもの。真夏は生い茂ったクズやアジサイに隠れてまず気付く人はいないでしょう。
許可なく公園でバーベキュー等はできません。
オカミの権威を借りた、じゃなくてオカミご当人が禁止しているものです。

どうも自分も含めての反省ですが、規則をネガティブに表現する傾向があるんですね。

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04・07・10 夜の蝶の裏と表

今朝我が家のガラス窓に止まっていた蛾です。何者でしょう?長さは3-4cm。

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蛾 2004・07・10 横浜市都筑区 Copycenter 2004 Akira Kamakura
ガラス越しにグッと迫って接写しましたがピクリとも動きませんでした。

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2004.07.03

04・07・03 黒木亮の目に映った赤芽柏の正体とは!?

週刊ダイヤモンドに黒木亮さんが金融小説「巨大投資銀行」を連載しています。第七章の秋葉原の風雲児「木村エジ」は伝説の佐々木ベジ氏をモデルにしているのかと思うと興味津々です。

じつは、2004/06/26号の第41回目をたまたま読んで初めてそのことに気づきました。つまりこれまで読んでなかった。でも、モデルがモデルだけに間違いなく面白くなる。これから続けて読みます。

金融小説を植物趣味の私が読むとどういうことになるか?こうなります。

この週に掲載された第七章の6は小金井カントリー倶楽部の描写から始まります。

黄色く色づいた赤芽柏(あかめがしわ)の生垣で囲まれた石造りの門に、黒い大理石の石板がはめ込まれ、「KOGANEI COUNTRY CLUB」と浮き彫りされている。
私は「赤芽柏の生垣」に違和感を覚えました。そんな生垣は見たことない。040619AkameGashiwaDSCF3954.JPG

アカメガシワの幼木
2004・06・19 横浜市青葉区
Copycenter 2004 Akira Kamakura


そもそも赤芽柏という木は、好んで植えるというより、いつのまにここに生えたの?というあり方が似合う存在です。葉は大きいし密生もしないし、おまけに落葉樹ですから、どうにも生垣向きではない。

おかしいなぁと思いましたが、なんせ、「名門」の小金井カントリーのことだから、有力メンバーのわがままな注文で、普通ではあり得ない植栽を実現しているのかも知れない。

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2004.06.13

04・06・13 スズメバチに出会う!

12日の夕方、都筑中央公園の「ばじょうじ谷戸」の休憩所に寄りました。外で管理人さん二人が作業をしていましたが、だだっぴろい休憩所の中には誰もいません。
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都筑中央公園「ばじょうじ谷戸」休憩所
2004・06・12 横浜市都筑区 Copycenter 2004 Akira Kamakura

高い天井近くの大きな高窓のガラスの表面を黒いモノがユッタリとした周期で揺れる振り子のように左に右にと動いています。太さは大人の親指ほど、長さは5センチはありそうです。逆光で黒く見えていますが紛れもないスズメバチです。たった一匹でスゴイ威嚇力を発散しています。幸い私には関心がなさそう。

こりゃアブナイわと、さっさと休憩所を出たのですが、すぐに思いなおして引き返し、作業中の二人の老齢の管理人さんに声を掛けました。二人はやおら作業をやめて、どれどれと休憩所を覗きに来ました。

一人は名探偵ポワロの帽子を脱いだデビッド・スーシェが髭を剃り落としたようなオジサン。もう一人は七人の侍の左朴全が耕運機メーカーからもらったようなカーキ色のキャップを被って首にタオルを掛けている。

二人は部屋の近くに来たものの中には入らず、入口あたりで中を覗いています。「女王蜂が巣の場所選びに来ているんかなぁ…」「部屋に迷い込んで出口を探しているんかねぇ…」。二人の後ろ姿はちょっと腰が引けているようでもありますが、とにかく慎重です。「うっかり攻撃目標にならないように注意しないとね」とも言います。

何か道具を取り出してサッサと退治するのかと思ったら、こんなありさまで、時間が掛かりそう。「じゃ私は逃げますので」と私はデジカメを撮りたいところを我慢して休憩所を後にしました。

後で調べると、オオスズメバチの女王蜂に違いありません。女王蜂だけが冬を越して春にそのたった一匹から巣作りと繁殖をスタートするんですね。ポワロ探偵の見立ては正しかった。

リンクしたサイトの説明では「春先に飛んでいる女王蜂を1匹殺すだけでもこの蜂の繁殖を防ぐ大きな効果がある」。なるほど。管理人のオジサンたち、きっとあの後、頑張ったことでしょう。

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2004.06.10

04・06・10 伊藤芳明さんのいない「森本毅郎スタンバイ」

毎朝目覚まし時計代わりにベッドの中で聴いているTBSラジオの「森本毅郎スタンバイ」。ファンだった木曜日のコメンテータ伊藤芳明さんが降板。毎日新聞大阪本社の編集局長にご栄転とのこと。

登場したばかりの頃の伊藤さんはやや訥弁で、なんだかよくわからんと感じたものです。しかし回を重ねるにつれて、特に中東問題に関して現地経験と幅広い取材を踏まえてモノを言う誠実なジャーナリストであることが伝わって来て、だんだん好きになりました。

去年、毎日新聞の写真部の記者がヨルダン空港で爆弾持ち込み事件を起こした時、その救出に出動したのも伊藤さんでした。その間ラジオはお休みになりましたが、伊藤さんならきっと問題を解決して来るだろうと密かに応援していました。

2〜3ヶ月たって期待通り一件落着となって、このまま降板かなと思ったら律儀に再び番組に復帰しました。しかし活躍を自慢するでもなく淡々と番組を続けました。あれは伊藤さんの美学を感じました。

ジャーナリズムもどのような人格を通じて伝えられるかが大切だと私は思います。要するに署名記事です。たしか毎日新聞は原則全記事が署名記事でした。だからこうしてラジオに出て来てコメンテータを務めることとの連続性があるのでしょう。ちなみに私の認識では他紙は原則署名無しですが、なぜか読売はスポーツ面だけ署名入りです。

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2004.06.08

04・06・08 眠れない夜のおまじない

私でも、たまに眠れない夜というか、眠れないかも知れないと予感する時があります。

「私でも」と書いたのは、ゴルフ合宿などで数人がひと部屋に寝る時、だいたい私は真っ先に眠りに落ちてグーグーいびきをかくと批難されているからでございます。この場をお借りして日頃ご迷惑をおかけしている関係各位にお詫び申し上げます。

で、確実に眠りたい時にどうするか?

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2004.06.06

04・06・06 シラクとブッシュ「エリゼ宮の食卓」

本日6月6日は、1944年のノルマンディー上陸作戦"Operation Overlord"が決行されたD-Dayの記念日でした。今年は60周年で、EUが着実に拡大し融合する中で初めてドイツの首相も招待されましたが、なんといってもイラク戦争を巡る米国と独仏の対立のしこりの中での開催という点が興味深かったわけです。
DSCF3488.JPGOmahaBeachCapaDSCF3733.JPG
NY Times 2004・05・31 IHT 2004・06・04
NYTの記事を転載した左のIHTはD-Dayの日付を7月6日と誤植した。右のIHTの写真はロバート・キャパの作品

フランス側には、この秋、ブッシュ再選との読みがあるようで、どうせさらに4年間付き合う宿命ならば、ブッシュとの関係を修復する必要があると考えているようです。

で、今流れているasahi.comの報道では、5日夕、「…米国のイラク政策を一貫して批判し、新決議案の修正を求めてきた仏が初めて「決着」に言及した…、…両者は仏大統領府で約1時間会談した後、共同会見を挟んで夕食を共にし、…」となっているわけです。

問題はこの夕食です。数日前のニューヨーク・タイムズによるとこの夕食はシラク大統領夫妻とブッシュ大統領夫妻だけのエリゼ宮でのプライベート・ディナーらしいのです。

西川恵著「エリゼ宮の食卓」(新潮文庫)によりますと、フランス大統領は賓客をもてなす際に、料理やワインのメニューで、判る人には判ってしまう、かなりあからさまな外交的メッセージを込めているというのですね。
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なにしろフランスワインにはオフィシャルな格付けがあります。かといって格付けだけがすべてでもなく、格が低くてもワイン好きの評価は高いものもある。ヴィンテージの良し悪しもある。古いものもあるし若いものもある。ブルゴーニュやボルドーといった中心地もあれば、プロバンスのように有名ではあってもワイン的には場末感漂う地域もある。ブルゴーニュなら畑と作り手の組み合わせもある。

といった具合に、この客になぜこのワインを出したのか?と考えさせる含意を詰め込むことができるわけです。ワインがわからない政治家は困るでしょうね。帰国して家に帰ってワインガイドブックを開いて初めて喜んだりガッカリしたりするようではフランスとの外交は務まりませんな。

この本には、諸外国の元首だけでなく、今上天皇、宮沢首相、羽田首相、海部首相、村山首相などのメニューが紹介されその意味を解読してくれています。とてもおもしろい。

そして今回、ブッシュ大統領がどんなワインを飲んだか、とても興味深いところですが、そこまで取材できるジャーナリストがいるかどうか、ですね。

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2004.05.29

04・05・29 NHKの東京ドーム巨人戦中継のヒミツ

NHK総合テレビで巨人戦の中継を見ていました。

東京ドームなのに日テレではなくNHKというだけでかすかな違和感があるのですが、放送を観ているうちに、何か違うなと思いました。

そりゃ、アナウンサーも解説者も映像も違うのは当然ですが、そういうことではなくて、中継している対象から違っているような感じがあったのです。

しばらくして気付いたのは音声でした。球場全体の雰囲気を伝える音声です。

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2004.05.18

04・05・18 60'sのコーノのコーヒーミル

使い始めてから37-8年は経過していますかね、このコーヒーミル。手の油でテカテカと光っています。何度も分解掃除をやりました。どうしても手放せない道具です。コーノコーヒーというブランドなんですが、今、どうなっているのか私は知りません。
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コーノのコーヒーミル 2004・04・29 横浜市都筑区 Copycenter 2004 Akira Kamakura

コーヒーは豆を挽いた時に立ち上る香りがいちばんよろしい。あれはどうにも液体に抽出できないようで、だから飲む前の豆挽きこそがコーヒーの大きな楽しみということになります。

このコーヒーミルのいいところは、ダルマのような形と片手に納まる大きさです。

下半分が片手の中にスッポリと納まるので、もう一方の手でハンドルを回すと、豆が砕けて行く振動が両方の掌に繊細に伝わるのがとてもよろしい。荒挽きか細挽きかネジでアナログ調整しますが、ネジの位置を見るまでもなくハンドルを回せば感じでわかります。

挽いている間、このミルは、両手に支えられて空中にあるわけですから、コーヒー豆を挽きながら庭を散歩することだってできます。そうする必要はありませんが。

このコーヒーミル、じつは、私にとってはゴルフのために左手を鍛える器具でもありました。豆を砕くハンドルの回転の反作用をくい止めるには意外に力がいるので、左手で基部を握れば握力強化になります。また、豆を効率よく挽くにはハンドルのなめらかな円運動が必須ですが、それを敢えて不器用な左手で回すと器用さの訓練にもなるのです。

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2004.04.23

04・04・23 1947年の航空写真はnostalgic commons

国土地理院のサイトで1947年に米軍が撮影した東京あたりの航空写真を見ることができます。edajuku2.JPGたまたま私の現在の自宅付近の昔の姿が写っています。地元の人間なら早渕川の位置が手がかりになって、現在の地理との対応がある程度はつきます。

強力な土木技術の横暴にさらされる前のたおやかな田園風景ですね。佐藤春夫の「田園の憂鬱」の舞台もここから西(画面左方向)にさほど離れていなかった筈です。

以前我が家の隣に先に住んでいたOさんからこんなことを聞きました。
「この場所は私の別荘が建っていたんですよ」すでに80歳をとうに過ぎていた方でした。

ここよりずっと東京に近い二子玉川のあたりにも文人の別荘が多かったと聞きます。河原近くにあった土筆亭という料亭も誰かの別荘だったはず。

サムネイルにしたのは荏田宿と呼ばれていたあたりです。江戸から大山街道を行く時のちょうど一日目の宿だったとのこと。

国土地理院のひっそりとした地図公開はなかなか嬉しい情報公開です。利用方法についてあまりうるさいことを言わないことを祈ります。こういうのは自由に、かつ節度をもって活用するべき国民の共有財産で、かつての入会地のようなものでしょう。

creative commonsというかnostalgic commonsというべきかな。ま、勝手に決めてはいけませんが。この写真にもたぶん多くの入会地が写っているはずだと思います。

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2004.04.17

04・04・17 人質解放を報じる新聞一面比較

つねづね思うことですが、新聞紙名よりも大きな活字で見出しをつける新聞は一流とは言えない。人質解放を伝える4月16日の朝刊はなかなかの見物でした。

朝日も神奈川新聞もデカすぎる。日経も似たようなものです。ヘラルド・トリビューンだけが普通サイズで、そもそも人質解放の記事が小さい。トップ記事は韓国の選挙です。

最近は読んでいませんが、Wall Street Journalなんかも見出しの文字が小さかったですよ。ま、ビジネスの世界は人によって利害関係が違うのでニュースの大小は一般的には決められないからかも知れません。

HeraldDSCF1997.JPG
巨大な見出しはそれだけで煽情的です。特に朝日の一面は人質の家族の視点で書かれているようで、内容も極めて情緒的です。

さらに、人質事件以外のニュースが全部他の面に追いやられています。
新聞がそんなことでは困るしアブナイ。

ヘラルド・トリビューン 2004・04・16

NikkeiDSCF1987.JPG
ヘラトリと日経だけが他のニュースにも一面のスペースを割いていますが、これが正常な神経でしょう。
人質が無事戻って来たことはいいことですが、大多数の人々は人質の親戚じゃないわけで、今後のイラク情勢の行方の方がより大きな関心事です。

日本経済新聞 2004・04・16

AsahiDSCF1983.JPGブッシュは大統領選挙に向けたスケジュールに固執し強硬策を続けるし、小泉内閣だって参院選にらみになっている。

どちらも場合によってはスペインのように政権交代の可能性をはらんでいるわけで、今回、官邸に漲った緊張の原因はそこにあるわけでしょう。

朝日新聞 2004・04・16

家族の涙を一面で報じますかねぇ…これは違和感を覚えました。まるでテレビのワイドショー。むしろ官邸の冷や汗を捉えた写真は無かったのかなと思います。

そういう意味では朝日の13面の三者三論「泥沼のイラク」はまさに冷静で多面的な思考を促す優れた特集でした。白石隆京大教授、山内昌之東大教授、そして前田哲男東京国際大学教授の意見紹介。こういう記事を一面に上手に使えないところが問題なんでしょう。

KanagawaDSCF1991.JPG
さて、紙名より見出しが大きいことの何がいけないのか?

ニュースはメディアが報じるからこそニュースになるわけでしょう。だからどんな新聞にも「これが私たちが大事だと思った今日のニュースです」というメッセージがベースにあります。

神奈川新聞 2004・04・16

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2004.03.21

04・03・20 イラク戦争世界世論調査

ココログがレベルアップして記事の折り畳み表示ができるようになりました。この機能があれば長い記事でもトップページの目障りにはなりません。これを待っていました。

早速このフィーチャーを活かして長いのを載せてみます。

先日、米国のピュー研究所の調査結果を使ってブッシュとビンラディンの好感度の比較をやって驚いたわけですが、その続きです。ピューにメールしてレポートのグラフなどの引用の許可を得ています。もっとも本来的に引用自由のようですが。

このPew Global Attitudes Projectという調査がズシッと腹に響くのは、特にイスラム圏でのサンプル数を1,000確保して、出現率の推定誤差±3.5%を実現していることと、それらの国々では対面調査を実施していることでしょう。

調査概要は以下のとおりです。
調査時期 February 19-March 3, 2004 (スペインの列車爆破テロは3月11日)
調査実施 Princeton Survey Research Associates International
サンプル数
アメリカ 1,000
イギリス 500
フランス 504
ドイツ 500 ※以上は18歳以上に電話調査
ヨルダン 1,000(大人)
トルコ 1,017
ロシア 1,002
モロッコ 1,000 (18-59歳の都市部住人)
パキスタン 1,242(主に都市部住人) ※以上は対面調査

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2004.03.18

04・03・18 メールの添付忘れ防止策

メールの本文に

…事務手続きにつきまして添付のとおりまとめましたので、…
と書いてあるのに、添付ファイルがないメールが多いんですよねぇ。たった今も一つもらいました。きっと再送してくるぞぉと待っていると、「スミマセン」と恥ずかしそうに本物が送られて来るんです。

本文を書くのに没頭していると添付するのを忘れてしまうんですよね。私もやったことがあります。

そこで、メーラを開発している人にお願いなんですが、本文中に「添付」って言葉があったら、送信の前に

「念のためにお尋ねしますが、本当に添付しまたか?」
って聞いて欲しいですよねぇ。

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2004.03.17

04・03・17 ビンラディンとブッシュの世界好感度調査

もうすぐ3月20日、イラク戦争開始から一年になります。

アメリカのピュー研究所(The Pew Research Center)から、文字通りの「イラク戦争から一年」と題した世界的な世論調査が発表されています。

結果的に調査のタイミングはスペインのテロの直前となったものですが、タイムリーかつ示唆に富む報告です。調査対象はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアの他に、トルコ、モロッコ、ヨルダン、パキスンの合計9ヶ国の人々。

ウームと唸らざるを得ないのはイスラム圏の答えです。

「あなたはオサマ・ビンラディンを好きですか?嫌いですか?」という質問に対する各国々民の答えが以下の表です。
table.GIF

イスラム圏ではオサマ・ビンラディンの好感度がかなり高いのですね。特にパキスタンでは、"大好き"とした人がなんと40%!。パキスタンとアフガニスタンの国境地域を逃亡中とのことですが、これじゃ捕まらないかも。

比較のためにブッシュの評価も見てください。table1.GIF

そしてこの二人への好感度を-100〜100に指標化してプロットしたのが下のグラフです。
pew01.GIF
イスラム圏とその他の間に広く深い溝があることが想像できます。またフランス・ドイツとイギリス・ロシアの間にも微妙な距離がありますね。トルコはイスラム圏の中では飛び抜けてビンラディン嫌い派です。

しかし、そのトルコも自爆テロはけっこう支持が多いのです。

イラクに居るアメリカ人やヨーロッパ人を標的とした自爆テロについて、正義か?(justifiable)という設問への回答にはとにかくギョッとさせられます。

以下が正義だとする人の割合。

トルコ 31%
パキスタン 46%
モロッコ 66%
ヨルダン 70%

アメリカ中心の世界観にはかなりのリスクがあることがよくわかりますね。

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2004.03.14

04・03・14 切れてるポスター

ChirashiD50SCF1037.JPG進化したポスター 2004・03・13 横浜市青葉区 Copycenter 2004 Akira Kamakura
図書館の掲示板で見たロシア語教室の案内ポスター。

下の方は切れ目が沢山入っていて、電話番号、というかサマリーだけを、出来るだけ多くの人がちぎって持って行けるようにしてあるのです。

よく考えたものですね。気が利いています。この掲示板に貼ってあるこの手のポスターは、ほとんどが同じ様式になっていました。

はて、どこの誰が発明したのでしょうか。今頃気付いた私がトロイのか?

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2004.02.24

04・02・24 花のサンフランシスコ

サンフランシスコ市がゲイの婚姻届を受け付けていることが話題になっていますが、私のサイトからリンクしている"Macartisan: Channeling Cupertino"によりますと、これに関連してちょっといい話が進んでいるようですよ。

サンフランの花屋に電話して、市役所で婚姻届の列をなしているカップルの誰でもいいから花束を渡して祝福してあげて欲しい、カードには"With love, from Minneapolis, Minnesota" と書いてくれ、という注文をしている人たちがいるのですね。

花屋も趣旨に感動して協