08・09・23 DVDで「笛吹童子」を確かめる
1954年(昭和29年)4月~5月に公開された東映の「笛吹童子」(145分)をとうとうDVDで観ることができた。朝から夕方まで、「紅孔雀Ⅰ」(166分)「紅孔雀Ⅱ」(106分)と合わせて延々417分間、スクリーンの前に座っていた。
当時、映画館でこれを観たのかどうか?たぶんテレビでだったと思うのだ。今日の常識では考えにくいが、テレビの受像機台数がまだ少なかったあの頃、映画のヒット作品をテレビで放映したって映画館が損害を被ることはなかったはずだ。したがって新作映画の放映料もたかが知れていたはずだ…と推論できる。やはり、私は自宅のテレビで観たのではないかと…これも推論だが。放映されたのはもっと後の話だったぞ、と言われればそうかも知れないとも思う。
余談だが、昭和29年頃のこと、日本テレビの生放送ドラマ「西遊記」という番組宛に母が私の名前でファンレターを出したら、なんと、葉書で返事が来て「スタジオに見学に来ませんか」と書いてある。長谷川さんという人からだった。もちろん親子で麹町まで出かけたものだった。それほどテレビというメディアがマイナーな時代だったのだ。
「笛吹童子」は、福田蘭童・作曲の主題歌はもちろんよく覚えている。中村錦之助、東千代之介、高千穂ひづる、大友柳太朗、月形龍之介の姿や声も記憶にある。原作者が北村寿夫だったことも、そうそうと思い出せた。
しかしストーリィが思い出せない。これが三部作だったということもDVDを買って初めて気付いたほどだ。「どくろの旗」「妖術の闘争」「満月城の凱歌」とある。そもそも「笛吹童子」「紅孔雀」「七つの誓い」が「新諸国物語」というシリーズを構成していたこともわかっていなかった。それどころか1956年12月~1957年1月公開の「七つの誓い」は題名すら記憶にない。
作品として鑑賞するというよりは、わが幼い子供心を揺さぶった「笛吹童子」は一体何だったのか知りたい、という気持ちで観ていたが、そういうことだったのか…と制作者である当時の大人たちの意図を感じるところがあった。
少しの時間差で戦後生まれとなった私にはわからないことだが、昭和29年、人々はまだ戦争の記憶が生々しかっただろう。当時住んでいた大森から池上にかけての辺りでは空襲で破壊された工場や学校の瓦礫がまだ残っていた。外地から引き揚げて来た人も多かった。我が家も上海からの引揚者である。ラジオでは常に「尋ね人」の放送があった。離ればなれになった家族を探す人が珍しくなかったのだ。過去を引きずりつつも新しい時代を自由に生きるアプレゲールも現れていた。
「笛吹童子」では時代を応仁の乱の直後に設定している。丹羽一族の「満月城」は野蛮な野武士・赤柿玄蕃に乗っ取られるが、城主の正統性の証である「白鳥の玉」は渡していない。城主の遺児となった萩丸(東千代之介)と菊丸(中村錦之助)は留学先の明の国から戻り城の奪還を誓うが、萩丸は満月城に戻り武術で、菊丸は京に残り笛と面という芸術の力で敵に立ち向かう。大江山に住み妖術を使う霧の小次郎(大友柳太朗)は既成秩序のしがらみから外れて自由奔放に酒浸りの日々を送るが、生き別れた妹の胡蝶尼(高千穂ひづる)を探し求めている。このような設定の中で、萩丸と菊丸の兄弟が再会し、霧の小次郎と胡蝶尼の兄妹も再会するのである。
戦後間もない日本の多くの家族が経験したプライベートなドラマがこの映画に投影されていると見ることができる。もちろん「満月城」は敗戦し占領された日本であり、それを若者の文武両面の活躍によって奪回するのだ。霧の小次郎はアプレゲールだろう。この作品はこうした暗喩に満ちており、それを通じて、戦争で傷ついた日本人を励まそうという心が伝わって来る。単なる娯楽映画ではない。
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